2012年09月28日

偶然の出逢い 諸九尼(しょきゅうに)

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名は勿論のこと、その存在すら知らなかった。偶然の為せる
業なのである。家人に送ってもらって所用で直方中央公民館を
訪ねた。20日の午後のことであった。用事を終わらせ車に
戻ると家人がいない。どこに行ったかと辺りを見回すと
デジカメ片手に花壇の雑草を引き抜いている。寄って行って
「何しとるん?」と声を掛けると「彼岸花が咲いているので、
写真を撮るために邪魔な草を抜いている」と答えた。この時は
何も感じないままお店に帰り、パソコンに写真を取り込んで
それを見せてもらった時であった。

彼岸花の後ろに御影石で出来た石碑があって、碑文に「世越捨亭
見類分別や  山さくら 諸九」(よをすてて みるふんべつや
やまざくら しょきゅう)と書かれてあった。原文ではこう
書かれているのかは判らない。興味が湧いてきて調べてみる
ことに。

有井諸九尼(1714〜1781)田主丸に生まれる。
江戸中期の俳人。同時期に「朝顔に つるべ取られて 
もらい水」の加賀の千代女がいる。人妻でありながら、俳人
有井湖白(後に浮風)と不義密通欠落ち(駆け落ち)し、
大阪・京都に住む。浮風と共に宗匠として俳諧に専念する。
「剃り捨てて 見れば芥や 秋の霜  諸九尼」。
諸九尼49歳。夫を亡くして剃髪し、名を諸九尼と改めた時の
句である。20年暮らしを共にしてきた愛しさと共に、
これから生きていく決意を芥(あくた)と表現した黒髪に
託している。夫 浮風61歳 京に没す。「つれもあり 
いまはの空の ほととぎす」を辞世の句として。

57歳の時、奥の細道(京都〜仙台、550里【2200Km】)
を5カ月余り掛けて単独で踏破。この旅の紀行を「秋かぜの記」
にまとめて刊行。夫浮風の17回忌をすませたあと、夫の
生まれ育った直方に移り住む。天明元年(1781年)9月
10日68歳で永眠。浮風と共に直方市山部の随専寺の比翼塚
に眠っている。「夢見るも 仕事のうちや 春の雨」が辞世の
句である。

随専寺はお店から御館橋を渡り10分ほどの距離にある。
地元の人によると、比翼塚と銀杏の黄葉で有名なお寺だそうだ。
私は年に2回はお寺を訪ね、住職の宮崎良寛先生にお会いして
いるのだが、行く時はいつも裏口から伺うので表の看板などは
見たことが無く、先生からもこの話を伺ったこともなかった。

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翌日、時間があったので散歩がてら随専寺の比翼塚を見に行く
ことにした。歴史は知れば面白いもので、いつもは何気なく
渡っている御館橋も名の由来を知ると、いっぽ一歩踏みしめて
歩きたくなる。これは黒田長清公が妙見山の頂上にあった多賀
神社を現在の位置に移し、山頂(現・多賀公園)に直方城を
建てた。この頃の一国一城令により、城と呼べず御館(おたて)
と呼ばれた。名はここからきている。道路を下ると右手に雲心寺
がある。直方藩ゆかりの墓所があり、春の桜が見事である。
左へ曲がった右側に随専寺はある。諸九尼を説明した看板が
2枚あり、石段の右手には石柱もある。石段を登り山門を
くぐり本堂の左脇を通り抜け、墓地のある裏山へと入って行く。

両脇に古いお墓が並ぶ山道は4〜5mおきに落ち葉がかき集め
られて燃やされていた。看板には150mと書かれてあったが、
意外と遠く感じられて途中で見落としていないかと心配した
くらい、一番奥の突き当たりに、“比翼塚”はひっそりと佇んで
いた。思ったよりも簡素な墓でこれは弟子や縁りの人たちの手で
建立されたものだという。この名も男女の情愛が深いことを指す、
“比翼連理”からとったものであろう。お墓に向かって手を
合わせ、帰る道すがら諸九尼の人と形(なり)を思った。

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生まれ育った田主丸を29歳の時に故郷と家族を捨てて、
68歳で直方で没するまで40年間一度も里帰りは出来な
かったであろう。年老いた両親も出奔した当時は健在であった
かもしれない。そうだとすれば親の葬式にも参列していない
ことになる。当時、不義密通は斬首に処されるほどの大罪で
ある。親不孝な自分を責めながら、それを打ち消すために
俳諧に打ち込んだのだろう。色んな思いの入り混じった、
悔恨の念が込められた句ではないのか。辞世の句ではなく、
何故、この俳句が碑文に選ばれたのかが判るような気がする。

これほどの情愛を浮風に捧げた諸九尼の生き様に、息苦しい
ほどの感嘆と自分にはない生き方に羨望すら覚える。
このような女性が300年前にこの地に生きていたのだ。
浮風と出逢っていなければ、田主丸の片田舎で平凡な一生を
送ったのかもしれない。男女の出逢いがこれ程までの波乱万丈
な人生になることを示す一例であろう。どちらの人生が良かっ
たのかは知る術もない。
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2012年09月18日

台風接近の敬老の日

16日(日)から台風の影響が出始め、雨は大したことはないが、
風が強く吹くようになった。仕事の方は久し振りの連休である。
本来であればこの連休を利用して、京都の娘の所へ行く予定で
あった。1週間程前から台風接近の予報が出ており、「雨の中
での高速道路は走りたくない」と家人は言うし、気を揉んで
いたのである。

このところすっきりした天気が臨めない上、激しい落雷に
見廻れたりと段々、京都行きの意欲が失せていき、つい何日か
前にキャンセルの電話を娘にしたばかりであった。皆が楽しみ
にしていたイベントであったが天候には敵わない。ドタキャンで
あったため連休にもかかわらず何の予定もないし、第一、台風の
ために動くことも出来ない。

日曜にはサウナに昼から7時まで入り、食事を済ませ早々に寝る
ことに。家人は“全英女子オープン”を夜中の3時頃まで見たと
言っていた。17日の敬老の日は台風が朝6時くらいに北部九州
に最接近して、朝からニュースはそれ一色であった。昨日の
サウナでの会話の中で、敬老の祝賀を16日に予定していた
地域は実施できて、17日に予定している地域は台風接近の
ため危険防止の観点から、行事は中止になるだろうと話していた。

若い頃、敬老の日にはお年寄りに踊りを披露するため、先生を
呼んで習ったり色んなお手伝いをしていたものだ。また、両親が
健在のころは食事に招待したり、お小遣いをあげたりしていた。
我が家の子供たちも、祖父母に手紙を書いたり小遣いを持ち
寄ってプレゼントしたりしていたが、両親が亡くなってからの
敬老の日は我が家には縁遠いものとなり、忘れ去られる存在と
なってしまった。

「多年にわたり、社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を
祝う」ことを趣旨としているのが、敬老の日であることは理解
できる。判らないのは“老人”とはいかなる人を指すのかである。
調べてみると、法律の解釈によっては、45歳から70歳まで
様々である。中には孫がいたら40歳でもその対象となると
いう話まであった。上記の趣旨を自分に置き換えて考えて
みても、ピンとこない。確かに孫はいるが長寿を祝ってもらう
には年が足りない気がするのだが。

例えば、ゲートボールに参加したり、シルバー人材センターに
登録している人を老人の対象とするのには、少し無理がある
のではなかろうか。何故なら。皆さんお元気に励まれている
からだ。“お年寄り”や“高齢者”なら、まだ判り易い気が
する。私の父は86歳で亡くなったが、敬老会には最期まで
参加しなかった。促すと、「あんな年寄りばっかりの所には
行かん」と言う、サウナとコーヒーとパチンコが好きな元気の
良い年寄りであった。

この父の論からすると、自身で老人との認識を持っていない
高齢者は老人の範疇にないというのは暴論であろうか。私も
対象者であるにも関わらずその認識が薄い一人である。それに
”生きがい“を持って生きている人も対象外かもしれない。
老人の解釈と同じで、生きがいも百人百様であろう。何かを
目標とし、それをやることにより幸せを感じることや、自分の
所在や生存が何かの為、誰かの為に役にたっていると感じられる
ことが生きがいなのかもしれない。

老人を色々と調べていたら、“性格特性”と言うものがあった。
その中に「円熟型=過去を後悔することもなく、未来に対しても
希望を持つタイプ」があった。この他にも、安楽・防衛・憤慨・
自責型などがある。要するに人生をポジティブに考え、“もう
少しもう少しと、頑張ろうとしている時が一番幸せな時”を
旨とし、生涯現役を目指して生きていく間は、敬老会からは
お呼びが掛からないかもしれない。

強い風の音で早く目覚めた私は、近くの落雷に身を竦めながら
“老人”についてあれこれと考えていた。突然、「好かれる
年寄りにならにゃーネ〜」という台詞が頭の中に浮かんできた。
「嫌われる方が憚るかナ〜」とも。


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2012年09月09日

初秋の遠雷

ここ一週間ほど、夏から秋への季節の変わり目のせいなのか、
にわか雨や雷の鳴ることが多いような気がする。今朝も、雨音の
中の遠雷を、夢現(ゆめうつつ)の中に聞いていた。急に激しく
降りだしたせいか、障子越しに雨音が強く聞こえるようになり、
目覚まし時計よりも早く起きる破目になった。

布団の上でストレッチをしながらゆっくりと覚醒していく。
障子にピカッと光が映ってから暫くして、ゴロゴロと雷の音が
聞こえるから遠くで鳴っていることが判る。少し目覚めてきた
頭の中で、さっき浮かんだ“遠雷”という言葉を考えていた。
「確か季語としては夏ではなかったカナ」。ソロソロと起き
出してパソコン・電子手帳・大学ノート・ボールペンと、私の
七つ道具(四つじゃないか!)をテーブルの上に並べていく。

我が家自家製の冷たいお茶(朝鮮ニンジン茶・ドクダミ・麦茶
など7種類の茶葉をブレンドしたもの)を飲みながら、おもむろ
に電子手帳で“遠雷”を引いてみる。「遠くで鳴る雷、季語は夏」
と簡単な説明しか出てこない。意味はOKなのだが、夏だけでは
納得できない。今度はパソコンの出番である。遠雷では電子手帳
と同じ解説なので、“季語”一覧 Wikipediaを覗いて見る。
ここには四季の季語が色んなジャンルに分類されて出てくる。

夏の季語の中の天文の欄に、晩夏の中に遠雷は載っていた。
ようやく探し当てて「エ〜」と思ったことは、晩夏が(太陽暦:
7月、旧暦6月)と書いてあったからだ。私が常日頃感じて
いた晩夏は、8月であったのだ。これは後で私の思い違いで
あったと判るのであるが。季語というものは二十四節気から
きていて、1年が12カ月であるから二節気で一ト月、1年を
四季で分けると3カ月(六節気)となる。この3カ月が
“初・仲・晩”で表されるのだ。秋で例えると初秋(8月)
・仲秋・(9月)・晩秋(10月)となるのである。

パソコンで知り得た(?)文字や知識を、大学ノートに書き
写してはワードでブログの文を書いていく。この繰り返しを
経て私の文章は出来上がっていくのだ。仲秋=9月で先の季節の
ズレという思い違いが判明したのだ。更に“中秋の名月”を
引いて見ると、また・又、知ったかぶりの勘違いに出くわした。
「中秋と仲秋」とが出てきたのだ。

中秋とは、旧暦の秋(7・8・9月)の真ん中の“日”を指す
言葉で、旧暦の8月15日のことです。因みに今年の中秋は
9月30日に当たります、「中秋の名月」・「仲秋の名月」と
読み方は同じ「ちゅうしゅう」でも漢字が違うのを見掛けた
ことがありますが。「仲秋」の方の意味は秋の真ん中の“月”
を指す言葉で旧暦の8月を指すのだそう。と、いうことで
本来は「中秋の名月」と書くのが正しいようです。私はこれまで
この言葉を使う時、“仲秋の名月”と書いていました。

ここまで書いてきて、タイトルの“初秋の遠雷”は文法的に
おかしいのではないかと気に掛かった。太陽暦と旧暦が頭の
中でゴッチャになって少々こんがらがってきた。旧暦の初秋
(7月)を太陽暦に置き換えると、8月21日〜9月15日と
なるので季節は合っている。ただ、初秋に晩夏の季語は季節
外れの感は否めませんネ。チョッピリ安心すると同時に「最近
では年寄りが若者に尊敬されなくなった」という話を思い出した。

一昔前であれば判らないことがあれば経験豊富な長老に話を聞き
に行って知識を仕入れていた。現代ではパソコンの普及により、
若者は年寄りの話を聞く必要がなくなり、段々リスペクトしなく
なっていったという。まるでこの年寄りとはわたしのことを
言っているようだ。ウロ覚えの知ったかぶりはしないように気を
付けなくっては。銀行振り込みにより、給料袋で現金を家に持ち
帰ることのなくなった父親の権威喪失と似た悲しい物語である。

あと2週間ほどで“暑さ寒さも彼岸まで”の秋分の日を迎える。
夏の終焉もすぐそこまで来ているのかもしれない。
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2012年08月28日

言葉を知る楽しさ

ある文の中に「万緑叢中紅一点」と言う言葉を見付けた。
この文の構成の導き方に、若者らしい純粋さが見て取れ、
紅一点を努力する私たち一人一人と導いていて、たいへん
興味深く読ませてもらった。

いつもの癖で電子辞書を開き「ばんりょく そうちゅう 
こういってん」を引いてみた。@ 万緑の中に一点の紅花が
あって、ひときわ目立つこと。A 多くの男性の中に、
ただ一人の女性が混じっている例え。紅一点。とある。

一面の緑の中に・・・が本来の意味であるが、日本では
明治以降、多くのものの中でただ一つ異彩を放つもの。
の意味で使われ、その後に男性ばかりの中で女性が・・・
となり、現代では万緑叢中が省略され紅一点がただ一人の
女性と言う使われ方をしている。

「ああ成程」と、ここで終わらせないのが私の真骨頂?
(しつこさ)であり、「紅一点」の反対語を調べてみると、
俗語的には 黒一点、白一点、青一点の順に使われ、
意味の反対として紅の中の緑ということで、緑一点と
いうのが少数意見であった。

白、黒の言葉の響きから「素人」と言う言葉が頭に浮かんだ。
それではこの反対語は何か。「玄人」である。この二つの
言葉に白黒が関係しているのか。答えはYesである。これは
囲碁からきていて、中国では素=白、玄=黒を表し白人(しろ
ひと)、黒人(くろひと)から音便化して「素人」、「玄人」
となった。とある。

私はこれらの言葉を大学ノートに記していく。霞みの掛かり
始めた私の頭はこうしないと、鶏(に対して失礼)のように
三歩あゆめば、もうさっきのことを忘れてしまうのだ。書き
終えてページを捲り戻してみると、2012・3・19の項に、
椿・榎・楸(ひさぎ、アカメガシワ)・柊(ひいらぎ)、と
あった。その下には、「馬上、枕上(ちんじょう)、厠上
(しじょう)」の三上(さんじょう)が考え事に適していると、
古人も指摘している。例外的にギリシャの数学者は「湯上」で
閃きを得て、ユリイカと叫んだともいわれる。と記している。

最近、喜寿を迎えた姉と話をした時、高齢者の免許の切り替え
には講習の他に、適性検査やアルツハイマー(記憶力)の検査
などをしなければならない。と言っていた。65歳以上は介護
保険の対象者である。自分ではマダマダと思っていても世間
では紛れもない老人なのである。不承不承、年寄りだという
ことを認識しながら、頭の方は「晩学といえども碩学に登る」
(年を取ってから学問を始めても充実した知識を持つことは
出来る)を旨とし、体の方は早朝にウォーキングをし、暑さ
に負けず山登りとゴルフの練習を再開しようと考えている。
「秋の入り日と 年寄りは 段々おちめが 早くなる」に
逆らって頑張ろう。

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2012年08月22日

一年ぶりの山登り

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20日(月)に六ケ岳に家人と2人で登った。約1年ぶりの
ことだ。先週、予定していたのだが、日曜に予約が入り仕事と
なり、この日に延期することにしていた。

夕食が終わり、涼んでいる家人に「明日4時起きの4時半出
だからネ」と告げると、いい返事が帰ってこない。答えを出
さないままサッサと2階に上がり寝てしまった。片付けを
済ましてさあ寝ようと思ったら、次男の剛士から「明日、
ゴルフで早いから泊まらせて」と、電話が入り夜食の用意や
久し振りの親子の会話で結局、寝たのは3時前であった。
「オカン、4時半はヤメたがいいよ」と父子で同じことを
言われ、「それでは6時出発にするか」と床についた。

オニギリを握ったり飲み物の用意をしていたら、息子が
「あれな〜い、これな〜い」と作業の邪魔をする。家人も
起き出してきて、息子を送り出し我々が出発するのは8時に
なってしまった。

道々の会話。「昨夜、返事が悪かったネ。自転車のほうが
よかったン?」。「そうじゃなくて、本当言うと歩くのが
少し自信がなかったのョ」。「100Km走れるのに20Km
歩けんノ」。「自転車と山登りは別ョ」。「この暑い中、
六ケ岳に登ることを近所の人が知ったら、変態夫婦て言われ
るョ」。掛け合い漫才のような会話でもしなければ山は遠い
のである。近づいて来ないのだ。

チョットでも日陰を求めて右に行ったり左に行ったり、一歩
前進、二歩前進、とうとう田んぼの畦道に掛かり日陰は全く
無くなってしまった。頭からタオルを二重に被り覆面にし、
サングラスを掛け、、野球帽の上に鍔広の帽子、腕抜きをして、
長袖のシャツ、体操用のパンツと、日焼け防止を完璧にやって
いるので、どこのオバサンだか判らない格好である。

長いブランクのせいで体の方が山登りをスッカリ忘れてしま
っている。この暑さのせいもあろうが、覆面のせいで息苦しい
し歩みが辛い。最近では今日が一番蒸し暑い。いつもであれば
高速道路のガード下で、最初の休憩をするのだがそこまでもた
ない。高圧鉄塔の近くにあるポンプ小屋の日陰で休憩となった。
今回はポカリ、コーヒー、お茶と飲み物をたくさん用意した。
そのせいかやけにリュックが重いのだ。「さては私のリュック
に多く詰め込んだナ」。と言うと、「いいョ、ほら交換して
あげるョ」。そっちを抱えると倍くらい重かった。「そうだ
ヨネ〜。私に重い方を持たせるはず無いもんネ」。

直方・赤間線の県道を越え、川の畔を登って行く。軽い上り
こう配が続き長谷観音へと道は続く。六ケ岳は今日で4回目で
あろうか。路傍の花がツツジであったり、紫陽花であったり
したから春先に登っているのだろう。長谷の集落を過ぎると
登山口はすぐなのだが、そこまでもたず木陰で休憩。頂上の
アンテナ塔が見えない位、山裾まで来ているのだが足の方が
もたない。「これでは急傾斜の山道は大丈夫かナ」と、心配
になる。

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登山口に到着。ここまで所要時間2時間。頂上までは約40分。
登り始めると案の定、足が上がらない。今までの登山で今回が
一番キツイ。この長谷の方からの登山道は五合目くらいから
上には道に沿ってロープが張られている。これは足元は岩場で、
急勾配の道であるために転倒や転落など危険防止のためにある
のだ。鷹取山や福智山でさえ、このような箇所はない。多めに
休憩を取り、最後はリュックまで持ってもらってなんとか頂上
に到達した。

頂上には1時間ほど前に宮若方面から登って来たという2人の
若者がいた。「他の友達にも声を掛けたんですが皆フラレました。
この暑さジャネ〜」と笑う2人に「あれが福智、尺岳、鷹取、
帆柱で標高何百m」と教えてやっている。頂上には小さな日陰が
できるチョットした屋根のついた休憩所?があり、その下で昼食。
風が涼しく思ったよりも暑くない。下界の喧騒から離れ、鳥の
囀りに耳を傾け、刻々と形を変える流れゆく雲を眺め、オニギリ
を頬張りながら家人が一言。

「幸せだな〜」。「それだけ?。下の句は?」。「推(お)して
知るべし」。「代わりに言うチャル。君と居る時が一番幸せ
なんだ」。「強制は良くないですョ。本人の自主性に任せん
ト」。「待っといたらいつのことになるやら」。

昔、「君は高嶺のユリの花 我は野に咲く蓮華草 所詮添え
ない仲なれば 一つ花瓶で寄りそいぬ」て、う〜たやろ。
忘れたん。この暑さの中、難行苦行して下山した私は、完全
武装の甲斐無く日焼けはするし、大汗をかいてさぞかし体重も
減っただろうと楽しみに体重計に乗ると、ナ・何と水分の摂り
すぎによる水ぶくれのためか、はたまた握ったら離さない性格
ゆえか、増えているではないか。これだから夏山登山は嫌い
ョ〜。
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2012年08月06日

風化して行く事柄

私がウォーキングをしている浮洲公園の池の畔に小さな墓地が
ある。いつもであれば何気なく通り過ぎて行くのであるが、
フッと目をやると崩れ落ちた石塔が、辛うじて石垣に傾いた
格好で佇んでいる古いお墓を見付けた。近づいて墓標の銘を
読んでみると“陸軍伍長”までは読めたが、その下は落ちた
際に崩れたものか、時の経過と共に風化が進んだためなのか
読めなかった。

おそらく先の大戦で戦死された村人の誰かのお墓であろう。
こうやって崩れたまま放置されているところを見ると、周りの
人ももう居ないのかもしれない。“風化”とは地表及び岩石が
空気・水などの物理的・化学的作用で次第に崩されること。
比喩的に、心に刻まれたものが弱くなっていくこと。とある。

67年前の今日(8月6日)は広島に原爆が投下された日であり、
9日に長崎に、そして15日に終戦となる。この戦争で多くの
方々が亡くなり家財をなくした。生き残った人々は焦土と化した
国土を、絶望の中から這い上がってきて今日の繁栄を築いてきて
いる。この夏の暑さは67年前も現在も大して変わらないで
あろう。しかし、平和がもたらした私たちを囲む環境は、
当時を忘却の彼方に押しやってしまうほどの変わりようだ。

昭和30年代に“戦後は終わった”などと言われた時期があった。
本当にそうであろうか。沖縄基地問題、靖国参拝、従軍慰安婦、
ヒロシマ、ナガサキと、思い出せば指折り数えるほど出てくる。
何一つ答えは導き出されていないのだ。今の日本でどれほどの
人が世界で唯一の被爆国であるとの認識を持っているだろうか。
まだ我々の世代では心の奥の方に、戦争体験は無いにしても
戦後の食糧難はウッスラと記憶にあるし、親からも戦争の
悲惨な話は聞いている。

全世界の人々は争いが悪であることを知っている。しかし、
戦争は無くならない。人が人の命を奪い、財産を壊し、国を
荒廃させているのだ。親は子を育てる時に、「嘘をつくな、
盗るな、挨拶をせよ」と教え、相手を思い遣る心を持たせて
社会に送り出すのである。争いは相手の全人格を否定している。
自分を育ててくれた母親の教えを否定しているのである。
これほどの親不孝はないだろう。争う前に悲しむ母親を、
家族を思い出せと言いたい。

この名も知らない陸軍伍長の母親も人前では繕っていた
だろうが、陰では息子の死を嘆き悲しんだに違いない。
この暑さの中で傾いて風化した石塔は何も語らない。
おそらく命日やお盆には花と線香を手向けるために老いた
母親は、村落からはかなりの距離にあるこのお墓に参って、
手を合わせていたことであろう。いつの日かお墓に参る人も
手入れする人もいなくなり、陸軍伍長の名前もお墓も人々の
記憶から風化してしまって、忘れ去られてしまうのだろう。

時の流れは少年を老人にし、欲を失くさせて行き、記憶を
曖昧にし、悲しみを薄れさせていく。しかし、世の中には
風化させてはならないもの、記憶に留めおくもの、語り継ぐ
ものなどがあることを、この傾いたお墓は私に思い出させて
くれた。今年のお盆は両親や妹を参ろうと考えた。チョッピリ
感傷的になった私は、小さく手を合わせてその場を去った。
風化という言葉が胸の奥に、とけない蟠(わだかま)りの
ように留まっている。
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2012年07月08日

コラムを読んで

昨日(7日)は七夕であった。直方駅前商店街には毎年恒例の、
近隣の幼稚園児が作る七夕飾りが並んでいる。雨こそ降らなか
ったが、曇天であったから牽牛と織姫は、年に一回の逢瀬を
楽しめたのであろうか。

明けて8日(日)は梅雨の中休みであろうか、昼からは
素晴らしい青空であった。昨夜は仕事が終わって帰宅した
のが朝方の5時近かったから、午前中の空模様は夢の中で
あったから判らないのだ。七夕の夜が今日のような空模様
であれば、天の川を渡って一年に一度のデートが出来たで
あろうに。

手早く布団や洋服などを干し終え、久し振りに大好きなサウナへ。
夜の8時まで腹一杯サウナを満喫するのである。サウナ嫌いの
家人からは、「亭主は汗を流して金を稼ぐのに、女房は汗を
流すのに金を払う」と、若い頃はよく言われたものだが、最近
では「日曜に女房が家にいると注文が多くてかなわん」と
ばかりにサッサと送り出してくれる。

8時に迎えに来てもらい、帰るとチャンと夕食が整っている。
今晩は冷シャブと焼きサンマ、ナスのキンピラ風味付けがテー
ブルに並んでいて、私は座っているだけで冷えたビールが出て
くる。「いっただきまーす」一気に喉に流し込むビールの美味
しいこと。普段は夫婦の会話も時間がないために出来ないのだが、
日曜の夜はお酒を飲みながらの食事となり、いろんな話題がテー
ブルにのぼるのである。

今晩の話題は“コラム モレシャン夫妻の北陸記”であった。
このコラムは月一回、いろんなジャンルの題を夫婦で其々に
書くのである。フランスと日本の考え方に違いが見えて、毎月
楽しみに読ませてもらっている。この夫婦に親近感をおぼえる
のは、日本人の夫に外人の妻、姉さん女房と条件が私と似通っ
ているところにあるのかもしれない。

今月のお題は“健康志向”であった。妻のモレシャンさんのタイ
トルは“ダイエット忠告、無視する夫”でこう書き出している。
世界的(日本も含め)に肥満化現象が顕著になっている。肥満は
国民の健康を蝕み、福祉国家の財政に影響し、国民はさらなる
税金を強いられる。今や肥満は国家の敵であり、肥満との戦争で
ある。長年、不健康な生活をしてきた夫が数年前から禁煙、
サプリ、ストレッチ体操と、急に健康志向に変身。ここまでは
よいが、食事と運動に関しては駄目。長い間健康に気を付けて、
今ではダイエットとフィットネスの専門家と言っていい程の妻
からの「愛情あふれた」忠告や指導をことごとく拒否。最後
には「ウルサイこれでいいのだ」。夫の中途半端な努力を黙っ
て見ていればいいのか。それともウルサイと嫌がられても
「貴方のためなのよ」と教え続けるべきなのか。とにかく
ガンコな困った夫です。

一方、夫の永瀧達治さんのタイトルは“ワシの言い訳「オマエ」
のため”。いろいろと妻の言い分に対して言い訳を並べて
いるが、要約すると健康志向になったのはデジタル音痴の妻の
ために長生きする。ダイエットでスリムになってもストレスが
よくない。ストレスのない生活・・・メタボ腹を気にしながら
も、美味しい酒と食事、そして優しい妻がいると・・・きっと
長生きできると思うのだが。

これを読んで我が家と比較してみると、夫の健康志向は同じ
なのであるが、ダイエットが必要なのは私の方なのだ。ご馳走
満腹主義の私と粗食小食主義の家人。自分に優しい私、厳しい
家人。言い訳するしない等など。ダイエットに関しては努力、
継続どれをとっても私が負けている。10年ほど前にヘビース
モーカーだった家人は禁煙した。その反動で6Kgほど体重が
増えて夏のズボンが入らなくなった。この先が私と違うところ
であるが、1年かけて66Kgから57Kgまで9Kg減量したので
ある。現在もロードバイクを頑張っている。8月で地球半周の
20000Kmに到達するという。「自転車は楽しい?」と問う
と、「楽しくない」と答える。

私の感性では楽しくないことは努力は勿論、継続さえも出来
ないと思うのだが。、思考回路の仕組みの違いなのでしょうか。
暑かろうが、寒かろうが自分が決めた目標に向かって黙々と
行動する。私には到底真似はできません。せめてサウナで汗と
ストレスを流すのが、現在の私に出来る健康法かもしれません。
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2012年06月21日

6月の花嫁

“June bride”を直訳すると6月の花嫁となるのですが、
これは6月に結婚した花嫁は幸せになれるというヨーロッパ
からの伝承なのです。この由来には諸説あり、最も知られて
いるのは、June(6月)という月名がローマ神話の結婚を
つかさどる女神であるジューノ(Juno)からきているため、
この女神の月に結婚すれば幸せになるだろう、とあやかった
とする説。

文章を書くために資料集めをしていると面白い記事に当たった。
まず、月別婚姻件数で見ると8月、9月、1月に次いで6月が少ない
のである。理由としては6月は日本では最も降水量が多い梅雨
だから。この梅雨の影響により結婚業界が“どうしても客足が
遠のきがちな6月の経営不振を払拭するために、”ヨーロッパの
情報を宣伝して国民に浸透させたというリアルストーリーがある。
このような営業形態はバレンタインデーのチョコレートや恵方
巻きなどにみられる。因みに、ヨーロッパの6月は1年中で最も
雨が少ないと言われている。8・9・1月も暑い・寒いが少ない
理由になっているのだろう。

ジューンブライドという響きは適齢期の女性にとっては憧れで
あろう。女性が結婚相手に求める条件は、バブル期には「高収入、
高学歴、高身長」の“三高”が結婚の決め手といわれていたが、
経済が不安定となった近年は、“三低”が相手に求める条件に
変わってきているそうだ。その三低とは「低姿勢(関白亭主より
フェミニスト)、低リスク(一攫千金の社長より公務員)、
低依存(ベッタリよりも距離を保つ)」を言うらしい。又、
恋愛相手には性格と外見を求め、結婚相手には性格と財力を
重視するという。高収入の女性の結婚率の低下が見られるのも、
不況の時代に“三高”の男性が少なくなっているのも一因なのか。

一方、男性の側から見て、どんな条件を女性に求めるのかを
調べてみると、@料理上手「男は胃袋でつかめ」 A 知性・
教養・会話力「能ある鷹は爪を隠す。といった謙虚な女性
だったら最高」 B お金「経済が悪くなると今後は共働きが
常態となっていく。ビジネススキルがある女性というのは
満足度の高い女性といえ、結婚に望まれる資質といえる」。
こちらも条件としたら”三高“になるのではないか。

与謝野鉄幹(1873〜1935)の“人を恋ふる歌”には
「妻を娶らば 才たけて 顔(みめ)ふるはしく 情けある
・・・」と歌っている。一世紀の隔たりでこうも変わって
くるものであろうか。因みに、妻の晶子はどんな女性かというと、
鉄幹と知り合い不倫の関係となり後に結婚。12人の子沢山となる。
作家・歌人・評論家として活躍し、「みだれ髪」、「君死に
たまうことなかれ」などが有名。鉄幹と共に文化学院創設に
携わり、男女平等教育を唱え、日本初の男女共学を成立させる。
夫の不遇時代に大いに創作に励み家計を助けたと言う。写真で
お顔を拝見すると面長で気の強そうなハッキリした顔である。
夫 鉄幹の詠んだ三拍子揃った女性は妻 晶子のことかも
しれない。

21日は“夏至”であり、22日は“夫婦の日である。侍の時代の
政略結婚や、戦前までの親同志が交わした許婚同志の見合い
結婚は別にして、戦後は両性の合意に元づけば結婚出来るよう
になっている。式の形態も当人たちの希望したものになったいき、
親の出る幕はない。“老兵は黙して語らずただ去るのみ”なのか。

22日早朝より博多港よりビートルにのって釜山であるライオンズ
世界大会に行って来ます。その前に宿題を済ませようと大急ぎで
作文を書きました。このことは又、帰ってから報告します。
台風5号が消えてよかった。
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2012年06月19日

娘家族の里帰り

dscf7108.jpg

今月の1日(金)の夜中に娘夫婦が孫たちと一緒に里帰り
してきた。去年の12月以来だから半年ぶりのことである。
今回は1日〜2日にかけてお店で大きなイベントの予約があり、
長男もそれに関連した活動をしていたので、こちらは大忙しの
状態ではあった。帰りたい時に、思い立った時に、帰って
来ればいいという考えでいるので、あちらの都合や、こちら
のと言っていたらなかなか決まらないので、こちらの都合は
敢えて伝えることはせず、娘たちの都合を優先している。
只でさえ管理職となった会社勤めの身では、そうそう休みも
取れないのが現状であろうから。

里帰りする時は、勤めから帰ってからお風呂に入り、夜7時
過ぎに京都を出てこちらに夜中の2時頃に着くのである。
いつもであれば広島通過くらいのタイミングでメールが
入るのであるが、今回はそれが無かったのでチョッピリ心配で
あった。あとで聞くと娘は爆睡していたそうだ。こちらも
忙しく片付けを終えて自宅に戻ったのは4時を過ぎていた。
皆を起こさないように静かにお風呂に入り床に着いたのは
5時過ぎであった。

朝は7時前から階下は騒がしくなっていった。さすがに
孫たちを抑えているのだろう。それでも10時過ぎには
2階の私が寝ているベッドに乗り上がってきて「バーバー
起きて!!」。可哀そうだが「ジージーも起こしなさい」。
喜び勇んで隣の部屋へ飛び込んで行く。寝ているところを
起こされて目をこすりながら起きてきた。普通の人とは
真逆の生活をしている私たちにとって、この時間は真夜中
なのだ。

コーヒーを飲みながら2日間の予定を話し合う。お店は
食事の予約が入っており、その準備のため早く家を出な
ければならない。長男も日曜まで予定がビッシリ詰まって
おり、娘たちに会う事もできない。家人の提案で食事を
お店で摂れば長男の顔も見れるし、もてなすことも出来る。
日曜は次男の勤めているお店で食事をしょうと言うことに
決まった。少しでも娘たちと一緒に居れるようにと、私を
家に残して家人は一人で準備のためお店に出掛けて行った。

近所の食事処で孫たちとお昼を食べながら、里帰りについて
考えていた。実家が川向うにあり、「オーイ」と声を掛け
られたら走って行けるくらい近くにあるため、私は里帰りと
いうものをしたことがない。母親が健在だったころは毎日が
里帰りみたいなものであった。家人は長男であるが、結婚する
前に姑は亡くなっていたから、嫁姑の複雑な関係も体験した
ことがない。なので結婚以来、私は何不自由なく支障なく
今まで過ごしてきた。行きたい時に実家へ行き、夜中までも
母といろんな話をしてきた。若い頃は厳しい人であったが、
私が結婚する頃には随分と柔軟な考え方をするようになって
いた。私の不満や愚痴やいろんな話を聞いてくれ、人生の
先輩として的確なアドバイスをしてくれ、それによって私は
どれだけ助けられたかしれない。

そんなこんなで実家の恩恵に授かって来た私は娘を遠くに
嫁がせ、お互いが助け合うことも自由に話をすることも出来ず
今日に至っている。京都のお姑さんも亡くなり、子供を育てる
のに孤軍奮闘の毎日である。ようやく幼稚園に二人とも通う
ようになり、娘自身も以前お世話になっていた美容院に勤め
だしたとのこと。娘の話を聞きながら、母と私と娘が時代を
経てダブるのである。何十年か後には全く同じ体験を娘がする
のであろう。いくらSKYPEで顔を見ながら話しても、こうして
孫を横目で追いながら間近で話すとでは比べようもない。

小さい頃から勝気な娘であったが、母親となったことで辛抱が
身に付き随分と逞しくなった。私の育て方から見れば、少し
子供たちに甘いとは思うが、そこは口を出す範疇にはない。
私たちの子育ては終了しているのだから。どこまでも孫には
甘いジージーとバーバなのだ。あと何年かすれば小学校に
あがり、里帰りも休みの期間しか出来なくなるし、婿殿も
仕事の都合でいつまで里帰りに付き合えるか判らない。
そうなったらなったで違う形が生まれてくるのだろう。
親が生きていればこその里帰りであろう。いつまでも元気で
いたいと、孫たちが帰って静けさを取り戻した居間で、
コーヒーを飲みながらの、ジージーと バーバの会話であった。
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2012年05月29日

古希を迎えた誕生日

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5月8日は私の69歳の誕生日であった。古来、祝い事は
満ではなく、数えでやる習慣なので今年が古希となる。
ライオンズクラブでも今年の1月の例会でお祝いを頂いた。
還暦の時もそうであったが、自身の自覚がないままに周りが
祝ってくれた。

今年は古希の誕生日(8日)、と母の日(13日)が近いため
家族はそれぞれが私のことを考えてくれたようだ。家人は早々と
iPadをプレゼントしてくれた。本人曰く、「モヤイ(共同)で
使おうネ」と、言うから要するに自分が欲しかっただけでは
ないのか。アナログ人間の私が使いこなせないだろうと、先を
見越してゆく行くは自分の物にと目論んでいるのか。同時に幾つ
ものことをやれないので、取り敢えずカレンダーに行事予定を
入れ込むことから始めてみようと考えている。その後は音楽を
楽しみたいと思っている。パソコンとの違いは手軽に持ち運べて、
しかも外で使用出来るというのが魅力である。どこまで使い
こなせるかは未知数であるが、楽しみが一つ増えた。

それともう一つは子供たち3人がテレビをプレゼントしてくれた。
我が家では去年の地デジ移行の際にテレビを廃止してしまった。
新しく買い替えなくても部品を付ければ古いテレビでも見られた
のであるが、何となくそうなってしまった。それから1年近くに
なるが別に不便を感じていない。見ようと思えばワンセグの
アンテナをパソコンに付けて見られるし、ニュースなどは
インターネットで十分間に合っている。気持ちの中では有っても
いいかナと思っていた矢先に、子供たちが話し合って娘の発案で
プレゼントはテレビにしようとなったそうである。

日曜(13日)の早朝から応接間でガサゴソ何やら音が聞こえて
いた。起きて部屋に入って見ると大きな画面の薄型テレビが
どんと据えてある。「どしたん それ」初期設定をしている
家人の背中に問いかけた。「子供からのお誕生日兼古希の
プレゼントです。昨日宅急便で届きました」。驚くやら嬉しく
なるやら、毎年この時期になると何らかのアクションがあるの
だが、今年は娘からのバースデイカードだけで「今回は何も
なしかナ?」と、思っていた謎がこれで解けた。「みんなそれ
ぞれに生活があるのに申し訳ないね〜」。

早速、夕方に電気店にいって、iPad用の画面に張るフイルムと、
テレビとパソコンを繋ぐHDMIコードを購入。最新型のテレビは
従来の物と違って見るだけではなく、色んな使い方楽しみ方が
出来るようになっている。当然、その方面に疎いから全面的に
お任せである。お金は出し渋るが口は出すタイプの私は、出費は
抑えて最大限の楽しみを要求する。「そんな虫のいい話はあり
ません」。SkypeもYouTubeも出来るし、パソコンのモニターと
してでも使えると言う。「作文書くのにそんなに大きくしなく
ても見えるよ」とピント外れなことを言うと、「パソコンの中の
映画や画像を大画面で見るの」いたく納得。

iPadで音楽を楽しもうと思うと、iTunesに曲を入れてもらい
(当然、無料のものを)、聞くための操作を何度も教えてもらい
ながらようやくなのだ。両方とも私が貰った物だから自分の
所有物であるはずなのに、使い方が定かでないために私の手中
にはない。何とももどかしい限りである。今日はiPadの中にある
ICレコーダーやビデオ、カメラの操作を教えてもらったが、
デジタルに関しては三歩 歩めば端から忘れてしまう私のアナ
ログ頭脳は、判ったつもりが次にページを開くと、もうチンプン
カンプン。また、一からやり直しである。いつになったら一講釈
述べられるようになるのやら。




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2012年05月11日

人生七十(しちじゅう)古来稀(まれ)なり

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Our life but a span(人の一生は短い旅路にすぎない)
という言葉がある。これと古稀について同時に読んだので、
このあたりを書こうという気になった次第である。
70歳まで長生きするものは昔からきわめて稀である。これを
古稀と称する。確かに“国敗れて山河あり”の杜甫の時代は、
今から1200〜1300年も前のことなので、この時代の
平均寿命は現代のものに比べればはるかに低く、70歳まで
生きている人は少なかったに違いない。

一方、“人の一生は短い旅路にすぎない”も、来し方を振り
返れば途方もない距離を随分な時間を掛けて歩んで来ているし、
手を翳(かざ)して行く末を眺めて見ても、限られた時間と
景色は見えない。それでも短い旅路にすぎないと表されるの
である。地球の誕生規模で考えれば、昭和から平成にかけての
一生なんて一瞬の間でしかないだろう。

古稀の意味の由来について考えてみると、自分がその年齢に
達した今、「そうかナ〜、違うんじゃない」と思うのです。
60歳の“還暦”は再び生まれた年の干支に還るからであるし、
77歳の“喜寿“は喜の字の草体が七を三つ書いて七十七と
読まれるからであるし、88歳の米寿は米の字を分解すれば
八十八になるし、90歳の卒寿は卒の通用異字体「卆」が九十と
読まれるし、99歳の白寿は百引く一で白である。これらは字の
読み替えと現象で呼称されているが、これらは全て古来稀なる
年代であろう。ただ、古稀だけは平均寿命が格段に延びた現代に
おいては言葉の意味からするとマッチしないものかもしれない。

もう一方の短い旅を考えてみると、自分の人生、短いと思えば
今日という一日を大切に生きるであろう。昨日は、過ぎて
しまって存在しないし、明日もまだ来ていないので存在しない。
今日というこの一瞬が生きている証なのだ。今日が終わり夜が
明けると明日が今日に代わっている。禅問答のようだが、人生
とはこのように右・左・右・左と歩を進め、いつの間にか
遠い所まで重い荷物を背負って歩んで来たことをいうのであろう。
過ぎ去った日々を振り返ると、確かに短いものかもしれない。
しかし、その人生は決して苦しいことのみではないはずだ。
不足を常と肝に銘じ、何の変哲もない小さなことに喜びを見出す。

「秋の入日と年寄りは段々落ち目が早くなる」と言われるように、
最近は一日が、季節が、一年の経過が、早く感じられるように
なったのは確かである。まだまだと思いながら生きている私でも、
先のことを考えると時間が足りないことを自覚する。日頃は
人との出会いを“一期一会”の精神で大事にし、“人間万事
塞翁が馬”とばかりに一喜一憂せず、淡々と生きることを
心掛けている。

最近読んだ記事の中で、忙しいという文字は心偏に亡くすと
書き、あまり忙しくしていると人の心を失くしていってしまう、
といったことが書かれていた。私などは、忙しさにかまけて
何々を・・・といったことをよく文の中で使っていたので
これを読んだときに、心に隙間を作らないとそうなっていくかナ
と思ったものだ。それで忙しいの反対は何だと考えたら、
ユックリ、ノンビリ、イコール悠長(ゆったりと構えて気の
長いこと)を電子辞書で見つけた。そこに同音異義語があって、
悠長に構えた遊鳥(遊んでいる鳥)が優長(物事に優れている
こと)を目指して生きる。なんて言葉遊びをしてみた。

人生を長く生きるためには、私もそろそろ忙中に閑を求めるの
でなく、その反対の閑中に忙といった、心にゆとりを持って
ストレスを溜め込まないような生き方を考える時期がソロソロ
きたのかナと考える。現実には後、何年かは無理かもしれないが、
人生七十古来稀なりに到達し、Our life but a spanを我が人生
そうでもなかったと笑って言えるようなこれからでありたい。


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2012年04月08日

散る桜 残る桜も 散る桜

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今、桜が満開を迎えている。今度の日曜(8日)あたりが
見ごろでしょうか。
今年は寒さが続いたせいか、なかなか開花しなかったが、
一気に咲いた。昨日も所用で永満寺にある“いこいの村”
に行ったのですが、道の両側に見事な桜が咲いていました。
車を止めて、強い風に煽られハラハラと舞い落ちる桜の
花びらを見ていると、景色の美しさと同時に、タイトルにも
ある“散る桜 残る桜も 散る桜”の句に、桜の木の持つ
儚さや潔さを思ってしまったのです。
これは良寛の辞世の句であると同時に、桜のぱっと咲き 
さっと散る姿が、儚い人生を投影する対象となり、特攻隊を
語る時に必ず言われる言葉なのです。爆弾を抱えた戦闘機で
出撃し死んでいく兵士、それを見送る兵士、最後には
皆戦死してしまうという悲しい意味で使われています。

ここまで書いてキーを打つ手が止まってしまいました。文の
構成としてはこの後、鹿児島にある知覧特攻平和会館や、
若くして特攻で散って行った兵士のこと、武家屋敷などを
書いて自分の桜の思い出で締めようと考えていたのですが、
あるところの文を呼んで考え込んでしまったのです。
それは特攻平和会館の設立趣旨の文に対しての批評と、
最後に特攻をネタにした観光名所の域を脱していないと
結んである文を読んだからなのです。歴史の事実は一つである。
しかし、それを検証していく中で幾つもの解釈というのが
出て来る。例えば、敗戦濃厚な時期の特攻での死は「犬死に」
である。と書いてあります。見方によっては間違いではない
でしょうが、他方、病気など寿命で死ぬ以外は全部「犬死に」
と考えられるのではないか。事故しかり、震災、テロ、戦争、
どれも死ぬのではなく殺されるからだ。その作者は国家や組織の
在り方・考え方を非難しているのですが、遺族の方や戦死
された方に向かって「貴方の死は”犬死に“である」と言えるの
でしょうか。悲しい台詞だと思います。考え方の違いで
国旗も国歌も靖国神社も自衛隊も悪者にされてしまうのです。

何杯もコーヒーをお代わりしながら、なんでこうなるのと
思いながら、考え考えしながらここまできました。本当は
桜の美しさを書きたかったのに。タイトルはいいにしても、
特攻を書くからこうなるのか、知覧には40何年か前に
行ったことがある。武家屋敷の写真などはなんとなく記憶に
あるのですが、記念会館のほうはイメージが違うので調べて
行くと施設が新しくなっていて、私が行った頃は飛行機の
展示は無かったように思う。記憶が薄いのは戦争のことを
思い起こしたくないからなのか。覚えているのは「母はいい 
母ほど有り難いものはない 母!母!」の言葉と、死にゆく
若者の笑顔と、墨痕鮮やかな遺書の達筆な文字だけだった。
それと特攻の母と慕われた鳥濱トメさんの名前も。

読み返して2段目から下を消してしまって違う文にしようと
考えたのです。でも、やめました。何故なら何年か後に読み
返した時、「桜でこんな事を思ったのか」と、これはこれで
懐かしい想い出になるのではなかろうか。と考えたからです。
他人様から読まれても恥ずかしくないものを、と考えながら
いつも書いているのですが、時には道に迷って出口が判らず
失敗したような文でもいいのではないか。

最後の締めに桜の花の思い出をと思ったのですが、悲しいかな、
子供の入学式の時に校庭に咲いていたのを思い出すくらいで、
これといったものがない。強いてあげるとするならば、家人と
付き合っていた頃、秋に出張先の鹿児島の国分に会いに行った
ことがあって、知覧と霧島の秋桜(コスモス)の群生地に連れて
行ってもらった。秋桜に囲まれた写真を見ると二人とも若い、
細い。今回は花弁の形が桜の花びらに似ているということで、
秋の桜と命名されたコスモスで軟着陸させました。チョッピリ、
牽強付会の趣が強いとは思いますが、そこのところはひらに
ご容赦を。
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2012年04月06日

山のあなたの空遠く

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4月に入り、冬が終わり梅・桃・杏・桜の花がバトンリレーで
春の到来を告げています。町内にある神社の参道や、お地蔵さん
の桜も咲き始めました。我が家の庭でもモミジ・梅・金木犀の
若葉が芽を吹いてきました。風の冷たさを除けば春そのものです。

この時期は選抜高校野球が開催され、球児たちが白球を追って
熱戦を展開しています。開会式での選手宣誓は被災地から出場
した石巻工業高校の阿部翔人選手が行い、全国の人々が心を
打たれたのではないでしょうか。その内容を抜粋してみますと、 
”被災された方々の中には、苦しくて心の整理がつかず今も
当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみにくれている
方が沢山います。人は、誰でも答えのない悲しみを受け入れる
事が 苦しくて辛いことです。しかし日本がひとつになりその
苦難を乗り越える事が出来れば、その先に必ず大きな幸せが
待っている事を信じています。だからこそ日本中に届けます
感動・勇気そして笑顔を見せましょう 日本の底力、絆を。
われわれ高校球児が〜〜〜“。

この宣誓は、チームメートの想いを代弁しているのは勿論の
こと、被災地からのメッセージでもあり、復興を願う思いが
ヒシヒシと胸に伝わってきました。震災が起きてから1年が
過ぎた今、現実はとても”日本がひとつ“になったというには
程遠いものではないだろうか。被災地の復興や絆を語るのなら、
原発の処理にしろ、瓦礫の撤去や受け入れ先の拒否、遅々と
して進まない政府の対応。最近では色んな手当や高速道路の
通行料無料の撤廃などが伝えられ、これでは、愛する家族、
住まい、仕事場、船、全てを失くした被災者に対して希望を
持てと言う方が無理というものだ。

私はこの選手宣誓の“その先に必ず大きな幸せが待っている
事を信じています。”を聞いた時、心の中でカールブッセ
(独)の“山のあなた”を思っていました。「山のあなたの
空遠く 幸い住むとひとのいふ ああ われひとと尋(と)
めゆきて 涙さしぐみ帰りきぬ 山のあなたになほ遠く 
幸い住むとひとのいふ」。あの山の向こうに幸せがあると、
人が言うので行ってみたら見付からず、泣く泣く帰って来る。
君が行った山のまたそのむこうに幸せがあると人が言う。
幸せが見付からずションボリしている若者が目に浮かぶようだ。
子供の頃、「虹の根元には宝物が埋まっている」と言われ、
そこに行こうと走っても、走っても届かなかった想い出は
ないでしょうか。そのうちに虹は消えてしまって宝物は手に
入らないのだ。大人になってサンタさんの正体を知るように、
現実を知るようになる。

幸せとは、メーテルリンクの“幸せの青い鳥”のように、
色んな所を旅して探したが見つからず、結局自分の家で
見付けるといった、案外、身近な所にあるのかもしれない。
しかし、目の前にあったとしても気付く人、そうでない人。
見付けたとしてもそれを掴む人、そうでない人、そもそも、
幸せについて考えること自体、幸せな状態にあるのかどうか。
ささやかな幸せで良ければ、多くを望まないのであれば、
それは日常のちょっとした所に存在しているのではないだろうか。

若い人たちと、私のような年配者とでは価値観に相違がある
だろうし、年齢と共にその価値観も変わっていくだろうから、
私の考える幸せを書いてみると、朝、目が覚めるのが幸せの
第一歩である。生きている事に感謝。感謝=幸せなのだ。健康な
体とこの年で仕事が出来ることが幸せの基準となっている。
この他にも愛を成就させることや、色んな欲を満たすこと、
家庭を持つこと、子供・孫が産まれるなど、人の数だけ幸せの
形も千差万別であろう。

翻って、被災地の方々を思ってみると、選手宣誓の中に出て来る
“苦しい・忘れられない悲しい・辛いなどの言葉が、頭の中を
堂々巡りしていて、とても幸せと言える環境にはないであろう。
笑顔が見られる日常の生活に戻れるよう、日本中で協力しあって
一日でも早い復旧・復興を実現させてほしいと願っています。
山のあなたの空遠くに幸せを見付けることが出来なかったと
しても、身近なところに幸せの青い鳥は必ずいます。希望と
いう光で見つかるはずです。例え、今がどん底の状態だと
しても、涙が笑顔に変わる時がきます。そして亡くなった
方たちに、「こんなに素晴らしい故郷が再生出来たョ」と
報告できた時、幸せを感じられる生活に戻っていること
でしょう。

この文章を書き上げて読み返している時、自分の考えを
活字にして残して行くこの作業が自分にとって幸せな
ことだと気付いた。足跡なのである。生きてきた証なのだ。
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2012年03月23日

春告鳥が啼いてます

平凡で何の変哲もない日常に、時として雲の隙間から
“天使の梯子”と呼ばれる一条の光を見るように、寒かった
冬には聞かれなかった鳥の鳴き声を耳にする時、私は季節の
変化を肌で感じ取っている。ベランダに出て、庭の隅々に
目を凝らして見ると、今年も同じ場所にチューリップの芽が
顔を出している。紅白の梅の花を愛でていると、タイミング良く
ウグイスの声が聞こえて来た。「ホーホケキョ」の啼き方が
上手ではない。「声はすれども姿は見えぬ ほんにお前は屁の
ようジャ」などど、部屋に戻りつつ下らぬことを思いながら、
どう展開していこうかと思案投げ首。久しぶりに暖かい日の
射す午後に、開け放たれたガラス戸の向こうに、咲き始めた
紅梅を眺めつつ、「ホーケキョ」と音痴なウグイスの鳴き声を
聞きながらキーを叩いています。

初音(はつね)と言われるウグイスの初鳴きは春の到来を告げる
もので、このため“春告鳥”の別名がある。因みに、秋の到来は
雁の飛来を言い“初雁(はつかり)”という。この鳴き声の旨い
下手は多くの場合、環境によって決まるといわれ、幼鳥は親鳥
など周りの成鳥の鳴き声を真似することで「ホーホケキョ」と
覚える。いくら素質があっても周りの囀(さえず)りが下手だと
上手になれないそうだ。又、啼き方にも意味があり、「ホー
ホケキョ」は接近する他の鳥に対する縄張り宣言だと言われ、
「ケキョ・ケキョ・・・」は侵入した者への威嚇である。他に、
「チャッチャッ」と鳴く地鳴き(笹鳴きともいう)は日常会話
だと言われている。

花札などによく見られる梅に鶯の取り合わせは実は間違いで
あって、実際には梅の蜜を吸いに来るのは“メジロ”であり、
藪の中で虫などを食べるウグイスはそのような姿では見られる
ことはない。この混同されるのには「鶯色」がある。並べて見る
と違いがハッキリ判るのだが、ウグイスは灰褐色(オリーブ色に
近い)で、メジロは緑色に近い。見分けるにはメジロの目の周り
の白い輪が特徴で、名前の由来になっている。それとメジロは
警戒心が緩く、ウグイスは逆に強く藪から出て来ることは少なく
目に付きにくい。

「鶯の 鳴く野辺ごとに 来てみれば 移ろう花に 風ぞ吹き
ける」・古今集 読み人知らず。「梅が枝に 鳴きて移ろう 
鶯の 羽しろたへに あわ雪ぞ降る」・万葉集(10)。
私が想像するに、移ろう花とは梅の花ではないだろうか。
どちらも梅にウグイスと詠んでいるのだと考える。おそらく、
ウグイスの声が聞こえている時に梅の枝にメジロの姿が見られた
のであろう。どちらも“春告鳥と呼ばれるように、同じ時期に
出現するので、昔の人が間違えるはずだ。童謡に「梅の小枝で
ウグイスが〜・・・」とあるので、現代の私たちが判別できない
のも仕方のないことかもしれない。

しかし、ウグイスとメジロの関係は俳優と吹き替えの声優の
関係のようだ。古い話で恐縮ですが、アランドロンと、彼の
吹き替えをやっていた声優の野沢那智を例にとると、映画で
ハンサムなドロンを見ながら野沢の声を聞いているのである。
ドロンがメジロで野沢がウグイスなのだ。私たちはアランドロン
は知っていても、野沢那智は見たことが無い。丁度、ラジオの
パーソナリティや、野球場のウグイス嬢のように「声はすれども
姿は見えず・・・」なのだ。

ウグイスの件であちこちサーフィンしていたら、又また、新発見。
「声はすれども姿は見えず・・・」の下の句を見付けました。
「・・・君は深山(みやま)のきりぎりす(コオロギの古称)」
が原典だそうで、男の訪れを待つ女心のやるせなさを詠った句
だそうです。これが、「声は聞けども姿は見えじ 君は深みの
きりぎりす」などと変容し、さらに各地の民謡にも取り入れら
れていきます。宮城県定義節では「・・・藪にウグイス声
ばかり」とあります。「・・・ほんにお前は屁のようだ」は
落語で語られ、私が憶えていたのは原典からは一番遠いところ
の部分を捉えていたのかもしれません。

今回は、Wikipediaなどの文を繋いで作ったものに
なりましたが、知らないことばかりで勉強になりました。
おのれの浅学非才を顧みず、これからもいろんなジャンルに
取り組んでいこうと考えています。
 
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2012年03月11日

あれからもう一年

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日曜(11日)は、お日さまは射しているのに風が強く寒い
一日であった。午後から明るい居間で伝票の整理をしていて、
疲れた目と頭を休めるため、コーヒータイムにするべく立ち
上がり、大好きな岡林信康のCDをセットして、流れてくる曲に
耳を傾けながら、コーヒーの香りを楽しんでいた私は、一冊の
本に目を止めた。

“黄ばんだ余白(前田美代子詩集)”、黄色のカバーにコスモス
の絵が描いてある詩集である。何枚かページをめくっても内容に
憶えがない。我が家にある本は、いくら古い物でもタイトルなり
内容なり何か記憶に残っているのだが、この本ばかりは頂いた
ものか、自分で求めたものかも定かではない。裏を見ると
1985年発行とあるから、私が40歳を過ぎた頃の物である。
この時代は全てにおいてエネルギッシュに活動していた時期で、
死についての実感が余り無かった。この本の内容は最初から
夫・義弟・父と、人の死についての詩から始まっているのである。
なので、その年代では自分で買い求めてまでして読んではない
ような気がする。

“あとがき”を呼んで作者のプロフィールを知る。朝日文化
センターの現代史講座を受講し、還暦を前にしてこの本は上梓
(じょうし)されたもので、夫に先立たれ、息子は関東に住み、
一人暮らしの寡黙な女性のようだ。本というものは、若い頃に
読んだ物を年月を経て再度、読み返してみると違った感覚を
覚えるから不思議だ。読み進めていって22ページ目の“風の
旅立ち”の冒頭で、涙で文字が霞んで読めなくなった。

「この世での仕事を終えて 旅立って行くことは 喜ばしい
ことであって 嘆き悲しむことではありません」 秋空の深み
に向かって 父への葬送賦を贈り・・・。夫を病気で亡くし、
義弟は広島の原爆で戦死、父親はこの台詞からすると大往生で
あったのかもしれない。私の涙の訳は、本の中の死を、自分自身
の過ぎし人生に置き換えて想いを馳せたためか、それとも
岡林信康の“風詩”の「今度この世に生まれてきたら どんな
具合にお前と会える 夫婦(めおと)親子か兄妹か もっと
今より大事にします」の歌詩が追い打ちを掛けたのか。

きょうは3月11日、東北大震災が発生してから、あれから
もう1年経つのである。2万人以上の犠牲者を出し、未だに
その半数の方々の行方が知れない。まだ多くの人たちが避難所
生活を余儀なくされ、慣れ親しんだ故郷に戻れないでいる。
自分の意志とは無関係に命を落とした方々にこの葬送賦は
語れない。あまりにもこの世にやり残した仕事が多すぎるのだ。
多くの死と言う別れが頭の中で綯(な)い交ぜになって涙腺が
緩んだのであろうか。

人の死には人生と同じように、語り尽くせぬ程のドラマがあり、
その中に小さな喜びと大きな悲しみとを併せ持っている。
逝く人も送る人も、嘆き悲しまない死を願っているが、現実には
残された人々に今生(こんじょう)の暇乞(いとまご)いを
言わせ、無理やり納得させようと悲しい嘘を自分につくのである。
その悲しみは夕陽を見ては涙するような時期を経て、時間の
経過とともに薄れては行く。しかし、なくなることはなく、
日頃は胸の奥の引き出しに収めているのだが、折に触れ引っ張り
出しては悲しみを新たにする。

今日は、多くの地域で追悼式典が行われた。地震発生の午後2時
46分に黙祷して犠牲者に祈りを捧げた。今回の震災には津波の
高さや原発事故など“想定外”という言葉が多く使われ、常日頃
の安全に対する“過信”とその背中合わせにある“油断”が、
多くの命を奪った要因にあげられるであろう。防災とは、自助
(自分の身は自分で守る)、 共助(助け合う)、公助から
なっており、皆がこの意識を高め、2度とこのような大惨事に
遭う事のないような国にしていかねばならないと改めて強く
思った。

テレビでも、インターネットでも震災のことを取り上げている。
それを見るにつけ、読むにつけ、関係者でなくても涙なくして
はいられない。この悲しい現実を風化させることなく心に刻み、
糧として生きていかねばならない。亡くなった方々の命の
防波堤で、我々の命が守られて生かされているのだ。

“書き遺しておかねば・・・という思いを籠めて 病床の男が
ペンを執った 「ボルネオ物語」は未完のまま 黄ばんだ余白を
うめる者は もはや誰もいない”ここにも、この世に無念と、
仕事を残したまま逝かなくてはならなかった作者のご主人がいる。
どこにも納得する死はないのかもしれない。因みに、この本には
値段が書いてなかった。故に自分で求めた物ではなかった。
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2012年03月04日

東風(こち)吹かば

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今日(4日)は朝から冷たい雨が降っています。ベランダから
庭を眺めて見ると、雨に濡れた木々の緑の中に、白い梅の花が
何輪か咲いているのが目につきます。“暑さ寒さも彼岸まで”と
言われるように、花たちは季節が冬から春に移り変わっていく様
をよく表しています。

縦に細長い日本列島は、南の沖縄はもう桜の便りが聞かれます。
しかし、北国ではまだ雪の中での生活で、春はまだまだ先の話
です。足の遅い冬を追い出そうと、春は色んなことを仕掛けて
きます。気温の上昇は勿論のことですが、風の向きも変えて
きます。冬には冷たい北風を吹かせていたのが、春に向かって
東風(こち)を吹かせるのです。東風とは“春に東方から吹いて
くる風”のことで、まだ冷たさが残っていますが、徐々に南の
暖かい風に代わっていきます。

梅の花と東風とくれば“東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 
主なしとて 春な忘れそ”を思い浮かべます。菅原道真公が
藤原氏との政争に敗れ大宰府に左遷されることになり、旅立ちの
前に、可愛がっていた庭の梅の木を詠んだものといわれています。
その梅の木が道真公の配所である安楽寺(大宰府天満宮)の庭に
飛んでいき、生え匂ったという故事が“飛梅”伝説です。

と、書いていて何故か“沙羅双樹”という言葉が頭に浮かんだの
です。“平家物語”の冒頭にある「祇園精舎の鐘の音 諸行無常
の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす・・・」
のこれです。頭休めにインターネットで色々見ていくと、意外な
というか今まで思い込んでいたものと違った部分が判明した
のです。それは花の色が紅だと思っていました。何故なら源氏の
旗の色は“白”で平家のそれは”紅“ということで、”驕れる
ものも久しからず“で驕れる平家の紅は源氏の白に取って代わ
られるのです。それと、うろ覚えですが、赤い椿の花を写真で
見たような記憶があるのです。

それが記事を読んでいくと、木の種類は日本では夏ツバキを
指すそうで、これはイメージどうりなのですが、花の色が
“白”だというのです。だとすれば文中の“花の色 盛者必衰
・・・”はどう解釈すればいいのか。色は紅でなければ私の
単純な思考回路では“平家”が滅びるとはならないのです。
それともこれを詠んだ作者は紅色の花が咲いた“沙羅双樹”を
見たのだろうか。はたまた、“盛者”を平家も源氏もと解釈
すれば一応辻褄は合うように思えるのだが。

パソコンに向かってブツブツ言いながらキーを打つ私に「祇園
精舎・・・は小学校低学年(昭和30年あたり)の頃、毎週ラジオ
でクロガネ劇場という朗読番組があって、吉川英治の”新平家物語“
が放送されていて、最初にこれが流され、・・・ただ春の夜の
夢の如くで物語が始まっていた。意味は理解出来ないまま丸覚え
していて、大人の前でこれを暗唱するとビックリされた」と、
文明の利器の向こう側で本を読んでいる家人が語った。
「夢がなくなるから深く追求することはないョ。飛梅だって都から
九州の片田舎まで飛ぶはずはないと思えば伝説にはならん」。
言われてみると正鵠を得ているとは思うが、「それでは鳥の糞の
中に種が入っていて芽を出したのか?梅の種は大きいから便秘に
なるゾ」と口には出さぬが、いつもの癖で探究心?が起こってくる。

お腹が空いてくると纏まる筈の文章もトンチンカンなものに
なってくる。「腹減った」。二人とも立ち上がって鍋の用意が
始まる。我々には日曜の夜だけがユックリお酒でも飲みながらの
食事タイムなのだ。色んな話題が食卓に並ぶ。肉と野菜を平らげ
ながら話のご馳走も一緒に食す。コップ一杯の濁り酒でホンノリ
と酔った頭に「梅は飛ばんよナー、タンポポじゃないんだから」。
往生際が悪いようで。
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2012年02月18日

人の生き死にについて

今日(18日)、私が住んでいる町内会の田代のオイチャンが
亡くなり、お葬式に二人で参列して来ました。大正6年生まれで
享年96歳、最近はお顔も見たことがなかったので病気で入院
していたのか、何の病気だったのかも判りませんが、大往生だと
思います。この年になると自分の身内はおろか、色んな付き合い
の中で多くの人を見送ってきました。

祭壇に飾られているお写真は、ひ孫が誕生した時のものであると
説明がありました。生前の私が知っているお顔に比べて少し
痩せて写っていましたが、寡黙で人の悪口を言わない人柄が
滲み出た優しいお顔でした。何年か前にやはり同じくらいの
年齢で亡くなった香月のオイチャンとは従兄弟同士で町内会の
長老的存在として周囲から一目置かれる存在でした。酒の席で
よく“同期の桜”を歌ってはお互いに涙するといった、涙もろい
一面も見せる好々爺でもありました。

もう随分前のことになりますが、ある年の町内会の初寄りの席で、
このお二人とチークダンスを踊ったことがあるのです。
宴もたけなわとなり興に乗り皆が囃し立てて、私に踊れおどれと
座敷の中央に押しやるのです。お二人とも若かったとはいえ、
私とは親子ほど差があり、当時ソシアルダンスをやっていた私が
暴れまわると年寄りには骨だと考え、スローな曲に合わせて
チークにしたのでした。踊り終わって席に戻ってくると周りの
オバちゃん連中が「良かったョー、オイチャンたちとても
嬉しそうにニコニコしてたョ」と皆が褒めてくれました。
今となればいい思い出として蘇ってきます。

人の一生というものを考えてみると、両親からこの世に生を
受けて誕生する訳ですが、長い短いの差こそあれ、いつかは死を
迎えることになります。オイチャンたちのように90歳以上
長生きして亡くなる大往生の方もいれば、私の妹のように幼い
子供を残して30代で亡くなる人もいます。この差はどこから
くるのでしょう。運命という人もいれば、産まれた時にその人
の寿命は決まっているという人もいます。「人は満ち潮で産まれ
引き潮でなくなる。人の生き死には月の満ち欠け、引力に関係
している」と年老いた漁師のお爺さんに聞いたこともあります。

この世に存在する森羅万象は私のような凡人には理解出来ない
現象ばかりですが、その中でも生命の神秘には驚かされること
ばかりです。母親のお腹に十月十日いて産みの苦しみを経て
誕生し、母親と唯一繋がっている臍の緒を切って、一人の人格が
スタートするのです。動物は外敵から身を守るため、産まれて
すぐに立ち上がることが出来ます。一方、人間は1年近くも
親の庇護の元に生活して、ようやくヨチヨチ歩きが精いっぱい。
この間、母と子はオッパイをとうしてコミニケーションを
とっているのです。

小さな我が子を抱いてオッパイを口に含ませると一生懸命に
吸います。「一杯飲んでおおきくなーれ」お腹が膨れると
今度は眠くなってきます。げっぷを出させるために背中を
軽く叩きながら、「ねんねんよー、おころりよー」と下手な
子守歌?で寝かせるのですから魔法使いのようです。
私は添い寝をしながら寝顔を見るのが楽しみでした。
何時間見ていても飽きがこないのです。「鼻高くなーれ」と
つまんだり、モミジのような小さなお手手に触れるとそっと
握り返したりと、この時ばかりは「産んでよかったー。
産まれてきてくれてありがとう」。自分が母親となった
喜びを噛みしめた至福の時でした。

また、泣き方にもいろいろな意味があります。お腹がすいて
オッパイが欲しい時、おむつが汚れて気持ちが悪い時、体調が
優れない時、抱っこして欲しい時など、まだ言葉が話せない
この時期は赤ちゃんは泣くことによって母親に知らせるのです。
新米のママさんは赤ちゃんがなんで泣いているのか理解出来ず
途方にくれます。しかし、これも習うより慣れろで、経験を
積むことによって、泣き方の意味を理解出来るようになって
いきます。

このように親の愛を一身に受けて育ち、自我の目覚めとともに
自分の足で立ち、頭で考え、親の元から旅立っていくのです。
丁度、若鳥がはばたいて巣から飛び立っていくように。親子は
どれだけ離れていても目に見えない“絆”で結ばれています。
そして、愛という運命の赤い糸が若い二人を結びつけ、新しい
家庭をそこに誕生させるのです。こうして人々は営々と人生を
営んでいくのです。新しい命が誕生し、かたや、老いた命が
消滅していきます。これが自然の摂理というものです。

お葬式に参列し、お経を聞きながら人の死に直面し、やがては
訪れるであろう自分の死と、その対極にある生きるについて
思いを馳せる。人はこの世に誕生すると,時期は定かでは
ありませんが死亡率は100%。終焉を迎えた時に、自分の
人生が長くもあり、短くもありと感じ、悟りを開けないまま
未練を引きずりながら、痛みと意識が無くなっていくのが
死というものでしょうか。


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2012年02月17日

SKYPEで娘と通信

今日(17日)は寒い一日で外は小雪がチラチラ舞っている。
今日から冬型が強まり2〜3日雪混じりの寒い日が続くという
予報が出ている。季語にも厳冬という言葉が出てくる位だから
寒くて当たり前、春はもう少し先の話になりそうな気温の低い日
の午後の、Hotしそうな母娘のテレビ電話での模様。

先日、娘からのメールで「子供たちの幼稚園の入園式の際に
持って行く小さめのバッグが欲しい」と連絡があった。それでは
SKYPEで品物を確認しながら品定めをしょうということになり、
今日の2時半にヨーイドンということになった。いつでも
母娘で会話出来るようにと、段取りは付けてもらっているのに、
イザとなると忙しさにかまけて中々出来ないという現状である。
SKYPEは携帯電話のようにメールや会話を手軽にするという
ような範疇にはまだない。操作に自信が持てないため、補佐を
する係が傍にいなければトラブった時に困ることになる。

大きな段ボール箱一杯のバッグを抱えてきてスタンバイ。時間に
なりスイッチオン。久し振りに見る娘と孫たち。前回はパソコン
の前でジッとしておらず、全く会話にならなかったのだが、
今回は少しはお利口さんになってるみたい。孫たちや家族の
近況など話ながら品評会が始まる。小さな色物から始まり、
黒いフォーマルな物、DCブランドの物と、アップにしたり裏表を
表示したりしながら「さっきのが良かった。2番目のをもう1回
見せて」と店員のオバサンと買い物客の会話は続く。画面の
向こうの孫たちは自分勝手に2人で遊んでいる。

意外にも娘はヴィトンなど、いかにもといったDCブランドには
興味がないという。そういえば指輪、ネックレスの類にも欲しい
とは言わない。里帰りした時でもこちらはあれもこれもと構えて
いるのだが、一緒に買い物に行ってもズボンならズボンだけ、
靴ならそれだけと、こちらが拍子抜けするくらい欲しがらない。
なんだかんだで大小おりまぜて7つを送ってやることに決定。
娘曰く、「1個だけもらおうと思っていたのに、こんなに沢山
ありがとう」。以前、頼まれていた化粧品も一緒に段ボール箱に
梱包して、早速黒猫ヤマトに持って行ってもらう。

宅急便を出して帰って来る間に、遅い昼食に鍋を用意して待つ。
「寒いさむい」と帰って来てシャブシャブを突きながら、「アー、
写真撮っておけばよかった〜」「なんで〜」「ブログさぼって
いるから、これ書こうと思って。写真あったがいいよネ」「今更
言ってもafter festival(後の祭り)ョ」「何〜それ〜」。長男から
「ママさんの文章は長すぎるから誰も読まんョ。写真を多くしたら」
と言われたばかりだ。

ブログに載せようと写真を撮ってきたら今度は文章が追い付かず、
新米を大事に取って置いたらいつの間にか古米になっていた、
みたいな時期を取り逃がすことがチョクチョクある。今日は幸い
にも予定はない。途中まで家で書いて残りはお店に行って事務所で
書こう。ガラス越しに外に目をやるとまだ雪は降っている。今夜も
寒い夜になりそうだ。
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2012年01月21日

今日は大寒

今日(21日)は二十四節季のうちの大寒である。名前とは
裏腹に最高気温が13度もある暖かい一日であった。こんな
日は朝から布団を干し、洗濯物の片付けと家の用事を済ませ
たい日和なのだ。片や、風もなく暖かい最高の自転車日和なの
に行きたいナー、行けないなーという顔をしてハンドルを
握っている。
ただ、来週は寒気が流れ込み雪の降る寒い日が続くという
予報になっている。
今日、明日は直方イオンモールに於いて、市内・小竹町
合わせて14小学校の児童を対象とした書き初め大会の
作品展示と表彰式が、直方ライオンズクラブ主催で行われる
ため、午前9時半から自宅を出てイオンモールに向かって
いるのである。

今年で3回目を迎えるこの大会は、年々参加児童数も増え、
今回は170名を越える人数となった。この事業は青少年
健全育成の観点から「書道のまちのおがた」をキャッチフ
レーズに、当クラブが最も力を注いでいるもので、私は担当
副委員長として昨年秋の準備段階から参加させてもらっている。

この様な大きな規模の事業は、ただ会員として参加するのと
責任ある立場でこれを担当するのでは、見ると聞くとでは大違い
位の差がある。来年は私が担当委員長として全責任を負って事業
を展開しなければならないため、今回は隅から隅まで、一挙手
一投足にまで目を凝らし、最大漏らさず観察し、次期に備え
なければならない。なので夜が遅いから、朝早いのは辛いとか、
キツイなどとは言っていられないのである。

会場への道すがら車中での会話。私たちの会話のテーマは良く
言えば豊富、悪く言えば雑多な物とでも言おうか、色んな
ジャンルに及ぶのである。今日の話題は人間の“可能性”に
ついてであった。今、読んでいる本に“つまらない大人には
なるな(川北義則著)”というタイトルのものがある。
その中に“もう、まだ”という言葉を取り上げた欄があって、
自分にとって興味深いものだったので、意味をかみ砕きながら
読んだ。“もう”はあとの言葉が駄目だとかお終いだとか、
諦めの言葉に付きそうで、“まだ”は出来るとか大丈夫とか、
希望や可能性に繋がる言葉に付くものではないかと考えられる。

このことの例は「砂漠で喉が渇いた時、水筒の水が“もう”
半分しかないと考えるのか、“まだ”半分もあると考えるか
によって、その人の生き死にに関わって来る」とあるように、
ものの見方、考えかたによって大きく違った人生を送るの
ではないかというような会話をする。この“もう、まだ”を
自分たちに置き換えて考えてみると、もう70歳、まだ70歳
であるとか、自転車で坂道を登るのにもう駄目だ、まだ登れる
など、多くの例が引き出されてくる。ゴルフのことも、仕事の
ことも話題に上る。

私のゴルフときたらまずセンスがない。何年経っても上手に
ならない、球が当たらない(この件は、そうなる努力をして
いないの一言で片付けられる。また、時間と有り金をブチ込み、
女房・子供をうち捨てて、位の覚悟で臨まなければ上手に
ならんとも言われた)・・・Etc。と全く取り柄がないのだ。
しかし、これも捉え方によっては練習場で2時間休みなく、
マン振りで300球打つのである。コースではカートに乗らずに
フェアウエイを幅一杯闊歩しているのである。この元気の
良さが取り柄ではないか。仕事においても1日も休まず、
朝方何時まででも勤めることが出来る。少ない睡眠時間でも
早朝より起きて活動するのである。

それをこの歳になって働きたくないとか、キツイから眠い
からしたくないと思ったら、もうそこでこれ以上の進歩も
発展も望めないだろう。勿論、健康であることが第一条件で
あろうが、気力の充実を図り、“もう“は言わず、事に当たる
度に“まだまだ”と自分を奮い立たせ、言い聞かせながら頑張
っていきたい。

仕事が、奉仕活動が、山登りが、ウォーキングが、ゴルフが、
考えることが、会話出来ることなどが喜びであり、それらが
やれる立場や環境にいることが自分にとっての幸せであり、
生き甲斐となっているような気がする。話は尽きないうちに
車はイオンモールに着いた。そう言えば、私たちの会話の中
には“もう”が出て来ることは無かったと再認識する。
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2012年01月09日

新年を迎えて思うこと

毎年のことであるが旧い年が暮れていき、新しい年を迎える時、
トキメキに似た気持ちの昂ぶりをいつも感じている。平均的な
考え方をすれば、年と共に心も体もスローになっていくので
あろうが、私の場合、置かれた立場や環境が影響するのか、
時間に早くはやくと急かされている気がしてならない。

私の日常は、優先順位の決まった事柄を順々にこなしていくこと
から成り立っている。真っ新のビジネスノートに赤と黒のボール
ペンで行事が書き込まれていく。他人様が見ると「プライベート
な時間はいつとるんですか」と言われそうなくらい、ビッシリと
用事がつまっているのである。正月休みも31〜1日だけで今月も
日曜日は全部、何らかの行事が入っていて、唯一、今日(9日)
だけがフリーの日である。朝から洗濯物を片付けてお昼を
済ませた後、気になっていたブログに久しぶりに取り掛かる
ことにした。

ストーブの上のヤカンの湯がシュンシュンと湯気をたてている
台所のテーブルが、私の執務用の机である。パソコンをセット
してさぁー何を書こうか。“孫台風”も書きかけのものが
残っているが、これは後回しにして、明けまして・・・には
日が経ち過ぎているし、6日の“小寒”か7日の七草粥?、
それとも昨日(8日)の“新春書初め大会”のことを書こうかと
悩むところである。いつものように思いついたままを書き並べて、
行間を埋めていくという作業をあーでもない、こーでもないと
ブツブツ独り言を言いながらキーを叩いている。一昔前であれば
消しゴムで書いては消しの繰り返しであろうが、その点、文明の
利器は便利に出来ている。BackSpaceは消しゴムだし、スペース
キーはドラエモンの“何でもポケット”のように次々と漢字を
出してくれる。操作を忘れた場合は、人相の悪い教師が寒い庭で
ゴルフボールを打っているので呼べばいいし、言葉が浮かば
なかったらコーヒーを飲んで休憩をとればいいのだし、と、
ここまで書いて「そうかやっぱり私には時間が足りないから
書けないんだ」と己の怠慢やセンスの無さをさておいてこんな
ことが頭に浮かんだ。

時間だけは皆に平等に振り分けられているというが、同じ時間の
長さなのに、楽しい時間はアッという間に過ぎてしまうし、辛い
時の時間はとても長く感じるのである。無駄に過ごしたり有効活
用したり、考え方の違いや差によって時間の使い方は百人百色
となる。銘々の答え合わせをしてみたら、どれも正解でどれも
間違いであるというような、たくさんの答えや使い方が出て
くることだろう。例えばボーっとしている時間は無駄であり、
必要なものだという2つの答えがあり、その人の生き方考え方
や、どちらを選択するかで答えは違ったものになるのであろう。
若い頃なら正方形とは4つの辺が同じ長さで角度は90°の
ものを言う。と決めつけてしまっただろうが、年を重ねると
菱形も台形も四角だし、角が円くてもOKなのだ。ファジーと
いうかアバウトというか、私の中の時間に関する感性は鈍
(純ではない)なのである。磨きようのない程錆びついている
のだが、都合よくこれを解釈すれば、銅に緑青がふいている
状態であるともとれるのではないか。美しい響きではありま
せんか。美しく年を取っている見本みたいなものです。

目の前で家人が宅急便で送ってきたデジタル式の体重計に電池を
いれ、セットしている。年齢・性別・身長をセットすると、体重
の他に体脂肪率や体水分率が表示される優れものだそうで、試し
に乗れという。「着ぶくれしているから数字は本当じゃない
からね」と言いつつ乗ったら、体重は表示されるのだが何度
乗っても体脂肪率はエラーが出る。「これおかしいョ乗って
みてん」と代わると、全て正常に表れた。説明書をよく読んで
みると、測定範囲を下回る、または超える数値の場合は正しく
測定出来ないとある。アスリートもそうとあるが、私はアスリ
ートではないし範囲を下回るタイプではないので、答えは
“超える”しかないではないか。

正月早々、またまた問題発生である。ど〜すりゃいいの〜さ 
し〜あぁんば〜し。私から食べる楽しみを取ったら何が残るのョ。
脂肪率のために食を落とすか、それを無視して夜中に食べるのか
それが問題だ。答えは一つしかない。とりあえず体脂肪率は
無視して、生きんがために食をとる。脂肪率の数値は名札に
書き込む訳でもなし、口外しなければ知れることもなし。
第一、私の体脂肪率に関心を持つ人がいるとも思えない。
ア〜知らねばよかった〜。
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