2014年06月20日

五月雨イコール梅雨? No.128

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 テレビの天気予報を見ていたら、今頃降る雨を「さみだれ」と言っていた。今日(6月17日)は旧暦で5月20日だとも。「さみだれ」の「さ」は田植えの古語で、古来の田植えの時期を意味し、「早苗(さなえ)」や「五月(さつき)」の「さ」と同語源である。「みだれ」は「水垂れ」で雨の意とある。

 一方、「梅雨(つゆ・ばいう)」の語源としては、この時期は梅の実が熟す頃であることからという説や、この時期は湿度が高くカビが生えやすいことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、これが同じ音の「梅雨」に転じたという説、この時期は「毎」日のように雨が降るから「梅」という字があてられたという説がある。この他に「梅霖(ばいりん)」や、旧暦で5月ごろであることに由来する「五月雨」、麦の実る頃であることに由来する「麦雨(ばくう)」などの別名がある。と書かれていた。 

 このことから「さみだれ」と「ばいう」は同義語であるというのが分かった。中国では、古くは「梅雨」と同音の「霉雨」という字が当てられており、「霉」はカビのことであり、日本の「黴雨」と同じ意味である。「梅雨」は中国から「ばいう」として伝わり、江戸時代のころより「つゆ」と呼ばれるようになった。、それまでは「さみだれ」の言葉を使っていたのであろうか。松尾芭蕉の「奥の細道」に収録されている「五月雨を あつめて早し 最上川」は、元禄2年(1689年)5月に詠まれている。また、”日本歳時記(1688年編纂)には「此の月 淫雨ふる これを梅雨と名づく」とあり、こちらの「つゆ」が芭蕉の「さみだれ」よりも1年早いことになる。「つゆ」という言葉自体がまだ世間に浸透してなく、季語としても使われてなかったのかもしれない。

毎年のようにこの時期になると「つゆ」に関連したことを書いている。「6月の花嫁(ジューンブライド)」や「梅雨入りと千恵子抄」や「アジサイ」のことを書いている。結構アカデミックな内容になっている。書き方としては、タイトルが決まるとそれに関連した内容を知るために、検索を掛け「Wikipedia]などから参考になる個所を抜出し文を構成していく。実際のところ知らないことだらけである。全てコピペにするとそれは盗作以外なにものでもない文章となってしまうので、それに対しての自分の思いや考えを添えていく。「講釈師 見てきたような 嘘を言い」はこのインターネットの時代には通用しませんから、このような文献を頼りにして書いています。公式文書でもありませんから70過ぎのオバンの手慰みとお許しください。

 梅雨の時期になると我が家では毎年行っていることがある。庭木の手入れと梅酒造りである。去年は5Kgほども採れたのであるが、今年はその半分ほどしか採れなかった。その代り、お店の常連さんに8Kgほども頂いたので沢山の梅酒を造ることができました。もう一つは、ドクダミ草を摘んで水洗い・陰干し・乾燥させた後に、小さく刻んでドクダミ茶を作るのである。また、花は別にとっておき、焼酎に漬け化粧水として使うのである。今年はアロエでもこれを作るつもりです。これには訳があって、庭木の手入れは家人の担当なのですが、毎年、山茶花につく毛虫にやられて手足を真っ赤に腫らすのです。今年なんか「いつもやられるから殺虫剤を撒いてから作業しよう」と薬を撒きに行ってやられる始末。完全武装で構えていてこれだから、どちらが弱いのか強いのかよく判りません。病院に行きたがらない植木屋さんにせめてアロエで作った化粧水を使ってもらって、痒みを和らげてほしいと思っています。人相が悪い・根性が悪い山賊のオッサンでも三分の毛虫にやられるんですもん。私(頑丈な皮膚の鉄面皮)なら「亭主の仇、捻りつぶしてくれるのに」と思うのですが、ワタクシ出事と食べ事を担当しておりますので、虫も殺せませんの。悪しからず。ウフッ!!

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2014年06月09日

最近、出遭った三つの言葉  No.127

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 この三つの言葉は、旅先で出遭った「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」というものと、ある人の座右の銘「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 為さぬは人の 為さぬなりけり」を聞いた時に知った言葉である。もう一つは「人生とは そのものがプレゼント。全てが与えられている」というものである。

 最初の「わが胸の・・・」は鹿児島に旅行をし、フェリーで桜島に渡った時に見つけた石碑に書かれた短歌の文字であった。作者は“平野國臣”とあった。同行した女性連で勝手に詩の解釈をしたのであるが、一致した答えが、薩摩女に恋をした旅の男が、自分の熱い思いを相手に訴えるのだが、相手は知らん顔。自分はこんなに思い焦がれているのに、薩摩女はなんて冷たいのだろうという悲恋の詩である。というものだった。

 私は、作者を知らなかったので帰ってから早速調べてみた。私も含めてオバサンたちの想像は勘違いも甚だしいものであった。名は“平野二郎國臣”(福岡の西公園に銅像が建っているそうです)と言い、幕末の福岡藩の下級藩士で脱藩浪人、即ち勤王の志士なのである。西郷隆盛とは盟友の間柄で、薩摩へは倒幕運動のため何回か訪れている。薩摩藩の政情が不安定なため国に入れず、引き返さなければならなかった時の心情を綴った詩で、「我胸の燃ゆる思い」は國臣の勤王の志。煙の薄い桜島山は薩摩人の勤王の志が、自分と比べると古い慣習にこだわり、改めようとしないで情が薄いという皮肉で、国臣の悲憤がうかがえます。この後、捕えられて京都で新撰組によって処刑されます。享年37歳。

 二つ目の「為せば成る・・・」はライオンズクラブの広報紙の人物紹介に載せるために会員のSさんにインタビューし、「座右の銘」を聞いた時のものであった。この時にSさんが、この詩の作者を「徳川家康」と言ったのですが、私は違うような気がしたのですが、その場では名前が思い出せず、反論はせず帰ってから調べてみると、「上杉鷹山(ようざん)」だと判りました。鷹山は 第9代米沢(山形県)藩主で江戸時代明和年間(1769年頃)に藩の行財政の改革をやった人です、18歳で藩主に就いた頃(他家から養子に入った人)藩は20万両もの借財があり藩を幕府に返上しようとしたくらい財政的に逼迫していた。倹約殖産を奨励して藩の財政を立て直したのです。幕府将軍からも褒賞され他藩の模範となった。実際には50年もかかったそうです。この名言は何事も成功しないのはやろうとしないからだ という教訓なのです。

 三つ目は、「人生とは そのものが プレゼント。すべてが与えられている」という言葉に出遭いました。残りが少なくなった71年の我が人生を振り返り、この言葉の意味を考えた時、この世に生を受けて誕生したことが最高のプレゼントになるのであろう。頭の良さや建て付けの良いスタイルや顔の造作などは与えられなかったが、代わりに頑丈な病気知らずの体と、「やり手ブス」といった努力する術を身に付けられたような気がする。目には見えないが、出逢いやチャンスは誰にでも目の前にぶら下がっているのかもしれない。皆が三億円の宝くじに当たるわけではない。大部分の人が外れ券を捨てきれずに握りしめて 人生を歩んで行くのだと思う。得るものがあるなら失くすものあり、人生とは「人間万事塞翁が馬」なのだ。一喜一憂することはない。冬の寒さに耐えるからご褒美に春の暖かさが得られるのであり、夏の暑さを辛抱する代わりに錦繍の秋を満喫させてもらえるのだろう。そうやって年月を重ね、人生の最終章を迎えた時「我が人生に悔いなし」と笑えたら最高の人生と言えるであろう。
posted by ochiyo at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記