2012年12月01日

飛行機とバスと赤ちゃんの泣き声(No 116)

この1週間ほどの間に、私は赤ちゃんの泣き声について目に
したり、文章を読んだりした。インターネットのニュースの
見出しに“機内での赤ちゃんの泣き声にブチ切れ”というのを
目にしたのであるが、全く興味もなくもう忘れていた。何日か
前のテレビの番組で、スィッチを入れた途端の映像が、バスの
運転手さんが「…赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、
少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい」
と言った。番組の途中からだったので前半の台詞は聞けなかった
が、容易に想像はつく。

おそらく、満員のバスの中で赤ちゃんが泣きやまず、周りの
乗客に迷惑がかかると若い母親は考え、途中の停留所で降り
ようとしたのであろう。画面の中では、ほんの数秒が過ぎた時、
一人の拍手が起こり、つられてバスの乗客全員の拍手となって、
それが賛同の答えとなったのです。若いお母さんは嬉し涙を
流しながら、何度も何度も頭を下げていました。

この話は過去にあった実話だそうで国語の教科書にも「バスと
赤ちゃん」のタイトルで載っているそうです。この後に、アメ
リカ版「バスと赤ちゃん」が流れてきた。こちらの方は、後部
座席で泣きやまない赤ちゃんを抱いた母親に、女性の運転手が
「泣き声が迷惑だから降りてくれ。でないと発車できない」と
何度も催促し、終いには母親はバスを降ろされてしまう。この
まま発車してしまうのかと見ていたら、一人の若者がバスを
降りて行った。次々と後に続いて全員がバスを降りてしまう。
運転手の行為に対する無言の抗議なのだ。一人の女性が赤ちゃん
を抱く母親に近づき「皆、貴女の味方だからネ」。

日米で運転手と乗客との違いこそあれ、“人情紙の如し”と
言われる昨今に於いて、“チョットいい話”ではないだろうか。
しかし、いつの頃からこのような話が美談になったのだろうか。
“家貧しくして孔子出ず”ではないが、貧乏長屋の住民たちは
コメでも味噌でも隣に借りに行き、隣もまた、こちらに借りに
来るといった、”お互いさま“という相互扶助で人間関係が成り
立っていた。ないないずくしの中で生きるということは、色んな
工夫をするし助け合わないと立ち行かずで、そのようにして相手
を思い遣る精神が身に付いていくのではないだろうか。

核家族、少子高齢化、個人主義など、相手を思い遣る精神の欠如
に対する理由付けを挙げるとするならば、山のように出てくる
ことだろう。只、世の中を見渡してみれば豊かになったせいな
のか、個人の権利を主張するようになったせいなのか知らないが、
音に対する許容範囲が狭くなってきている気がするのは私だけ
だろうか。工場や工事から発生する騒音に始まり、車のエンジン音、
蝉や蛙の鳴き声、赤ちゃんの泣き声でブチ切れるに至っては世も
末だナと思ってしまう。

これは40歳代の女性マンガ家が飛行機内で赤ちゃんの泣き声に
切れて、その母親と日航にクレームを付けたというものである。
対処の仕方もさることながら、子供を育てた経験のある女性なら、
泣かれた時の辛さやどうしていいのか判らなくて困ったことは
何度もあったはずである。どうせなら文句を言う代わりに「私が
泣きやませてあげるから」と赤ん坊を抱っこして笑わせてやれば
美談になったものを。我慢をするとか、辛抱するとかが身に付いて
いないのだろう。

子供の頃から繰り返し訓練をして、身に付けさせる躾の基本の中に、
人と調和した行動がとれる自立した人格と言うものがある。我慢や
辛抱、思い遣りや慈しみなど、社会生活を営む上で備わっていな
ければならない品性である。これが欠けてるばかりに機内での
ブチ切れに繋がったのではないのだろうか。バスでの出来事が
良い話なだけに残念なことだ。

子供叱るな 来た道だもの  年寄り笑うな 行く道だもの  
来た道 行く道 二人旅  これから通る 今日の道  
通り直しの 出来ぬ道
posted by ochiyo at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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