2012年05月11日

人生七十(しちじゅう)古来稀(まれ)なり

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Our life but a span(人の一生は短い旅路にすぎない)
という言葉がある。これと古稀について同時に読んだので、
このあたりを書こうという気になった次第である。
70歳まで長生きするものは昔からきわめて稀である。これを
古稀と称する。確かに“国敗れて山河あり”の杜甫の時代は、
今から1200〜1300年も前のことなので、この時代の
平均寿命は現代のものに比べればはるかに低く、70歳まで
生きている人は少なかったに違いない。

一方、“人の一生は短い旅路にすぎない”も、来し方を振り
返れば途方もない距離を随分な時間を掛けて歩んで来ているし、
手を翳(かざ)して行く末を眺めて見ても、限られた時間と
景色は見えない。それでも短い旅路にすぎないと表されるの
である。地球の誕生規模で考えれば、昭和から平成にかけての
一生なんて一瞬の間でしかないだろう。

古稀の意味の由来について考えてみると、自分がその年齢に
達した今、「そうかナ〜、違うんじゃない」と思うのです。
60歳の“還暦”は再び生まれた年の干支に還るからであるし、
77歳の“喜寿“は喜の字の草体が七を三つ書いて七十七と
読まれるからであるし、88歳の米寿は米の字を分解すれば
八十八になるし、90歳の卒寿は卒の通用異字体「卆」が九十と
読まれるし、99歳の白寿は百引く一で白である。これらは字の
読み替えと現象で呼称されているが、これらは全て古来稀なる
年代であろう。ただ、古稀だけは平均寿命が格段に延びた現代に
おいては言葉の意味からするとマッチしないものかもしれない。

もう一方の短い旅を考えてみると、自分の人生、短いと思えば
今日という一日を大切に生きるであろう。昨日は、過ぎて
しまって存在しないし、明日もまだ来ていないので存在しない。
今日というこの一瞬が生きている証なのだ。今日が終わり夜が
明けると明日が今日に代わっている。禅問答のようだが、人生
とはこのように右・左・右・左と歩を進め、いつの間にか
遠い所まで重い荷物を背負って歩んで来たことをいうのであろう。
過ぎ去った日々を振り返ると、確かに短いものかもしれない。
しかし、その人生は決して苦しいことのみではないはずだ。
不足を常と肝に銘じ、何の変哲もない小さなことに喜びを見出す。

「秋の入日と年寄りは段々落ち目が早くなる」と言われるように、
最近は一日が、季節が、一年の経過が、早く感じられるように
なったのは確かである。まだまだと思いながら生きている私でも、
先のことを考えると時間が足りないことを自覚する。日頃は
人との出会いを“一期一会”の精神で大事にし、“人間万事
塞翁が馬”とばかりに一喜一憂せず、淡々と生きることを
心掛けている。

最近読んだ記事の中で、忙しいという文字は心偏に亡くすと
書き、あまり忙しくしていると人の心を失くしていってしまう、
といったことが書かれていた。私などは、忙しさにかまけて
何々を・・・といったことをよく文の中で使っていたので
これを読んだときに、心に隙間を作らないとそうなっていくかナ
と思ったものだ。それで忙しいの反対は何だと考えたら、
ユックリ、ノンビリ、イコール悠長(ゆったりと構えて気の
長いこと)を電子辞書で見つけた。そこに同音異義語があって、
悠長に構えた遊鳥(遊んでいる鳥)が優長(物事に優れている
こと)を目指して生きる。なんて言葉遊びをしてみた。

人生を長く生きるためには、私もそろそろ忙中に閑を求めるの
でなく、その反対の閑中に忙といった、心にゆとりを持って
ストレスを溜め込まないような生き方を考える時期がソロソロ
きたのかナと考える。現実には後、何年かは無理かもしれないが、
人生七十古来稀なりに到達し、Our life but a spanを我が人生
そうでもなかったと笑って言えるようなこれからでありたい。


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2012年04月08日

散る桜 残る桜も 散る桜

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今、桜が満開を迎えている。今度の日曜(8日)あたりが
見ごろでしょうか。
今年は寒さが続いたせいか、なかなか開花しなかったが、
一気に咲いた。昨日も所用で永満寺にある“いこいの村”
に行ったのですが、道の両側に見事な桜が咲いていました。
車を止めて、強い風に煽られハラハラと舞い落ちる桜の
花びらを見ていると、景色の美しさと同時に、タイトルにも
ある“散る桜 残る桜も 散る桜”の句に、桜の木の持つ
儚さや潔さを思ってしまったのです。
これは良寛の辞世の句であると同時に、桜のぱっと咲き 
さっと散る姿が、儚い人生を投影する対象となり、特攻隊を
語る時に必ず言われる言葉なのです。爆弾を抱えた戦闘機で
出撃し死んでいく兵士、それを見送る兵士、最後には
皆戦死してしまうという悲しい意味で使われています。

ここまで書いてキーを打つ手が止まってしまいました。文の
構成としてはこの後、鹿児島にある知覧特攻平和会館や、
若くして特攻で散って行った兵士のこと、武家屋敷などを
書いて自分の桜の思い出で締めようと考えていたのですが、
あるところの文を呼んで考え込んでしまったのです。
それは特攻平和会館の設立趣旨の文に対しての批評と、
最後に特攻をネタにした観光名所の域を脱していないと
結んである文を読んだからなのです。歴史の事実は一つである。
しかし、それを検証していく中で幾つもの解釈というのが
出て来る。例えば、敗戦濃厚な時期の特攻での死は「犬死に」
である。と書いてあります。見方によっては間違いではない
でしょうが、他方、病気など寿命で死ぬ以外は全部「犬死に」
と考えられるのではないか。事故しかり、震災、テロ、戦争、
どれも死ぬのではなく殺されるからだ。その作者は国家や組織の
在り方・考え方を非難しているのですが、遺族の方や戦死
された方に向かって「貴方の死は”犬死に“である」と言えるの
でしょうか。悲しい台詞だと思います。考え方の違いで
国旗も国歌も靖国神社も自衛隊も悪者にされてしまうのです。

何杯もコーヒーをお代わりしながら、なんでこうなるのと
思いながら、考え考えしながらここまできました。本当は
桜の美しさを書きたかったのに。タイトルはいいにしても、
特攻を書くからこうなるのか、知覧には40何年か前に
行ったことがある。武家屋敷の写真などはなんとなく記憶に
あるのですが、記念会館のほうはイメージが違うので調べて
行くと施設が新しくなっていて、私が行った頃は飛行機の
展示は無かったように思う。記憶が薄いのは戦争のことを
思い起こしたくないからなのか。覚えているのは「母はいい 
母ほど有り難いものはない 母!母!」の言葉と、死にゆく
若者の笑顔と、墨痕鮮やかな遺書の達筆な文字だけだった。
それと特攻の母と慕われた鳥濱トメさんの名前も。

読み返して2段目から下を消してしまって違う文にしようと
考えたのです。でも、やめました。何故なら何年か後に読み
返した時、「桜でこんな事を思ったのか」と、これはこれで
懐かしい想い出になるのではなかろうか。と考えたからです。
他人様から読まれても恥ずかしくないものを、と考えながら
いつも書いているのですが、時には道に迷って出口が判らず
失敗したような文でもいいのではないか。

最後の締めに桜の花の思い出をと思ったのですが、悲しいかな、
子供の入学式の時に校庭に咲いていたのを思い出すくらいで、
これといったものがない。強いてあげるとするならば、家人と
付き合っていた頃、秋に出張先の鹿児島の国分に会いに行った
ことがあって、知覧と霧島の秋桜(コスモス)の群生地に連れて
行ってもらった。秋桜に囲まれた写真を見ると二人とも若い、
細い。今回は花弁の形が桜の花びらに似ているということで、
秋の桜と命名されたコスモスで軟着陸させました。チョッピリ、
牽強付会の趣が強いとは思いますが、そこのところはひらに
ご容赦を。
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2012年04月06日

山のあなたの空遠く

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4月に入り、冬が終わり梅・桃・杏・桜の花がバトンリレーで
春の到来を告げています。町内にある神社の参道や、お地蔵さん
の桜も咲き始めました。我が家の庭でもモミジ・梅・金木犀の
若葉が芽を吹いてきました。風の冷たさを除けば春そのものです。

この時期は選抜高校野球が開催され、球児たちが白球を追って
熱戦を展開しています。開会式での選手宣誓は被災地から出場
した石巻工業高校の阿部翔人選手が行い、全国の人々が心を
打たれたのではないでしょうか。その内容を抜粋してみますと、 
”被災された方々の中には、苦しくて心の整理がつかず今も
当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみにくれている
方が沢山います。人は、誰でも答えのない悲しみを受け入れる
事が 苦しくて辛いことです。しかし日本がひとつになりその
苦難を乗り越える事が出来れば、その先に必ず大きな幸せが
待っている事を信じています。だからこそ日本中に届けます
感動・勇気そして笑顔を見せましょう 日本の底力、絆を。
われわれ高校球児が〜〜〜“。

この宣誓は、チームメートの想いを代弁しているのは勿論の
こと、被災地からのメッセージでもあり、復興を願う思いが
ヒシヒシと胸に伝わってきました。震災が起きてから1年が
過ぎた今、現実はとても”日本がひとつ“になったというには
程遠いものではないだろうか。被災地の復興や絆を語るのなら、
原発の処理にしろ、瓦礫の撤去や受け入れ先の拒否、遅々と
して進まない政府の対応。最近では色んな手当や高速道路の
通行料無料の撤廃などが伝えられ、これでは、愛する家族、
住まい、仕事場、船、全てを失くした被災者に対して希望を
持てと言う方が無理というものだ。

私はこの選手宣誓の“その先に必ず大きな幸せが待っている
事を信じています。”を聞いた時、心の中でカールブッセ
(独)の“山のあなた”を思っていました。「山のあなたの
空遠く 幸い住むとひとのいふ ああ われひとと尋(と)
めゆきて 涙さしぐみ帰りきぬ 山のあなたになほ遠く 
幸い住むとひとのいふ」。あの山の向こうに幸せがあると、
人が言うので行ってみたら見付からず、泣く泣く帰って来る。
君が行った山のまたそのむこうに幸せがあると人が言う。
幸せが見付からずションボリしている若者が目に浮かぶようだ。
子供の頃、「虹の根元には宝物が埋まっている」と言われ、
そこに行こうと走っても、走っても届かなかった想い出は
ないでしょうか。そのうちに虹は消えてしまって宝物は手に
入らないのだ。大人になってサンタさんの正体を知るように、
現実を知るようになる。

幸せとは、メーテルリンクの“幸せの青い鳥”のように、
色んな所を旅して探したが見つからず、結局自分の家で
見付けるといった、案外、身近な所にあるのかもしれない。
しかし、目の前にあったとしても気付く人、そうでない人。
見付けたとしてもそれを掴む人、そうでない人、そもそも、
幸せについて考えること自体、幸せな状態にあるのかどうか。
ささやかな幸せで良ければ、多くを望まないのであれば、
それは日常のちょっとした所に存在しているのではないだろうか。

若い人たちと、私のような年配者とでは価値観に相違がある
だろうし、年齢と共にその価値観も変わっていくだろうから、
私の考える幸せを書いてみると、朝、目が覚めるのが幸せの
第一歩である。生きている事に感謝。感謝=幸せなのだ。健康な
体とこの年で仕事が出来ることが幸せの基準となっている。
この他にも愛を成就させることや、色んな欲を満たすこと、
家庭を持つこと、子供・孫が産まれるなど、人の数だけ幸せの
形も千差万別であろう。

翻って、被災地の方々を思ってみると、選手宣誓の中に出て来る
“苦しい・忘れられない悲しい・辛いなどの言葉が、頭の中を
堂々巡りしていて、とても幸せと言える環境にはないであろう。
笑顔が見られる日常の生活に戻れるよう、日本中で協力しあって
一日でも早い復旧・復興を実現させてほしいと願っています。
山のあなたの空遠くに幸せを見付けることが出来なかったと
しても、身近なところに幸せの青い鳥は必ずいます。希望と
いう光で見つかるはずです。例え、今がどん底の状態だと
しても、涙が笑顔に変わる時がきます。そして亡くなった
方たちに、「こんなに素晴らしい故郷が再生出来たョ」と
報告できた時、幸せを感じられる生活に戻っていること
でしょう。

この文章を書き上げて読み返している時、自分の考えを
活字にして残して行くこの作業が自分にとって幸せな
ことだと気付いた。足跡なのである。生きてきた証なのだ。
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2012年03月23日

春告鳥が啼いてます

平凡で何の変哲もない日常に、時として雲の隙間から
“天使の梯子”と呼ばれる一条の光を見るように、寒かった
冬には聞かれなかった鳥の鳴き声を耳にする時、私は季節の
変化を肌で感じ取っている。ベランダに出て、庭の隅々に
目を凝らして見ると、今年も同じ場所にチューリップの芽が
顔を出している。紅白の梅の花を愛でていると、タイミング良く
ウグイスの声が聞こえて来た。「ホーホケキョ」の啼き方が
上手ではない。「声はすれども姿は見えぬ ほんにお前は屁の
ようジャ」などど、部屋に戻りつつ下らぬことを思いながら、
どう展開していこうかと思案投げ首。久しぶりに暖かい日の
射す午後に、開け放たれたガラス戸の向こうに、咲き始めた
紅梅を眺めつつ、「ホーケキョ」と音痴なウグイスの鳴き声を
聞きながらキーを叩いています。

初音(はつね)と言われるウグイスの初鳴きは春の到来を告げる
もので、このため“春告鳥”の別名がある。因みに、秋の到来は
雁の飛来を言い“初雁(はつかり)”という。この鳴き声の旨い
下手は多くの場合、環境によって決まるといわれ、幼鳥は親鳥
など周りの成鳥の鳴き声を真似することで「ホーホケキョ」と
覚える。いくら素質があっても周りの囀(さえず)りが下手だと
上手になれないそうだ。又、啼き方にも意味があり、「ホー
ホケキョ」は接近する他の鳥に対する縄張り宣言だと言われ、
「ケキョ・ケキョ・・・」は侵入した者への威嚇である。他に、
「チャッチャッ」と鳴く地鳴き(笹鳴きともいう)は日常会話
だと言われている。

花札などによく見られる梅に鶯の取り合わせは実は間違いで
あって、実際には梅の蜜を吸いに来るのは“メジロ”であり、
藪の中で虫などを食べるウグイスはそのような姿では見られる
ことはない。この混同されるのには「鶯色」がある。並べて見る
と違いがハッキリ判るのだが、ウグイスは灰褐色(オリーブ色に
近い)で、メジロは緑色に近い。見分けるにはメジロの目の周り
の白い輪が特徴で、名前の由来になっている。それとメジロは
警戒心が緩く、ウグイスは逆に強く藪から出て来ることは少なく
目に付きにくい。

「鶯の 鳴く野辺ごとに 来てみれば 移ろう花に 風ぞ吹き
ける」・古今集 読み人知らず。「梅が枝に 鳴きて移ろう 
鶯の 羽しろたへに あわ雪ぞ降る」・万葉集(10)。
私が想像するに、移ろう花とは梅の花ではないだろうか。
どちらも梅にウグイスと詠んでいるのだと考える。おそらく、
ウグイスの声が聞こえている時に梅の枝にメジロの姿が見られた
のであろう。どちらも“春告鳥と呼ばれるように、同じ時期に
出現するので、昔の人が間違えるはずだ。童謡に「梅の小枝で
ウグイスが〜・・・」とあるので、現代の私たちが判別できない
のも仕方のないことかもしれない。

しかし、ウグイスとメジロの関係は俳優と吹き替えの声優の
関係のようだ。古い話で恐縮ですが、アランドロンと、彼の
吹き替えをやっていた声優の野沢那智を例にとると、映画で
ハンサムなドロンを見ながら野沢の声を聞いているのである。
ドロンがメジロで野沢がウグイスなのだ。私たちはアランドロン
は知っていても、野沢那智は見たことが無い。丁度、ラジオの
パーソナリティや、野球場のウグイス嬢のように「声はすれども
姿は見えず・・・」なのだ。

ウグイスの件であちこちサーフィンしていたら、又また、新発見。
「声はすれども姿は見えず・・・」の下の句を見付けました。
「・・・君は深山(みやま)のきりぎりす(コオロギの古称)」
が原典だそうで、男の訪れを待つ女心のやるせなさを詠った句
だそうです。これが、「声は聞けども姿は見えじ 君は深みの
きりぎりす」などと変容し、さらに各地の民謡にも取り入れら
れていきます。宮城県定義節では「・・・藪にウグイス声
ばかり」とあります。「・・・ほんにお前は屁のようだ」は
落語で語られ、私が憶えていたのは原典からは一番遠いところ
の部分を捉えていたのかもしれません。

今回は、Wikipediaなどの文を繋いで作ったものに
なりましたが、知らないことばかりで勉強になりました。
おのれの浅学非才を顧みず、これからもいろんなジャンルに
取り組んでいこうと考えています。
 
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2012年03月11日

あれからもう一年

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日曜(11日)は、お日さまは射しているのに風が強く寒い
一日であった。午後から明るい居間で伝票の整理をしていて、
疲れた目と頭を休めるため、コーヒータイムにするべく立ち
上がり、大好きな岡林信康のCDをセットして、流れてくる曲に
耳を傾けながら、コーヒーの香りを楽しんでいた私は、一冊の
本に目を止めた。

“黄ばんだ余白(前田美代子詩集)”、黄色のカバーにコスモス
の絵が描いてある詩集である。何枚かページをめくっても内容に
憶えがない。我が家にある本は、いくら古い物でもタイトルなり
内容なり何か記憶に残っているのだが、この本ばかりは頂いた
ものか、自分で求めたものかも定かではない。裏を見ると
1985年発行とあるから、私が40歳を過ぎた頃の物である。
この時代は全てにおいてエネルギッシュに活動していた時期で、
死についての実感が余り無かった。この本の内容は最初から
夫・義弟・父と、人の死についての詩から始まっているのである。
なので、その年代では自分で買い求めてまでして読んではない
ような気がする。

“あとがき”を呼んで作者のプロフィールを知る。朝日文化
センターの現代史講座を受講し、還暦を前にしてこの本は上梓
(じょうし)されたもので、夫に先立たれ、息子は関東に住み、
一人暮らしの寡黙な女性のようだ。本というものは、若い頃に
読んだ物を年月を経て再度、読み返してみると違った感覚を
覚えるから不思議だ。読み進めていって22ページ目の“風の
旅立ち”の冒頭で、涙で文字が霞んで読めなくなった。

「この世での仕事を終えて 旅立って行くことは 喜ばしい
ことであって 嘆き悲しむことではありません」 秋空の深み
に向かって 父への葬送賦を贈り・・・。夫を病気で亡くし、
義弟は広島の原爆で戦死、父親はこの台詞からすると大往生で
あったのかもしれない。私の涙の訳は、本の中の死を、自分自身
の過ぎし人生に置き換えて想いを馳せたためか、それとも
岡林信康の“風詩”の「今度この世に生まれてきたら どんな
具合にお前と会える 夫婦(めおと)親子か兄妹か もっと
今より大事にします」の歌詩が追い打ちを掛けたのか。

きょうは3月11日、東北大震災が発生してから、あれから
もう1年経つのである。2万人以上の犠牲者を出し、未だに
その半数の方々の行方が知れない。まだ多くの人たちが避難所
生活を余儀なくされ、慣れ親しんだ故郷に戻れないでいる。
自分の意志とは無関係に命を落とした方々にこの葬送賦は
語れない。あまりにもこの世にやり残した仕事が多すぎるのだ。
多くの死と言う別れが頭の中で綯(な)い交ぜになって涙腺が
緩んだのであろうか。

人の死には人生と同じように、語り尽くせぬ程のドラマがあり、
その中に小さな喜びと大きな悲しみとを併せ持っている。
逝く人も送る人も、嘆き悲しまない死を願っているが、現実には
残された人々に今生(こんじょう)の暇乞(いとまご)いを
言わせ、無理やり納得させようと悲しい嘘を自分につくのである。
その悲しみは夕陽を見ては涙するような時期を経て、時間の
経過とともに薄れては行く。しかし、なくなることはなく、
日頃は胸の奥の引き出しに収めているのだが、折に触れ引っ張り
出しては悲しみを新たにする。

今日は、多くの地域で追悼式典が行われた。地震発生の午後2時
46分に黙祷して犠牲者に祈りを捧げた。今回の震災には津波の
高さや原発事故など“想定外”という言葉が多く使われ、常日頃
の安全に対する“過信”とその背中合わせにある“油断”が、
多くの命を奪った要因にあげられるであろう。防災とは、自助
(自分の身は自分で守る)、 共助(助け合う)、公助から
なっており、皆がこの意識を高め、2度とこのような大惨事に
遭う事のないような国にしていかねばならないと改めて強く
思った。

テレビでも、インターネットでも震災のことを取り上げている。
それを見るにつけ、読むにつけ、関係者でなくても涙なくして
はいられない。この悲しい現実を風化させることなく心に刻み、
糧として生きていかねばならない。亡くなった方々の命の
防波堤で、我々の命が守られて生かされているのだ。

“書き遺しておかねば・・・という思いを籠めて 病床の男が
ペンを執った 「ボルネオ物語」は未完のまま 黄ばんだ余白を
うめる者は もはや誰もいない”ここにも、この世に無念と、
仕事を残したまま逝かなくてはならなかった作者のご主人がいる。
どこにも納得する死はないのかもしれない。因みに、この本には
値段が書いてなかった。故に自分で求めた物ではなかった。
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2012年03月04日

東風(こち)吹かば

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今日(4日)は朝から冷たい雨が降っています。ベランダから
庭を眺めて見ると、雨に濡れた木々の緑の中に、白い梅の花が
何輪か咲いているのが目につきます。“暑さ寒さも彼岸まで”と
言われるように、花たちは季節が冬から春に移り変わっていく様
をよく表しています。

縦に細長い日本列島は、南の沖縄はもう桜の便りが聞かれます。
しかし、北国ではまだ雪の中での生活で、春はまだまだ先の話
です。足の遅い冬を追い出そうと、春は色んなことを仕掛けて
きます。気温の上昇は勿論のことですが、風の向きも変えて
きます。冬には冷たい北風を吹かせていたのが、春に向かって
東風(こち)を吹かせるのです。東風とは“春に東方から吹いて
くる風”のことで、まだ冷たさが残っていますが、徐々に南の
暖かい風に代わっていきます。

梅の花と東風とくれば“東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 
主なしとて 春な忘れそ”を思い浮かべます。菅原道真公が
藤原氏との政争に敗れ大宰府に左遷されることになり、旅立ちの
前に、可愛がっていた庭の梅の木を詠んだものといわれています。
その梅の木が道真公の配所である安楽寺(大宰府天満宮)の庭に
飛んでいき、生え匂ったという故事が“飛梅”伝説です。

と、書いていて何故か“沙羅双樹”という言葉が頭に浮かんだの
です。“平家物語”の冒頭にある「祇園精舎の鐘の音 諸行無常
の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす・・・」
のこれです。頭休めにインターネットで色々見ていくと、意外な
というか今まで思い込んでいたものと違った部分が判明した
のです。それは花の色が紅だと思っていました。何故なら源氏の
旗の色は“白”で平家のそれは”紅“ということで、”驕れる
ものも久しからず“で驕れる平家の紅は源氏の白に取って代わ
られるのです。それと、うろ覚えですが、赤い椿の花を写真で
見たような記憶があるのです。

それが記事を読んでいくと、木の種類は日本では夏ツバキを
指すそうで、これはイメージどうりなのですが、花の色が
“白”だというのです。だとすれば文中の“花の色 盛者必衰
・・・”はどう解釈すればいいのか。色は紅でなければ私の
単純な思考回路では“平家”が滅びるとはならないのです。
それともこれを詠んだ作者は紅色の花が咲いた“沙羅双樹”を
見たのだろうか。はたまた、“盛者”を平家も源氏もと解釈
すれば一応辻褄は合うように思えるのだが。

パソコンに向かってブツブツ言いながらキーを打つ私に「祇園
精舎・・・は小学校低学年(昭和30年あたり)の頃、毎週ラジオ
でクロガネ劇場という朗読番組があって、吉川英治の”新平家物語“
が放送されていて、最初にこれが流され、・・・ただ春の夜の
夢の如くで物語が始まっていた。意味は理解出来ないまま丸覚え
していて、大人の前でこれを暗唱するとビックリされた」と、
文明の利器の向こう側で本を読んでいる家人が語った。
「夢がなくなるから深く追求することはないョ。飛梅だって都から
九州の片田舎まで飛ぶはずはないと思えば伝説にはならん」。
言われてみると正鵠を得ているとは思うが、「それでは鳥の糞の
中に種が入っていて芽を出したのか?梅の種は大きいから便秘に
なるゾ」と口には出さぬが、いつもの癖で探究心?が起こってくる。

お腹が空いてくると纏まる筈の文章もトンチンカンなものに
なってくる。「腹減った」。二人とも立ち上がって鍋の用意が
始まる。我々には日曜の夜だけがユックリお酒でも飲みながらの
食事タイムなのだ。色んな話題が食卓に並ぶ。肉と野菜を平らげ
ながら話のご馳走も一緒に食す。コップ一杯の濁り酒でホンノリ
と酔った頭に「梅は飛ばんよナー、タンポポじゃないんだから」。
往生際が悪いようで。
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2012年02月18日

人の生き死にについて

今日(18日)、私が住んでいる町内会の田代のオイチャンが
亡くなり、お葬式に二人で参列して来ました。大正6年生まれで
享年96歳、最近はお顔も見たことがなかったので病気で入院
していたのか、何の病気だったのかも判りませんが、大往生だと
思います。この年になると自分の身内はおろか、色んな付き合い
の中で多くの人を見送ってきました。

祭壇に飾られているお写真は、ひ孫が誕生した時のものであると
説明がありました。生前の私が知っているお顔に比べて少し
痩せて写っていましたが、寡黙で人の悪口を言わない人柄が
滲み出た優しいお顔でした。何年か前にやはり同じくらいの
年齢で亡くなった香月のオイチャンとは従兄弟同士で町内会の
長老的存在として周囲から一目置かれる存在でした。酒の席で
よく“同期の桜”を歌ってはお互いに涙するといった、涙もろい
一面も見せる好々爺でもありました。

もう随分前のことになりますが、ある年の町内会の初寄りの席で、
このお二人とチークダンスを踊ったことがあるのです。
宴もたけなわとなり興に乗り皆が囃し立てて、私に踊れおどれと
座敷の中央に押しやるのです。お二人とも若かったとはいえ、
私とは親子ほど差があり、当時ソシアルダンスをやっていた私が
暴れまわると年寄りには骨だと考え、スローな曲に合わせて
チークにしたのでした。踊り終わって席に戻ってくると周りの
オバちゃん連中が「良かったョー、オイチャンたちとても
嬉しそうにニコニコしてたョ」と皆が褒めてくれました。
今となればいい思い出として蘇ってきます。

人の一生というものを考えてみると、両親からこの世に生を
受けて誕生する訳ですが、長い短いの差こそあれ、いつかは死を
迎えることになります。オイチャンたちのように90歳以上
長生きして亡くなる大往生の方もいれば、私の妹のように幼い
子供を残して30代で亡くなる人もいます。この差はどこから
くるのでしょう。運命という人もいれば、産まれた時にその人
の寿命は決まっているという人もいます。「人は満ち潮で産まれ
引き潮でなくなる。人の生き死には月の満ち欠け、引力に関係
している」と年老いた漁師のお爺さんに聞いたこともあります。

この世に存在する森羅万象は私のような凡人には理解出来ない
現象ばかりですが、その中でも生命の神秘には驚かされること
ばかりです。母親のお腹に十月十日いて産みの苦しみを経て
誕生し、母親と唯一繋がっている臍の緒を切って、一人の人格が
スタートするのです。動物は外敵から身を守るため、産まれて
すぐに立ち上がることが出来ます。一方、人間は1年近くも
親の庇護の元に生活して、ようやくヨチヨチ歩きが精いっぱい。
この間、母と子はオッパイをとうしてコミニケーションを
とっているのです。

小さな我が子を抱いてオッパイを口に含ませると一生懸命に
吸います。「一杯飲んでおおきくなーれ」お腹が膨れると
今度は眠くなってきます。げっぷを出させるために背中を
軽く叩きながら、「ねんねんよー、おころりよー」と下手な
子守歌?で寝かせるのですから魔法使いのようです。
私は添い寝をしながら寝顔を見るのが楽しみでした。
何時間見ていても飽きがこないのです。「鼻高くなーれ」と
つまんだり、モミジのような小さなお手手に触れるとそっと
握り返したりと、この時ばかりは「産んでよかったー。
産まれてきてくれてありがとう」。自分が母親となった
喜びを噛みしめた至福の時でした。

また、泣き方にもいろいろな意味があります。お腹がすいて
オッパイが欲しい時、おむつが汚れて気持ちが悪い時、体調が
優れない時、抱っこして欲しい時など、まだ言葉が話せない
この時期は赤ちゃんは泣くことによって母親に知らせるのです。
新米のママさんは赤ちゃんがなんで泣いているのか理解出来ず
途方にくれます。しかし、これも習うより慣れろで、経験を
積むことによって、泣き方の意味を理解出来るようになって
いきます。

このように親の愛を一身に受けて育ち、自我の目覚めとともに
自分の足で立ち、頭で考え、親の元から旅立っていくのです。
丁度、若鳥がはばたいて巣から飛び立っていくように。親子は
どれだけ離れていても目に見えない“絆”で結ばれています。
そして、愛という運命の赤い糸が若い二人を結びつけ、新しい
家庭をそこに誕生させるのです。こうして人々は営々と人生を
営んでいくのです。新しい命が誕生し、かたや、老いた命が
消滅していきます。これが自然の摂理というものです。

お葬式に参列し、お経を聞きながら人の死に直面し、やがては
訪れるであろう自分の死と、その対極にある生きるについて
思いを馳せる。人はこの世に誕生すると,時期は定かでは
ありませんが死亡率は100%。終焉を迎えた時に、自分の
人生が長くもあり、短くもありと感じ、悟りを開けないまま
未練を引きずりながら、痛みと意識が無くなっていくのが
死というものでしょうか。


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2012年02月17日

SKYPEで娘と通信

今日(17日)は寒い一日で外は小雪がチラチラ舞っている。
今日から冬型が強まり2〜3日雪混じりの寒い日が続くという
予報が出ている。季語にも厳冬という言葉が出てくる位だから
寒くて当たり前、春はもう少し先の話になりそうな気温の低い日
の午後の、Hotしそうな母娘のテレビ電話での模様。

先日、娘からのメールで「子供たちの幼稚園の入園式の際に
持って行く小さめのバッグが欲しい」と連絡があった。それでは
SKYPEで品物を確認しながら品定めをしょうということになり、
今日の2時半にヨーイドンということになった。いつでも
母娘で会話出来るようにと、段取りは付けてもらっているのに、
イザとなると忙しさにかまけて中々出来ないという現状である。
SKYPEは携帯電話のようにメールや会話を手軽にするという
ような範疇にはまだない。操作に自信が持てないため、補佐を
する係が傍にいなければトラブった時に困ることになる。

大きな段ボール箱一杯のバッグを抱えてきてスタンバイ。時間に
なりスイッチオン。久し振りに見る娘と孫たち。前回はパソコン
の前でジッとしておらず、全く会話にならなかったのだが、
今回は少しはお利口さんになってるみたい。孫たちや家族の
近況など話ながら品評会が始まる。小さな色物から始まり、
黒いフォーマルな物、DCブランドの物と、アップにしたり裏表を
表示したりしながら「さっきのが良かった。2番目のをもう1回
見せて」と店員のオバサンと買い物客の会話は続く。画面の
向こうの孫たちは自分勝手に2人で遊んでいる。

意外にも娘はヴィトンなど、いかにもといったDCブランドには
興味がないという。そういえば指輪、ネックレスの類にも欲しい
とは言わない。里帰りした時でもこちらはあれもこれもと構えて
いるのだが、一緒に買い物に行ってもズボンならズボンだけ、
靴ならそれだけと、こちらが拍子抜けするくらい欲しがらない。
なんだかんだで大小おりまぜて7つを送ってやることに決定。
娘曰く、「1個だけもらおうと思っていたのに、こんなに沢山
ありがとう」。以前、頼まれていた化粧品も一緒に段ボール箱に
梱包して、早速黒猫ヤマトに持って行ってもらう。

宅急便を出して帰って来る間に、遅い昼食に鍋を用意して待つ。
「寒いさむい」と帰って来てシャブシャブを突きながら、「アー、
写真撮っておけばよかった〜」「なんで〜」「ブログさぼって
いるから、これ書こうと思って。写真あったがいいよネ」「今更
言ってもafter festival(後の祭り)ョ」「何〜それ〜」。長男から
「ママさんの文章は長すぎるから誰も読まんョ。写真を多くしたら」
と言われたばかりだ。

ブログに載せようと写真を撮ってきたら今度は文章が追い付かず、
新米を大事に取って置いたらいつの間にか古米になっていた、
みたいな時期を取り逃がすことがチョクチョクある。今日は幸い
にも予定はない。途中まで家で書いて残りはお店に行って事務所で
書こう。ガラス越しに外に目をやるとまだ雪は降っている。今夜も
寒い夜になりそうだ。
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2012年01月21日

今日は大寒

今日(21日)は二十四節季のうちの大寒である。名前とは
裏腹に最高気温が13度もある暖かい一日であった。こんな
日は朝から布団を干し、洗濯物の片付けと家の用事を済ませ
たい日和なのだ。片や、風もなく暖かい最高の自転車日和なの
に行きたいナー、行けないなーという顔をしてハンドルを
握っている。
ただ、来週は寒気が流れ込み雪の降る寒い日が続くという
予報になっている。
今日、明日は直方イオンモールに於いて、市内・小竹町
合わせて14小学校の児童を対象とした書き初め大会の
作品展示と表彰式が、直方ライオンズクラブ主催で行われる
ため、午前9時半から自宅を出てイオンモールに向かって
いるのである。

今年で3回目を迎えるこの大会は、年々参加児童数も増え、
今回は170名を越える人数となった。この事業は青少年
健全育成の観点から「書道のまちのおがた」をキャッチフ
レーズに、当クラブが最も力を注いでいるもので、私は担当
副委員長として昨年秋の準備段階から参加させてもらっている。

この様な大きな規模の事業は、ただ会員として参加するのと
責任ある立場でこれを担当するのでは、見ると聞くとでは大違い
位の差がある。来年は私が担当委員長として全責任を負って事業
を展開しなければならないため、今回は隅から隅まで、一挙手
一投足にまで目を凝らし、最大漏らさず観察し、次期に備え
なければならない。なので夜が遅いから、朝早いのは辛いとか、
キツイなどとは言っていられないのである。

会場への道すがら車中での会話。私たちの会話のテーマは良く
言えば豊富、悪く言えば雑多な物とでも言おうか、色んな
ジャンルに及ぶのである。今日の話題は人間の“可能性”に
ついてであった。今、読んでいる本に“つまらない大人には
なるな(川北義則著)”というタイトルのものがある。
その中に“もう、まだ”という言葉を取り上げた欄があって、
自分にとって興味深いものだったので、意味をかみ砕きながら
読んだ。“もう”はあとの言葉が駄目だとかお終いだとか、
諦めの言葉に付きそうで、“まだ”は出来るとか大丈夫とか、
希望や可能性に繋がる言葉に付くものではないかと考えられる。

このことの例は「砂漠で喉が渇いた時、水筒の水が“もう”
半分しかないと考えるのか、“まだ”半分もあると考えるか
によって、その人の生き死にに関わって来る」とあるように、
ものの見方、考えかたによって大きく違った人生を送るの
ではないかというような会話をする。この“もう、まだ”を
自分たちに置き換えて考えてみると、もう70歳、まだ70歳
であるとか、自転車で坂道を登るのにもう駄目だ、まだ登れる
など、多くの例が引き出されてくる。ゴルフのことも、仕事の
ことも話題に上る。

私のゴルフときたらまずセンスがない。何年経っても上手に
ならない、球が当たらない(この件は、そうなる努力をして
いないの一言で片付けられる。また、時間と有り金をブチ込み、
女房・子供をうち捨てて、位の覚悟で臨まなければ上手に
ならんとも言われた)・・・Etc。と全く取り柄がないのだ。
しかし、これも捉え方によっては練習場で2時間休みなく、
マン振りで300球打つのである。コースではカートに乗らずに
フェアウエイを幅一杯闊歩しているのである。この元気の
良さが取り柄ではないか。仕事においても1日も休まず、
朝方何時まででも勤めることが出来る。少ない睡眠時間でも
早朝より起きて活動するのである。

それをこの歳になって働きたくないとか、キツイから眠い
からしたくないと思ったら、もうそこでこれ以上の進歩も
発展も望めないだろう。勿論、健康であることが第一条件で
あろうが、気力の充実を図り、“もう“は言わず、事に当たる
度に“まだまだ”と自分を奮い立たせ、言い聞かせながら頑張
っていきたい。

仕事が、奉仕活動が、山登りが、ウォーキングが、ゴルフが、
考えることが、会話出来ることなどが喜びであり、それらが
やれる立場や環境にいることが自分にとっての幸せであり、
生き甲斐となっているような気がする。話は尽きないうちに
車はイオンモールに着いた。そう言えば、私たちの会話の中
には“もう”が出て来ることは無かったと再認識する。
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2012年01月09日

新年を迎えて思うこと

毎年のことであるが旧い年が暮れていき、新しい年を迎える時、
トキメキに似た気持ちの昂ぶりをいつも感じている。平均的な
考え方をすれば、年と共に心も体もスローになっていくので
あろうが、私の場合、置かれた立場や環境が影響するのか、
時間に早くはやくと急かされている気がしてならない。

私の日常は、優先順位の決まった事柄を順々にこなしていくこと
から成り立っている。真っ新のビジネスノートに赤と黒のボール
ペンで行事が書き込まれていく。他人様が見ると「プライベート
な時間はいつとるんですか」と言われそうなくらい、ビッシリと
用事がつまっているのである。正月休みも31〜1日だけで今月も
日曜日は全部、何らかの行事が入っていて、唯一、今日(9日)
だけがフリーの日である。朝から洗濯物を片付けてお昼を
済ませた後、気になっていたブログに久しぶりに取り掛かる
ことにした。

ストーブの上のヤカンの湯がシュンシュンと湯気をたてている
台所のテーブルが、私の執務用の机である。パソコンをセット
してさぁー何を書こうか。“孫台風”も書きかけのものが
残っているが、これは後回しにして、明けまして・・・には
日が経ち過ぎているし、6日の“小寒”か7日の七草粥?、
それとも昨日(8日)の“新春書初め大会”のことを書こうかと
悩むところである。いつものように思いついたままを書き並べて、
行間を埋めていくという作業をあーでもない、こーでもないと
ブツブツ独り言を言いながらキーを叩いている。一昔前であれば
消しゴムで書いては消しの繰り返しであろうが、その点、文明の
利器は便利に出来ている。BackSpaceは消しゴムだし、スペース
キーはドラエモンの“何でもポケット”のように次々と漢字を
出してくれる。操作を忘れた場合は、人相の悪い教師が寒い庭で
ゴルフボールを打っているので呼べばいいし、言葉が浮かば
なかったらコーヒーを飲んで休憩をとればいいのだし、と、
ここまで書いて「そうかやっぱり私には時間が足りないから
書けないんだ」と己の怠慢やセンスの無さをさておいてこんな
ことが頭に浮かんだ。

時間だけは皆に平等に振り分けられているというが、同じ時間の
長さなのに、楽しい時間はアッという間に過ぎてしまうし、辛い
時の時間はとても長く感じるのである。無駄に過ごしたり有効活
用したり、考え方の違いや差によって時間の使い方は百人百色
となる。銘々の答え合わせをしてみたら、どれも正解でどれも
間違いであるというような、たくさんの答えや使い方が出て
くることだろう。例えばボーっとしている時間は無駄であり、
必要なものだという2つの答えがあり、その人の生き方考え方
や、どちらを選択するかで答えは違ったものになるのであろう。
若い頃なら正方形とは4つの辺が同じ長さで角度は90°の
ものを言う。と決めつけてしまっただろうが、年を重ねると
菱形も台形も四角だし、角が円くてもOKなのだ。ファジーと
いうかアバウトというか、私の中の時間に関する感性は鈍
(純ではない)なのである。磨きようのない程錆びついている
のだが、都合よくこれを解釈すれば、銅に緑青がふいている
状態であるともとれるのではないか。美しい響きではありま
せんか。美しく年を取っている見本みたいなものです。

目の前で家人が宅急便で送ってきたデジタル式の体重計に電池を
いれ、セットしている。年齢・性別・身長をセットすると、体重
の他に体脂肪率や体水分率が表示される優れものだそうで、試し
に乗れという。「着ぶくれしているから数字は本当じゃない
からね」と言いつつ乗ったら、体重は表示されるのだが何度
乗っても体脂肪率はエラーが出る。「これおかしいョ乗って
みてん」と代わると、全て正常に表れた。説明書をよく読んで
みると、測定範囲を下回る、または超える数値の場合は正しく
測定出来ないとある。アスリートもそうとあるが、私はアスリ
ートではないし範囲を下回るタイプではないので、答えは
“超える”しかないではないか。

正月早々、またまた問題発生である。ど〜すりゃいいの〜さ 
し〜あぁんば〜し。私から食べる楽しみを取ったら何が残るのョ。
脂肪率のために食を落とすか、それを無視して夜中に食べるのか
それが問題だ。答えは一つしかない。とりあえず体脂肪率は
無視して、生きんがために食をとる。脂肪率の数値は名札に
書き込む訳でもなし、口外しなければ知れることもなし。
第一、私の体脂肪率に関心を持つ人がいるとも思えない。
ア〜知らねばよかった〜。
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