2011年08月18日

昼のセミと夜の蝶

立秋が過ぎ、8月23日の“処暑“が目前に迫り、
9月に入ると”白露“、秋分の日(お彼岸)と続いて
秋が近づいてくる。この暑さももう少しの辛抱と
思えば嬉しくもなる。今年の夏も猛暑日が続いているが、
私は暑い夏が大好きである。ギラギラと照りつける太陽も、
青く高い空と入道雲も、ありったけのエネルギーが
発散される気がするからだ。

寝入ったばかりと思う頃(午前5時半頃)に、庭で鳴く
セミの合唱団の大音響に起こされる。過去には、私の短い
睡眠を妨害するセミの鳴き声を恨めしく思うことも度々
あったが、最近では心の中でセミたちにエールを送って
いる自身の変化に驚いている。若い頃は、安眠妨害の
セミを「煩くて寝られん」と恨んだこともあったが、
年を重ねたせいか最近では鳴けるだけ鳴いて最後まで
エネルギッシュに過ごすように、頑張れ、頑張れ!!と
エールを送りたくなるのである。

セミの生態は詳しくは知らないが、地中に6〜7年幼虫で
過ごし、地上に出てからは1週間の命と聞いている。
この残された短い時間を必死に鳴くことで、己の存在を
アピールする蝉時雨を聞きながら、セミと私自身の生き様を
重ね合わせて、自分に残された人生に想いを馳せるのである。

人は元気な時よりも弱った時(若い頃より年老いてから)に
人生について考えると言った人が居たが、そうかもしれない。
かの徳川家康の人生訓には、「人の一生は重荷を負うて 
遠き道を行くがごとし急ぐべからず 不自由を、常と思えば
不足なし・・・」とあるが、子育てを終え、重荷を肩から
降ろした今、朝の目覚めを今日も生かされているとお日様に
向かって感謝する年齢に達した私は、このセミたちのように
残り少ない人生を気力、体力が続く限りエネルギッシュに
前進して行こうと思っている。

私のモットーは「暑いときに暑がらず、寒いときに寒がらず」
である。とは言っても仕事に入るとクーラーを効かせて汗を
かかないように仕事モードに切り替えている。その代り昼間は
夜とは一変して、家じゅうを開け放しランニングに短パンの
軽装で掃除や雑用に汗だくになって走り回っている。汗まみれに
なった体をシャワーと水風呂で冷やし、風鈴の音を楽しみながら
スイカを食すなどは至福のひと時である。

太古の昔から夏は暑いものと相場は決まっている。それ故に
私は暑い、暑いと口にしないと決めている。クーラーの効いて
いるお店の中でも、忙しく立ち働いていると汗が噴き出してくる。
このような時こそ涼しい顔をするのである。長いキャリアの中で
身に付いた習性なのだ。夜の蝶でさえこれなのだから、昼間の
セミもよもや、暑いあついと泣いているのではなかろう。

今年もまた、暑いお盆がやってきた。初盆参りも済ませ、
逝った人に手を合わせ、在りし日を忍び、盆踊りも家族で
見に行き、飛び入りで知人と共に炭坑節を踊った。あと何年
(何回)私の夏を楽しむことが出来るのであろうか。短くとも
長くとも私はセミのように1日1日をエネルギッシュに生きて、
残された人生を悔いのないように生きていこうと考えている。
posted by ochiyo at 23:47| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
蝉と蝶のお話は大変興味深く拝見しました。
というのも最近読みました本の中に蝉も蝶も登場していたのです。
蝉の方は映画にもなりました『八日目の蝉』です。主人公のセリフで『七日で死ぬはずの自分が翌朝生きていた時ないはずの八日目がどんな日になるのかみてみたい』という現実には起こりえないけれども主人公の切望として印象に残りましたし今も私自身このセリフの意味を考え続けています。
蝶の方は小泉八雲短編集の中に『蝶』という題材で『虫の研究』として書かれたもので中国と日本の昔話や句や象徴など様々な観点から構成されていたのですが印象に残りました句に『蝶とぶや 此世のうらみ なきやうに』『蝶とぶや 此世に望 ないやうに』と詠んだ一茶の二つで一つの句が完成されるような驚きと面白さが大変新鮮でした。
ママは『蝶』にピッタリのイメージですね笑っ。
だって小泉八雲の『蝶』にあるたくさんの句が全てママに当てはまるようです。
Posted by 庸子 at 2011年08月26日 15:54
夜の蝶を長いことやって居りますが、蝶のイメージだと言われたのは初めてです。夜の蛾と言われたことはありますが。
ここだけの話ですが、私の大の苦手は昆虫、爬虫類、そして動物なのです。動物愛好家からヒンシュクを買うようで口に出しません?が・・・。

昔は猫や犬が傍を通っただけでも身の竦む思いでした。蛇でも見ようものなら2〜3日は魘されました。人間以外の生き物を可愛いとか好きだとか思ったことは一度もないと言っても過言では無い幼少、青春時代を過ごしたのを思い出すと、本当に淋しく哀しくなります。

これでは駄目だと思ったのは子育ての時代です。
考えると、私の素晴らしい両親も生き物を苦手としていました。
家人は大(無類)の動物好きで道端に鳥
の亡骸があっても土に埋める人です。娘の幼少時代は全く私と同じでした。鎖で繋がれた子犬が横を通っただけで一歩も動けず恐怖に泣き叫ぶのです。
自分の心、気持ちと裏腹の教育がここから始まった訳です。

お蔭で今は、私からみて理解し難い?くらいの動物好きです。
男の子供二人は何故でしょう?小さい時から動物に対しては?問題ありません。

小さい頃、私に内緒で猫を育てていた事件も懐かしく想い出します。毎夜子猫と思われる声を聴き、子供に詰問しました。知らないの一点張りに堪忍袋の緒が切れ、暴力(叩いて)で白状させました。裏の塀越しの畑に子猫を育てています・・・と。怒った手前、どこっ!!案内するから、威厳を持って付いていくと生まれたばっかりと思われる猫かなにか判らないものが泣きながら動いているのを捉えた瞬間、卒倒に近いものを感じました。ぎゃー!!仰天した想い出等、多々あって子育て時代を懐かしんでおります。

牛のよだれのようにダラダラと長いばかりのトリトメのないコメントになりました。もう出かける時間になりました。
このトリトメのないコメントの続きは又に・・・。

庸子さんへ



Posted by お千代 at 2011年08月28日 14:18
そうでした笑っ。
ママは無類の生き物苦手として有名(お店の外では秘密ですが)でした。
それを『蝶』に例えるとは…失礼しました笑っ。
お花に例えるなら『深紅のバラ』という感じでとにかく『華やか』なのです。けれども最近は『オレンジのダリア』でもありますし『薄紅の牡丹』や『純白のカサブランカ』や『レモン色のカトレア』と会う度に印象が違います。たぶん引き出しが多いのですね。
ちなみに『蝶』の中でも『紋白蝶』ではなく『揚羽蝶』です。これも失礼でしょうか…。
Posted by 庸子 at 2011年08月29日 22:17
「蝶のように舞い蜂のように刺す」

これはママさんを形容しているのではなかろうかと、今回のブログを読んで思いました。

さもあらん。
Posted by 鯉太郎 at 2011年08月30日 08:58
蝶の様に…蜂の様に…褒められているのか貶されているのか…私はいい様に理解しましょう。でも私はどうみても、考えてもただのオバサンです。蝶の様になる為に努力を惜しまず、頑張りましょう。勿論、健康あっての事ですが。こうご期待!!!

「蝶のように舞い蜂の様に刺す」
これはボクシングの元へビー級チャンピオンのモハメット アリ(カシアスクレイ)のことですね。

鯉太郎さんへ
Posted by お千代 at 2011年08月31日 14:43
こんな私のイメージをを揚羽蝶と形容してくださった庸子さん。失礼なんてとんでもありません。嬉しい限りです。これに懲りず深紅のバラ、牡丹、カサブランカ、カトレアの花等と例えてくださり、もう穴があったら入りたい心境です。久しぶりに恥ずかしい気持ちが充満して、身の置き場もありません。

ちょっと冷静になると、美しさをこの様に例えているのでは無いことに気が付き冷や汗が・・・。元来、単細胞にできているのも幸せですよね。自分の都合の良いように考えることに妙に納得しております。

可愛い紋白蝶も優雅に舞う揚羽蝶も、可憐なそして美しさを競う花々や、自然の全てに心を癒されない日は1日たりともありません。

動物と子育てのコメントをと思っておりましたが、貴女の余りにも美辞麗句のコメントが私を惑わせたようです。

いつか貴女と時間をかけて子育てを恋や愛や女、男、人生と夢をいっぱい語り合いたいと思います。

庸子さんへ
Posted by お千代 at 2011年08月31日 17:52
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