2012年09月28日

偶然の出逢い 諸九尼(しょきゅうに)

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名は勿論のこと、その存在すら知らなかった。偶然の為せる
業なのである。家人に送ってもらって所用で直方中央公民館を
訪ねた。20日の午後のことであった。用事を終わらせ車に
戻ると家人がいない。どこに行ったかと辺りを見回すと
デジカメ片手に花壇の雑草を引き抜いている。寄って行って
「何しとるん?」と声を掛けると「彼岸花が咲いているので、
写真を撮るために邪魔な草を抜いている」と答えた。この時は
何も感じないままお店に帰り、パソコンに写真を取り込んで
それを見せてもらった時であった。

彼岸花の後ろに御影石で出来た石碑があって、碑文に「世越捨亭
見類分別や  山さくら 諸九」(よをすてて みるふんべつや
やまざくら しょきゅう)と書かれてあった。原文ではこう
書かれているのかは判らない。興味が湧いてきて調べてみる
ことに。

有井諸九尼(1714〜1781)田主丸に生まれる。
江戸中期の俳人。同時期に「朝顔に つるべ取られて 
もらい水」の加賀の千代女がいる。人妻でありながら、俳人
有井湖白(後に浮風)と不義密通欠落ち(駆け落ち)し、
大阪・京都に住む。浮風と共に宗匠として俳諧に専念する。
「剃り捨てて 見れば芥や 秋の霜  諸九尼」。
諸九尼49歳。夫を亡くして剃髪し、名を諸九尼と改めた時の
句である。20年暮らしを共にしてきた愛しさと共に、
これから生きていく決意を芥(あくた)と表現した黒髪に
託している。夫 浮風61歳 京に没す。「つれもあり 
いまはの空の ほととぎす」を辞世の句として。

57歳の時、奥の細道(京都〜仙台、550里【2200Km】)
を5カ月余り掛けて単独で踏破。この旅の紀行を「秋かぜの記」
にまとめて刊行。夫浮風の17回忌をすませたあと、夫の
生まれ育った直方に移り住む。天明元年(1781年)9月
10日68歳で永眠。浮風と共に直方市山部の随専寺の比翼塚
に眠っている。「夢見るも 仕事のうちや 春の雨」が辞世の
句である。

随専寺はお店から御館橋を渡り10分ほどの距離にある。
地元の人によると、比翼塚と銀杏の黄葉で有名なお寺だそうだ。
私は年に2回はお寺を訪ね、住職の宮崎良寛先生にお会いして
いるのだが、行く時はいつも裏口から伺うので表の看板などは
見たことが無く、先生からもこの話を伺ったこともなかった。

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翌日、時間があったので散歩がてら随専寺の比翼塚を見に行く
ことにした。歴史は知れば面白いもので、いつもは何気なく
渡っている御館橋も名の由来を知ると、いっぽ一歩踏みしめて
歩きたくなる。これは黒田長清公が妙見山の頂上にあった多賀
神社を現在の位置に移し、山頂(現・多賀公園)に直方城を
建てた。この頃の一国一城令により、城と呼べず御館(おたて)
と呼ばれた。名はここからきている。道路を下ると右手に雲心寺
がある。直方藩ゆかりの墓所があり、春の桜が見事である。
左へ曲がった右側に随専寺はある。諸九尼を説明した看板が
2枚あり、石段の右手には石柱もある。石段を登り山門を
くぐり本堂の左脇を通り抜け、墓地のある裏山へと入って行く。

両脇に古いお墓が並ぶ山道は4〜5mおきに落ち葉がかき集め
られて燃やされていた。看板には150mと書かれてあったが、
意外と遠く感じられて途中で見落としていないかと心配した
くらい、一番奥の突き当たりに、“比翼塚”はひっそりと佇んで
いた。思ったよりも簡素な墓でこれは弟子や縁りの人たちの手で
建立されたものだという。この名も男女の情愛が深いことを指す、
“比翼連理”からとったものであろう。お墓に向かって手を
合わせ、帰る道すがら諸九尼の人と形(なり)を思った。

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生まれ育った田主丸を29歳の時に故郷と家族を捨てて、
68歳で直方で没するまで40年間一度も里帰りは出来な
かったであろう。年老いた両親も出奔した当時は健在であった
かもしれない。そうだとすれば親の葬式にも参列していない
ことになる。当時、不義密通は斬首に処されるほどの大罪で
ある。親不孝な自分を責めながら、それを打ち消すために
俳諧に打ち込んだのだろう。色んな思いの入り混じった、
悔恨の念が込められた句ではないのか。辞世の句ではなく、
何故、この俳句が碑文に選ばれたのかが判るような気がする。

これほどの情愛を浮風に捧げた諸九尼の生き様に、息苦しい
ほどの感嘆と自分にはない生き方に羨望すら覚える。
このような女性が300年前にこの地に生きていたのだ。
浮風と出逢っていなければ、田主丸の片田舎で平凡な一生を
送ったのかもしれない。男女の出逢いがこれ程までの波乱万丈
な人生になることを示す一例であろう。どちらの人生が良かっ
たのかは知る術もない。
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2012年09月18日

台風接近の敬老の日

16日(日)から台風の影響が出始め、雨は大したことはないが、
風が強く吹くようになった。仕事の方は久し振りの連休である。
本来であればこの連休を利用して、京都の娘の所へ行く予定で
あった。1週間程前から台風接近の予報が出ており、「雨の中
での高速道路は走りたくない」と家人は言うし、気を揉んで
いたのである。

このところすっきりした天気が臨めない上、激しい落雷に
見廻れたりと段々、京都行きの意欲が失せていき、つい何日か
前にキャンセルの電話を娘にしたばかりであった。皆が楽しみ
にしていたイベントであったが天候には敵わない。ドタキャンで
あったため連休にもかかわらず何の予定もないし、第一、台風の
ために動くことも出来ない。

日曜にはサウナに昼から7時まで入り、食事を済ませ早々に寝る
ことに。家人は“全英女子オープン”を夜中の3時頃まで見たと
言っていた。17日の敬老の日は台風が朝6時くらいに北部九州
に最接近して、朝からニュースはそれ一色であった。昨日の
サウナでの会話の中で、敬老の祝賀を16日に予定していた
地域は実施できて、17日に予定している地域は台風接近の
ため危険防止の観点から、行事は中止になるだろうと話していた。

若い頃、敬老の日にはお年寄りに踊りを披露するため、先生を
呼んで習ったり色んなお手伝いをしていたものだ。また、両親が
健在のころは食事に招待したり、お小遣いをあげたりしていた。
我が家の子供たちも、祖父母に手紙を書いたり小遣いを持ち
寄ってプレゼントしたりしていたが、両親が亡くなってからの
敬老の日は我が家には縁遠いものとなり、忘れ去られる存在と
なってしまった。

「多年にわたり、社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を
祝う」ことを趣旨としているのが、敬老の日であることは理解
できる。判らないのは“老人”とはいかなる人を指すのかである。
調べてみると、法律の解釈によっては、45歳から70歳まで
様々である。中には孫がいたら40歳でもその対象となると
いう話まであった。上記の趣旨を自分に置き換えて考えて
みても、ピンとこない。確かに孫はいるが長寿を祝ってもらう
には年が足りない気がするのだが。

例えば、ゲートボールに参加したり、シルバー人材センターに
登録している人を老人の対象とするのには、少し無理がある
のではなかろうか。何故なら。皆さんお元気に励まれている
からだ。“お年寄り”や“高齢者”なら、まだ判り易い気が
する。私の父は86歳で亡くなったが、敬老会には最期まで
参加しなかった。促すと、「あんな年寄りばっかりの所には
行かん」と言う、サウナとコーヒーとパチンコが好きな元気の
良い年寄りであった。

この父の論からすると、自身で老人との認識を持っていない
高齢者は老人の範疇にないというのは暴論であろうか。私も
対象者であるにも関わらずその認識が薄い一人である。それに
”生きがい“を持って生きている人も対象外かもしれない。
老人の解釈と同じで、生きがいも百人百様であろう。何かを
目標とし、それをやることにより幸せを感じることや、自分の
所在や生存が何かの為、誰かの為に役にたっていると感じられる
ことが生きがいなのかもしれない。

老人を色々と調べていたら、“性格特性”と言うものがあった。
その中に「円熟型=過去を後悔することもなく、未来に対しても
希望を持つタイプ」があった。この他にも、安楽・防衛・憤慨・
自責型などがある。要するに人生をポジティブに考え、“もう
少しもう少しと、頑張ろうとしている時が一番幸せな時”を
旨とし、生涯現役を目指して生きていく間は、敬老会からは
お呼びが掛からないかもしれない。

強い風の音で早く目覚めた私は、近くの落雷に身を竦めながら
“老人”についてあれこれと考えていた。突然、「好かれる
年寄りにならにゃーネ〜」という台詞が頭の中に浮かんできた。
「嫌われる方が憚るかナ〜」とも。


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2012年09月09日

初秋の遠雷

ここ一週間ほど、夏から秋への季節の変わり目のせいなのか、
にわか雨や雷の鳴ることが多いような気がする。今朝も、雨音の
中の遠雷を、夢現(ゆめうつつ)の中に聞いていた。急に激しく
降りだしたせいか、障子越しに雨音が強く聞こえるようになり、
目覚まし時計よりも早く起きる破目になった。

布団の上でストレッチをしながらゆっくりと覚醒していく。
障子にピカッと光が映ってから暫くして、ゴロゴロと雷の音が
聞こえるから遠くで鳴っていることが判る。少し目覚めてきた
頭の中で、さっき浮かんだ“遠雷”という言葉を考えていた。
「確か季語としては夏ではなかったカナ」。ソロソロと起き
出してパソコン・電子手帳・大学ノート・ボールペンと、私の
七つ道具(四つじゃないか!)をテーブルの上に並べていく。

我が家自家製の冷たいお茶(朝鮮ニンジン茶・ドクダミ・麦茶
など7種類の茶葉をブレンドしたもの)を飲みながら、おもむろ
に電子手帳で“遠雷”を引いてみる。「遠くで鳴る雷、季語は夏」
と簡単な説明しか出てこない。意味はOKなのだが、夏だけでは
納得できない。今度はパソコンの出番である。遠雷では電子手帳
と同じ解説なので、“季語”一覧 Wikipediaを覗いて見る。
ここには四季の季語が色んなジャンルに分類されて出てくる。

夏の季語の中の天文の欄に、晩夏の中に遠雷は載っていた。
ようやく探し当てて「エ〜」と思ったことは、晩夏が(太陽暦:
7月、旧暦6月)と書いてあったからだ。私が常日頃感じて
いた晩夏は、8月であったのだ。これは後で私の思い違いで
あったと判るのであるが。季語というものは二十四節気から
きていて、1年が12カ月であるから二節気で一ト月、1年を
四季で分けると3カ月(六節気)となる。この3カ月が
“初・仲・晩”で表されるのだ。秋で例えると初秋(8月)
・仲秋・(9月)・晩秋(10月)となるのである。

パソコンで知り得た(?)文字や知識を、大学ノートに書き
写してはワードでブログの文を書いていく。この繰り返しを
経て私の文章は出来上がっていくのだ。仲秋=9月で先の季節の
ズレという思い違いが判明したのだ。更に“中秋の名月”を
引いて見ると、また・又、知ったかぶりの勘違いに出くわした。
「中秋と仲秋」とが出てきたのだ。

中秋とは、旧暦の秋(7・8・9月)の真ん中の“日”を指す
言葉で、旧暦の8月15日のことです。因みに今年の中秋は
9月30日に当たります、「中秋の名月」・「仲秋の名月」と
読み方は同じ「ちゅうしゅう」でも漢字が違うのを見掛けた
ことがありますが。「仲秋」の方の意味は秋の真ん中の“月”
を指す言葉で旧暦の8月を指すのだそう。と、いうことで
本来は「中秋の名月」と書くのが正しいようです。私はこれまで
この言葉を使う時、“仲秋の名月”と書いていました。

ここまで書いてきて、タイトルの“初秋の遠雷”は文法的に
おかしいのではないかと気に掛かった。太陽暦と旧暦が頭の
中でゴッチャになって少々こんがらがってきた。旧暦の初秋
(7月)を太陽暦に置き換えると、8月21日〜9月15日と
なるので季節は合っている。ただ、初秋に晩夏の季語は季節
外れの感は否めませんネ。チョッピリ安心すると同時に「最近
では年寄りが若者に尊敬されなくなった」という話を思い出した。

一昔前であれば判らないことがあれば経験豊富な長老に話を聞き
に行って知識を仕入れていた。現代ではパソコンの普及により、
若者は年寄りの話を聞く必要がなくなり、段々リスペクトしなく
なっていったという。まるでこの年寄りとはわたしのことを
言っているようだ。ウロ覚えの知ったかぶりはしないように気を
付けなくっては。銀行振り込みにより、給料袋で現金を家に持ち
帰ることのなくなった父親の権威喪失と似た悲しい物語である。

あと2週間ほどで“暑さ寒さも彼岸まで”の秋分の日を迎える。
夏の終焉もすぐそこまで来ているのかもしれない。
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2012年08月28日

言葉を知る楽しさ

ある文の中に「万緑叢中紅一点」と言う言葉を見付けた。
この文の構成の導き方に、若者らしい純粋さが見て取れ、
紅一点を努力する私たち一人一人と導いていて、たいへん
興味深く読ませてもらった。

いつもの癖で電子辞書を開き「ばんりょく そうちゅう 
こういってん」を引いてみた。@ 万緑の中に一点の紅花が
あって、ひときわ目立つこと。A 多くの男性の中に、
ただ一人の女性が混じっている例え。紅一点。とある。

一面の緑の中に・・・が本来の意味であるが、日本では
明治以降、多くのものの中でただ一つ異彩を放つもの。
の意味で使われ、その後に男性ばかりの中で女性が・・・
となり、現代では万緑叢中が省略され紅一点がただ一人の
女性と言う使われ方をしている。

「ああ成程」と、ここで終わらせないのが私の真骨頂?
(しつこさ)であり、「紅一点」の反対語を調べてみると、
俗語的には 黒一点、白一点、青一点の順に使われ、
意味の反対として紅の中の緑ということで、緑一点と
いうのが少数意見であった。

白、黒の言葉の響きから「素人」と言う言葉が頭に浮かんだ。
それではこの反対語は何か。「玄人」である。この二つの
言葉に白黒が関係しているのか。答えはYesである。これは
囲碁からきていて、中国では素=白、玄=黒を表し白人(しろ
ひと)、黒人(くろひと)から音便化して「素人」、「玄人」
となった。とある。

私はこれらの言葉を大学ノートに記していく。霞みの掛かり
始めた私の頭はこうしないと、鶏(に対して失礼)のように
三歩あゆめば、もうさっきのことを忘れてしまうのだ。書き
終えてページを捲り戻してみると、2012・3・19の項に、
椿・榎・楸(ひさぎ、アカメガシワ)・柊(ひいらぎ)、と
あった。その下には、「馬上、枕上(ちんじょう)、厠上
(しじょう)」の三上(さんじょう)が考え事に適していると、
古人も指摘している。例外的にギリシャの数学者は「湯上」で
閃きを得て、ユリイカと叫んだともいわれる。と記している。

最近、喜寿を迎えた姉と話をした時、高齢者の免許の切り替え
には講習の他に、適性検査やアルツハイマー(記憶力)の検査
などをしなければならない。と言っていた。65歳以上は介護
保険の対象者である。自分ではマダマダと思っていても世間
では紛れもない老人なのである。不承不承、年寄りだという
ことを認識しながら、頭の方は「晩学といえども碩学に登る」
(年を取ってから学問を始めても充実した知識を持つことは
出来る)を旨とし、体の方は早朝にウォーキングをし、暑さ
に負けず山登りとゴルフの練習を再開しようと考えている。
「秋の入り日と 年寄りは 段々おちめが 早くなる」に
逆らって頑張ろう。

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2012年08月22日

一年ぶりの山登り

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20日(月)に六ケ岳に家人と2人で登った。約1年ぶりの
ことだ。先週、予定していたのだが、日曜に予約が入り仕事と
なり、この日に延期することにしていた。

夕食が終わり、涼んでいる家人に「明日4時起きの4時半出
だからネ」と告げると、いい返事が帰ってこない。答えを出
さないままサッサと2階に上がり寝てしまった。片付けを
済ましてさあ寝ようと思ったら、次男の剛士から「明日、
ゴルフで早いから泊まらせて」と、電話が入り夜食の用意や
久し振りの親子の会話で結局、寝たのは3時前であった。
「オカン、4時半はヤメたがいいよ」と父子で同じことを
言われ、「それでは6時出発にするか」と床についた。

オニギリを握ったり飲み物の用意をしていたら、息子が
「あれな〜い、これな〜い」と作業の邪魔をする。家人も
起き出してきて、息子を送り出し我々が出発するのは8時に
なってしまった。

道々の会話。「昨夜、返事が悪かったネ。自転車のほうが
よかったン?」。「そうじゃなくて、本当言うと歩くのが
少し自信がなかったのョ」。「100Km走れるのに20Km
歩けんノ」。「自転車と山登りは別ョ」。「この暑い中、
六ケ岳に登ることを近所の人が知ったら、変態夫婦て言われ
るョ」。掛け合い漫才のような会話でもしなければ山は遠い
のである。近づいて来ないのだ。

チョットでも日陰を求めて右に行ったり左に行ったり、一歩
前進、二歩前進、とうとう田んぼの畦道に掛かり日陰は全く
無くなってしまった。頭からタオルを二重に被り覆面にし、
サングラスを掛け、、野球帽の上に鍔広の帽子、腕抜きをして、
長袖のシャツ、体操用のパンツと、日焼け防止を完璧にやって
いるので、どこのオバサンだか判らない格好である。

長いブランクのせいで体の方が山登りをスッカリ忘れてしま
っている。この暑さのせいもあろうが、覆面のせいで息苦しい
し歩みが辛い。最近では今日が一番蒸し暑い。いつもであれば
高速道路のガード下で、最初の休憩をするのだがそこまでもた
ない。高圧鉄塔の近くにあるポンプ小屋の日陰で休憩となった。
今回はポカリ、コーヒー、お茶と飲み物をたくさん用意した。
そのせいかやけにリュックが重いのだ。「さては私のリュック
に多く詰め込んだナ」。と言うと、「いいョ、ほら交換して
あげるョ」。そっちを抱えると倍くらい重かった。「そうだ
ヨネ〜。私に重い方を持たせるはず無いもんネ」。

直方・赤間線の県道を越え、川の畔を登って行く。軽い上り
こう配が続き長谷観音へと道は続く。六ケ岳は今日で4回目で
あろうか。路傍の花がツツジであったり、紫陽花であったり
したから春先に登っているのだろう。長谷の集落を過ぎると
登山口はすぐなのだが、そこまでもたず木陰で休憩。頂上の
アンテナ塔が見えない位、山裾まで来ているのだが足の方が
もたない。「これでは急傾斜の山道は大丈夫かナ」と、心配
になる。

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登山口に到着。ここまで所要時間2時間。頂上までは約40分。
登り始めると案の定、足が上がらない。今までの登山で今回が
一番キツイ。この長谷の方からの登山道は五合目くらいから
上には道に沿ってロープが張られている。これは足元は岩場で、
急勾配の道であるために転倒や転落など危険防止のためにある
のだ。鷹取山や福智山でさえ、このような箇所はない。多めに
休憩を取り、最後はリュックまで持ってもらってなんとか頂上
に到達した。

頂上には1時間ほど前に宮若方面から登って来たという2人の
若者がいた。「他の友達にも声を掛けたんですが皆フラレました。
この暑さジャネ〜」と笑う2人に「あれが福智、尺岳、鷹取、
帆柱で標高何百m」と教えてやっている。頂上には小さな日陰が
できるチョットした屋根のついた休憩所?があり、その下で昼食。
風が涼しく思ったよりも暑くない。下界の喧騒から離れ、鳥の
囀りに耳を傾け、刻々と形を変える流れゆく雲を眺め、オニギリ
を頬張りながら家人が一言。

「幸せだな〜」。「それだけ?。下の句は?」。「推(お)して
知るべし」。「代わりに言うチャル。君と居る時が一番幸せ
なんだ」。「強制は良くないですョ。本人の自主性に任せん
ト」。「待っといたらいつのことになるやら」。

昔、「君は高嶺のユリの花 我は野に咲く蓮華草 所詮添え
ない仲なれば 一つ花瓶で寄りそいぬ」て、う〜たやろ。
忘れたん。この暑さの中、難行苦行して下山した私は、完全
武装の甲斐無く日焼けはするし、大汗をかいてさぞかし体重も
減っただろうと楽しみに体重計に乗ると、ナ・何と水分の摂り
すぎによる水ぶくれのためか、はたまた握ったら離さない性格
ゆえか、増えているではないか。これだから夏山登山は嫌い
ョ〜。
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2012年08月06日

風化して行く事柄

私がウォーキングをしている浮洲公園の池の畔に小さな墓地が
ある。いつもであれば何気なく通り過ぎて行くのであるが、
フッと目をやると崩れ落ちた石塔が、辛うじて石垣に傾いた
格好で佇んでいる古いお墓を見付けた。近づいて墓標の銘を
読んでみると“陸軍伍長”までは読めたが、その下は落ちた
際に崩れたものか、時の経過と共に風化が進んだためなのか
読めなかった。

おそらく先の大戦で戦死された村人の誰かのお墓であろう。
こうやって崩れたまま放置されているところを見ると、周りの
人ももう居ないのかもしれない。“風化”とは地表及び岩石が
空気・水などの物理的・化学的作用で次第に崩されること。
比喩的に、心に刻まれたものが弱くなっていくこと。とある。

67年前の今日(8月6日)は広島に原爆が投下された日であり、
9日に長崎に、そして15日に終戦となる。この戦争で多くの
方々が亡くなり家財をなくした。生き残った人々は焦土と化した
国土を、絶望の中から這い上がってきて今日の繁栄を築いてきて
いる。この夏の暑さは67年前も現在も大して変わらないで
あろう。しかし、平和がもたらした私たちを囲む環境は、
当時を忘却の彼方に押しやってしまうほどの変わりようだ。

昭和30年代に“戦後は終わった”などと言われた時期があった。
本当にそうであろうか。沖縄基地問題、靖国参拝、従軍慰安婦、
ヒロシマ、ナガサキと、思い出せば指折り数えるほど出てくる。
何一つ答えは導き出されていないのだ。今の日本でどれほどの
人が世界で唯一の被爆国であるとの認識を持っているだろうか。
まだ我々の世代では心の奥の方に、戦争体験は無いにしても
戦後の食糧難はウッスラと記憶にあるし、親からも戦争の
悲惨な話は聞いている。

全世界の人々は争いが悪であることを知っている。しかし、
戦争は無くならない。人が人の命を奪い、財産を壊し、国を
荒廃させているのだ。親は子を育てる時に、「嘘をつくな、
盗るな、挨拶をせよ」と教え、相手を思い遣る心を持たせて
社会に送り出すのである。争いは相手の全人格を否定している。
自分を育ててくれた母親の教えを否定しているのである。
これほどの親不孝はないだろう。争う前に悲しむ母親を、
家族を思い出せと言いたい。

この名も知らない陸軍伍長の母親も人前では繕っていた
だろうが、陰では息子の死を嘆き悲しんだに違いない。
この暑さの中で傾いて風化した石塔は何も語らない。
おそらく命日やお盆には花と線香を手向けるために老いた
母親は、村落からはかなりの距離にあるこのお墓に参って、
手を合わせていたことであろう。いつの日かお墓に参る人も
手入れする人もいなくなり、陸軍伍長の名前もお墓も人々の
記憶から風化してしまって、忘れ去られてしまうのだろう。

時の流れは少年を老人にし、欲を失くさせて行き、記憶を
曖昧にし、悲しみを薄れさせていく。しかし、世の中には
風化させてはならないもの、記憶に留めおくもの、語り継ぐ
ものなどがあることを、この傾いたお墓は私に思い出させて
くれた。今年のお盆は両親や妹を参ろうと考えた。チョッピリ
感傷的になった私は、小さく手を合わせてその場を去った。
風化という言葉が胸の奥に、とけない蟠(わだかま)りの
ように留まっている。
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2012年07月08日

コラムを読んで

昨日(7日)は七夕であった。直方駅前商店街には毎年恒例の、
近隣の幼稚園児が作る七夕飾りが並んでいる。雨こそ降らなか
ったが、曇天であったから牽牛と織姫は、年に一回の逢瀬を
楽しめたのであろうか。

明けて8日(日)は梅雨の中休みであろうか、昼からは
素晴らしい青空であった。昨夜は仕事が終わって帰宅した
のが朝方の5時近かったから、午前中の空模様は夢の中で
あったから判らないのだ。七夕の夜が今日のような空模様
であれば、天の川を渡って一年に一度のデートが出来たで
あろうに。

手早く布団や洋服などを干し終え、久し振りに大好きなサウナへ。
夜の8時まで腹一杯サウナを満喫するのである。サウナ嫌いの
家人からは、「亭主は汗を流して金を稼ぐのに、女房は汗を
流すのに金を払う」と、若い頃はよく言われたものだが、最近
では「日曜に女房が家にいると注文が多くてかなわん」と
ばかりにサッサと送り出してくれる。

8時に迎えに来てもらい、帰るとチャンと夕食が整っている。
今晩は冷シャブと焼きサンマ、ナスのキンピラ風味付けがテー
ブルに並んでいて、私は座っているだけで冷えたビールが出て
くる。「いっただきまーす」一気に喉に流し込むビールの美味
しいこと。普段は夫婦の会話も時間がないために出来ないのだが、
日曜の夜はお酒を飲みながらの食事となり、いろんな話題がテー
ブルにのぼるのである。

今晩の話題は“コラム モレシャン夫妻の北陸記”であった。
このコラムは月一回、いろんなジャンルの題を夫婦で其々に
書くのである。フランスと日本の考え方に違いが見えて、毎月
楽しみに読ませてもらっている。この夫婦に親近感をおぼえる
のは、日本人の夫に外人の妻、姉さん女房と条件が私と似通っ
ているところにあるのかもしれない。

今月のお題は“健康志向”であった。妻のモレシャンさんのタイ
トルは“ダイエット忠告、無視する夫”でこう書き出している。
世界的(日本も含め)に肥満化現象が顕著になっている。肥満は
国民の健康を蝕み、福祉国家の財政に影響し、国民はさらなる
税金を強いられる。今や肥満は国家の敵であり、肥満との戦争で
ある。長年、不健康な生活をしてきた夫が数年前から禁煙、
サプリ、ストレッチ体操と、急に健康志向に変身。ここまでは
よいが、食事と運動に関しては駄目。長い間健康に気を付けて、
今ではダイエットとフィットネスの専門家と言っていい程の妻
からの「愛情あふれた」忠告や指導をことごとく拒否。最後
には「ウルサイこれでいいのだ」。夫の中途半端な努力を黙っ
て見ていればいいのか。それともウルサイと嫌がられても
「貴方のためなのよ」と教え続けるべきなのか。とにかく
ガンコな困った夫です。

一方、夫の永瀧達治さんのタイトルは“ワシの言い訳「オマエ」
のため”。いろいろと妻の言い分に対して言い訳を並べて
いるが、要約すると健康志向になったのはデジタル音痴の妻の
ために長生きする。ダイエットでスリムになってもストレスが
よくない。ストレスのない生活・・・メタボ腹を気にしながら
も、美味しい酒と食事、そして優しい妻がいると・・・きっと
長生きできると思うのだが。

これを読んで我が家と比較してみると、夫の健康志向は同じ
なのであるが、ダイエットが必要なのは私の方なのだ。ご馳走
満腹主義の私と粗食小食主義の家人。自分に優しい私、厳しい
家人。言い訳するしない等など。ダイエットに関しては努力、
継続どれをとっても私が負けている。10年ほど前にヘビース
モーカーだった家人は禁煙した。その反動で6Kgほど体重が
増えて夏のズボンが入らなくなった。この先が私と違うところ
であるが、1年かけて66Kgから57Kgまで9Kg減量したので
ある。現在もロードバイクを頑張っている。8月で地球半周の
20000Kmに到達するという。「自転車は楽しい?」と問う
と、「楽しくない」と答える。

私の感性では楽しくないことは努力は勿論、継続さえも出来
ないと思うのだが。、思考回路の仕組みの違いなのでしょうか。
暑かろうが、寒かろうが自分が決めた目標に向かって黙々と
行動する。私には到底真似はできません。せめてサウナで汗と
ストレスを流すのが、現在の私に出来る健康法かもしれません。
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2012年06月21日

6月の花嫁

“June bride”を直訳すると6月の花嫁となるのですが、
これは6月に結婚した花嫁は幸せになれるというヨーロッパ
からの伝承なのです。この由来には諸説あり、最も知られて
いるのは、June(6月)という月名がローマ神話の結婚を
つかさどる女神であるジューノ(Juno)からきているため、
この女神の月に結婚すれば幸せになるだろう、とあやかった
とする説。

文章を書くために資料集めをしていると面白い記事に当たった。
まず、月別婚姻件数で見ると8月、9月、1月に次いで6月が少ない
のである。理由としては6月は日本では最も降水量が多い梅雨
だから。この梅雨の影響により結婚業界が“どうしても客足が
遠のきがちな6月の経営不振を払拭するために、”ヨーロッパの
情報を宣伝して国民に浸透させたというリアルストーリーがある。
このような営業形態はバレンタインデーのチョコレートや恵方
巻きなどにみられる。因みに、ヨーロッパの6月は1年中で最も
雨が少ないと言われている。8・9・1月も暑い・寒いが少ない
理由になっているのだろう。

ジューンブライドという響きは適齢期の女性にとっては憧れで
あろう。女性が結婚相手に求める条件は、バブル期には「高収入、
高学歴、高身長」の“三高”が結婚の決め手といわれていたが、
経済が不安定となった近年は、“三低”が相手に求める条件に
変わってきているそうだ。その三低とは「低姿勢(関白亭主より
フェミニスト)、低リスク(一攫千金の社長より公務員)、
低依存(ベッタリよりも距離を保つ)」を言うらしい。又、
恋愛相手には性格と外見を求め、結婚相手には性格と財力を
重視するという。高収入の女性の結婚率の低下が見られるのも、
不況の時代に“三高”の男性が少なくなっているのも一因なのか。

一方、男性の側から見て、どんな条件を女性に求めるのかを
調べてみると、@料理上手「男は胃袋でつかめ」 A 知性・
教養・会話力「能ある鷹は爪を隠す。といった謙虚な女性
だったら最高」 B お金「経済が悪くなると今後は共働きが
常態となっていく。ビジネススキルがある女性というのは
満足度の高い女性といえ、結婚に望まれる資質といえる」。
こちらも条件としたら”三高“になるのではないか。

与謝野鉄幹(1873〜1935)の“人を恋ふる歌”には
「妻を娶らば 才たけて 顔(みめ)ふるはしく 情けある
・・・」と歌っている。一世紀の隔たりでこうも変わって
くるものであろうか。因みに、妻の晶子はどんな女性かというと、
鉄幹と知り合い不倫の関係となり後に結婚。12人の子沢山となる。
作家・歌人・評論家として活躍し、「みだれ髪」、「君死に
たまうことなかれ」などが有名。鉄幹と共に文化学院創設に
携わり、男女平等教育を唱え、日本初の男女共学を成立させる。
夫の不遇時代に大いに創作に励み家計を助けたと言う。写真で
お顔を拝見すると面長で気の強そうなハッキリした顔である。
夫 鉄幹の詠んだ三拍子揃った女性は妻 晶子のことかも
しれない。

21日は“夏至”であり、22日は“夫婦の日である。侍の時代の
政略結婚や、戦前までの親同志が交わした許婚同志の見合い
結婚は別にして、戦後は両性の合意に元づけば結婚出来るよう
になっている。式の形態も当人たちの希望したものになったいき、
親の出る幕はない。“老兵は黙して語らずただ去るのみ”なのか。

22日早朝より博多港よりビートルにのって釜山であるライオンズ
世界大会に行って来ます。その前に宿題を済ませようと大急ぎで
作文を書きました。このことは又、帰ってから報告します。
台風5号が消えてよかった。
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2012年06月19日

娘家族の里帰り

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今月の1日(金)の夜中に娘夫婦が孫たちと一緒に里帰り
してきた。去年の12月以来だから半年ぶりのことである。
今回は1日〜2日にかけてお店で大きなイベントの予約があり、
長男もそれに関連した活動をしていたので、こちらは大忙しの
状態ではあった。帰りたい時に、思い立った時に、帰って
来ればいいという考えでいるので、あちらの都合や、こちら
のと言っていたらなかなか決まらないので、こちらの都合は
敢えて伝えることはせず、娘たちの都合を優先している。
只でさえ管理職となった会社勤めの身では、そうそう休みも
取れないのが現状であろうから。

里帰りする時は、勤めから帰ってからお風呂に入り、夜7時
過ぎに京都を出てこちらに夜中の2時頃に着くのである。
いつもであれば広島通過くらいのタイミングでメールが
入るのであるが、今回はそれが無かったのでチョッピリ心配で
あった。あとで聞くと娘は爆睡していたそうだ。こちらも
忙しく片付けを終えて自宅に戻ったのは4時を過ぎていた。
皆を起こさないように静かにお風呂に入り床に着いたのは
5時過ぎであった。

朝は7時前から階下は騒がしくなっていった。さすがに
孫たちを抑えているのだろう。それでも10時過ぎには
2階の私が寝ているベッドに乗り上がってきて「バーバー
起きて!!」。可哀そうだが「ジージーも起こしなさい」。
喜び勇んで隣の部屋へ飛び込んで行く。寝ているところを
起こされて目をこすりながら起きてきた。普通の人とは
真逆の生活をしている私たちにとって、この時間は真夜中
なのだ。

コーヒーを飲みながら2日間の予定を話し合う。お店は
食事の予約が入っており、その準備のため早く家を出な
ければならない。長男も日曜まで予定がビッシリ詰まって
おり、娘たちに会う事もできない。家人の提案で食事を
お店で摂れば長男の顔も見れるし、もてなすことも出来る。
日曜は次男の勤めているお店で食事をしょうと言うことに
決まった。少しでも娘たちと一緒に居れるようにと、私を
家に残して家人は一人で準備のためお店に出掛けて行った。

近所の食事処で孫たちとお昼を食べながら、里帰りについて
考えていた。実家が川向うにあり、「オーイ」と声を掛け
られたら走って行けるくらい近くにあるため、私は里帰りと
いうものをしたことがない。母親が健在だったころは毎日が
里帰りみたいなものであった。家人は長男であるが、結婚する
前に姑は亡くなっていたから、嫁姑の複雑な関係も体験した
ことがない。なので結婚以来、私は何不自由なく支障なく
今まで過ごしてきた。行きたい時に実家へ行き、夜中までも
母といろんな話をしてきた。若い頃は厳しい人であったが、
私が結婚する頃には随分と柔軟な考え方をするようになって
いた。私の不満や愚痴やいろんな話を聞いてくれ、人生の
先輩として的確なアドバイスをしてくれ、それによって私は
どれだけ助けられたかしれない。

そんなこんなで実家の恩恵に授かって来た私は娘を遠くに
嫁がせ、お互いが助け合うことも自由に話をすることも出来ず
今日に至っている。京都のお姑さんも亡くなり、子供を育てる
のに孤軍奮闘の毎日である。ようやく幼稚園に二人とも通う
ようになり、娘自身も以前お世話になっていた美容院に勤め
だしたとのこと。娘の話を聞きながら、母と私と娘が時代を
経てダブるのである。何十年か後には全く同じ体験を娘がする
のであろう。いくらSKYPEで顔を見ながら話しても、こうして
孫を横目で追いながら間近で話すとでは比べようもない。

小さい頃から勝気な娘であったが、母親となったことで辛抱が
身に付き随分と逞しくなった。私の育て方から見れば、少し
子供たちに甘いとは思うが、そこは口を出す範疇にはない。
私たちの子育ては終了しているのだから。どこまでも孫には
甘いジージーとバーバなのだ。あと何年かすれば小学校に
あがり、里帰りも休みの期間しか出来なくなるし、婿殿も
仕事の都合でいつまで里帰りに付き合えるか判らない。
そうなったらなったで違う形が生まれてくるのだろう。
親が生きていればこその里帰りであろう。いつまでも元気で
いたいと、孫たちが帰って静けさを取り戻した居間で、
コーヒーを飲みながらの、ジージーと バーバの会話であった。
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2012年05月29日

古希を迎えた誕生日

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5月8日は私の69歳の誕生日であった。古来、祝い事は
満ではなく、数えでやる習慣なので今年が古希となる。
ライオンズクラブでも今年の1月の例会でお祝いを頂いた。
還暦の時もそうであったが、自身の自覚がないままに周りが
祝ってくれた。

今年は古希の誕生日(8日)、と母の日(13日)が近いため
家族はそれぞれが私のことを考えてくれたようだ。家人は早々と
iPadをプレゼントしてくれた。本人曰く、「モヤイ(共同)で
使おうネ」と、言うから要するに自分が欲しかっただけでは
ないのか。アナログ人間の私が使いこなせないだろうと、先を
見越してゆく行くは自分の物にと目論んでいるのか。同時に幾つ
ものことをやれないので、取り敢えずカレンダーに行事予定を
入れ込むことから始めてみようと考えている。その後は音楽を
楽しみたいと思っている。パソコンとの違いは手軽に持ち運べて、
しかも外で使用出来るというのが魅力である。どこまで使い
こなせるかは未知数であるが、楽しみが一つ増えた。

それともう一つは子供たち3人がテレビをプレゼントしてくれた。
我が家では去年の地デジ移行の際にテレビを廃止してしまった。
新しく買い替えなくても部品を付ければ古いテレビでも見られた
のであるが、何となくそうなってしまった。それから1年近くに
なるが別に不便を感じていない。見ようと思えばワンセグの
アンテナをパソコンに付けて見られるし、ニュースなどは
インターネットで十分間に合っている。気持ちの中では有っても
いいかナと思っていた矢先に、子供たちが話し合って娘の発案で
プレゼントはテレビにしようとなったそうである。

日曜(13日)の早朝から応接間でガサゴソ何やら音が聞こえて
いた。起きて部屋に入って見ると大きな画面の薄型テレビが
どんと据えてある。「どしたん それ」初期設定をしている
家人の背中に問いかけた。「子供からのお誕生日兼古希の
プレゼントです。昨日宅急便で届きました」。驚くやら嬉しく
なるやら、毎年この時期になると何らかのアクションがあるの
だが、今年は娘からのバースデイカードだけで「今回は何も
なしかナ?」と、思っていた謎がこれで解けた。「みんなそれ
ぞれに生活があるのに申し訳ないね〜」。

早速、夕方に電気店にいって、iPad用の画面に張るフイルムと、
テレビとパソコンを繋ぐHDMIコードを購入。最新型のテレビは
従来の物と違って見るだけではなく、色んな使い方楽しみ方が
出来るようになっている。当然、その方面に疎いから全面的に
お任せである。お金は出し渋るが口は出すタイプの私は、出費は
抑えて最大限の楽しみを要求する。「そんな虫のいい話はあり
ません」。SkypeもYouTubeも出来るし、パソコンのモニターと
してでも使えると言う。「作文書くのにそんなに大きくしなく
ても見えるよ」とピント外れなことを言うと、「パソコンの中の
映画や画像を大画面で見るの」いたく納得。

iPadで音楽を楽しもうと思うと、iTunesに曲を入れてもらい
(当然、無料のものを)、聞くための操作を何度も教えてもらい
ながらようやくなのだ。両方とも私が貰った物だから自分の
所有物であるはずなのに、使い方が定かでないために私の手中
にはない。何とももどかしい限りである。今日はiPadの中にある
ICレコーダーやビデオ、カメラの操作を教えてもらったが、
デジタルに関しては三歩 歩めば端から忘れてしまう私のアナ
ログ頭脳は、判ったつもりが次にページを開くと、もうチンプン
カンプン。また、一からやり直しである。いつになったら一講釈
述べられるようになるのやら。




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