2014年04月14日

Before・アフター No.124

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4月9日(水)、天気は快晴。最高気温は22度。作業するにはもってこいの陽気である。今日はライオンズクラブの奉仕作業で、福智山登山道・薙野休憩所のテーブル・ベンチの設置作業があった。2時間チョッとの睡眠時間で7時に起きて登山道入り口に9時に集合。

 本日、作業される建設会社の方たちと、ライオンズの会員 総勢14名で薙野の休憩所まで登って行く。途中3カ所ほどスリップしたりスタックしそうになりながら、なんとか目的地に到着。私たちが着いた頃にはもう作業は始められていて、築20年以上はなると言われている古くて壊れたベンチが取り壊されていく。私は何の戦力にもならないので邪魔にならないように作業の様子をカメラで写していく。クラブの男性陣はダンプカーからテーブル・ベンチの木材を2人掛かりで肩に担いで降ろしている。枕木ほどの大きさだから、かなりの重量のようだ。

 同時進行でベンチやテーブルの脚を撤去するのにスコップなどを使って掘り起こされていく。山の中腹での作業のため機械が使えず全て手作業である。木材を降ろし終えたダンプカーに今度は廃材を積み込んでいく。作業は二手に分かれテーブルの組み立て作業と、テーブル・ベンチを据えるための穴掘りが進められる。見ていてこれは素人には無理だナと思った。頃合いを見て私は弁当を取りに下山。クラブの会員である“しまや”さんで弁当を受け取り現場へ。皆で車座になってワイワイ言いながらの昼食となる。目の前の葉桜になりかけた桜の老木からハラハラと花吹雪が舞い、「これで酒があれば花見になるのに」といった風情であった。昼休みもほどほどに作業再開。

 掘った穴の中にベンチ→テーブル→ベンチの順に据え付けていく。組み立て上ったテーブルは6人掛かりでやっとといった重量で、足元の悪い坂道を運ばなければならない。鉄筋を立て水糸を張り水平器を使って向きや高さや水平を合わせていく。こっちが良ければあっちが合わず、位置が良ければ水平があわずで、最初のテーブルはかなり手間取っていた。セットが終わったテーブルの脚元は、下の東屋で練られたセメントを一輪車でクラブの皆さんが押し上げていき、固められた後スコップで土が埋め戻されていく。2つめのテーブルも同じ手順で据え付けを行い、こちらの方は2度目ということもあって作業はスムーズにいったようだ。

 作業をしている場所が登山道の脇にあるため、下山してくる多くのハイカーから声を掛けて頂きました。その度に、設置に至った経緯などを話し、皆さんからは労いの言葉や、お礼の言葉を返して頂きました。「やってよかった〜」という喜びが湧いてきます。東屋の中のベンチも出来上がり、道具を片付け周りの清掃を終えたのが4時前でした。

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 新しく出来上がったベンチに座って記念の集合写真をパチリ。本日の作業を痩身に鞭打って頑張って頂きました、クラブ会員である相互建設の石田社長を始め、社員の皆様お疲れさまでした。お蔭様で素晴らしいテーブルとベンチが出来上がりました。福智山や鷹取山に登山する皆様の憩いの場になると思います。私もこれからこのテーブル・ベンチを見る度に、本日の作業を思い出すことでしょう。下山して、疲れた体に鞭打ってパソコンに写真を取り込んでいると、現在オーストラリアを旅行中の次男坊からメールがあり、作業している写真を付けて返信。今日の作業の様子が8000Km離れたオーストラリアに飛んでいきました。

 翌日(10日)午後から、市内山辺にある直方城址の石碑の文字の修復作業に行ってきました。これも昨日と関連した奉仕作業で、建てられたのが1973年ですから40年も前のもので、彫り込んだ文字が薄くなっていたための修復でした。白と黒の水性塗料と筆をクラブの会員である松村塗料商事からドネーション(無償で提供)して頂き、2時間後には見事に復活いたしました。どちらの作業も私の人生の1ページを飾る出来事だと思います。
改めて写真を並べて見ると、また喜びや感動が蘇ってきます。
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2014年04月01日

サポレンジャー レッド隊長をお迎えして No.123

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2014年3月18日(火)、直方ライオンズクラブ 3月第二(卓話)例会の講師に、飯塚サポートセンター 少年育成指導官 安永智美係長をお招きし、演題『子どもを非行から守るために〜問題行動の「根っこ」とは〜』を講話していただきました。

 安永先生には、当クラブの青少年健全育成事業の核である「薬物乱用防止教室」の講師として直方市内・小竹町(小中17校)において講話をしていただき、大変お世話になりました。この講話の内容は、薬物による有害性の話だけではなく、いじめや非行問題、命や家族の大切さなどを、実際に起こった実話を例に挙げながらのお話をされるので、聞いている子供たちだけではなく、私たちまでもが涙なくしては聞けない内容の講話をされるのです。「薬物乱用防止教室」に携わっている第四委員会の皆様に、是非、卓話にお呼びしてクラブの皆様に聞いて欲しいとの呼び掛けをし、今回の実現にいたった訳なのです。

 所属先の少年サポートセンターはサポレンジャーと呼ばれていて、安永先生は“レッド隊長と呼ばれ、子供たちからとても慕われているそうです。因みに仲間の堀治美先生はブルーレンジャーと呼ばれているそうです。このサポートセンターの活動には2つの核があり、それは「機動力」と他の組織と連動する「行動連携」だといいます。この中には、@非行少年の立ち直り支援 A居場所づくり B予防教育があり、講演は「心の揺さぶり」であり、薬物乱用防止教室は正にこれに当てはまります。

 「非行少年じゃない。みんな不幸少年だった!」「問題のある子は心に傷を負っている」「問題行動を起こす困った子ではなく、問題を抱えて困っている子」など、問題行動の根っこの話には、1)子どもの怒りを侮るな 2)泣けない女の子 3)心が折れた子どもたち 4)心に愛を注ぐ 5)いじめほど悲しいものはない 6)三つの苦行「許す」「信じる」「待つ」などがあり、その中の「秘密の木」の話や、“みやざき中央新聞に連載(2010/03/30〜4/13)された、「子供のSOSが届いてますか?」の中の話などは涙なくしては読めませんでした。

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 安永先生は福岡県警に警察官として12年勤められていたそうです。白バイにも乗られており、その頃の体重は○○Kg(正確な数字は伏せておきます)もあったそうで、今のスリムなスタイルからはとても想像も出来ないですね。34歳の時に少年サポートセンターに転職されたそうです。これには、自身の子育てをする中で心境の変化が芽生えていったからだそうです。少年課勤務のころは、少年犯罪に対して補導や検挙といった対処療法であったものが、少年育成指導官になってからは、「非行少年をつくらない時代」というように変わっていったといいます。

 あるシンポジュウムで、署長の挨拶の中に、「自身の生活を投げうって少年問題に取り組んでこられた素晴らしい女性である。・・・“少年育成指導官”という職名を当時の本部長に進言し、そのとおりに職名が変わったという女性でもある」と安永先生を紹介しています。また、「言葉ひとつで子供は変わる」(PHP研究所・1260円)というタイトルの本も出されています。ご自分がこれまでに体験されたことが書かれており、子を持つ母親の心に届くメッセージのこもった内容となっています。

 私はライオンズクラブの会長を務めさせていただいたお蔭で、こんなに素晴らしく尊敬できる女性と知り合えたことを、同じ女性として大変嬉しく思います。これからも健康に留意され、益々のご活躍を期待してやみません。
posted by ochiyo at 03:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記