2013年01月15日

初めてのHELP NO119

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明けましておめでとうございます。暮れの30日まで仕事をし、
大晦日は恒例の大掃除。昨年を振り返れば家族みな健康に過ごし、
1年を無事に乗り切ることができました。故に、良い年で
あったと思います。

大晦日は22時までに全てを終わらせて、剛士と親子3人で
お酒を飲みながら新年を迎えました。元日,恒例の荒五郎山に
登り、初日の出を拝もうという話になりましたが、雪が降って
晴れ間は望めないとのこと。各自、自由起床ということで
2時過ぎに就寝。お昼頃に起き出すと外は一面の銀世界。
まるで子供のように「雪だ雪だ」と騒いでいたら皆、起き
出して来た。新年の挨拶もそこそこに、写真を撮りに庭へ
出て行きパチリ,パチリとシャッターを押す。手足が冷たく
なってきたところで部屋に戻り食事の用意。

私たちの休みは元日の1日だけ。2日は食事の予約が入って
いるので早くから出なくてはいけない。剛士も2日から仕事だ
という。夕食は久し振りに長男も帰って来て、すき焼きを
囲んで酒盛りに。若者は熱く語り、年寄りはそれを肴に酒を
飲む。深夜まで宴は続き終わることを知らない。

2日はお店に出る前にすみれ会館(葬祭場)へ。ライオンズ
クラブのIさんのご尊父が亡くなられ、お葬式が12時から
執り行われるため、長男と参列することになった。去年の
秋からこちら、私の知り合いの葬式に参列することが例年に
比べると非常に多く、懐かしさと寂しさと悲しみが繰り返し
訪れてきた。親との別れは遅かれ早かれ、誰にでも訪れる辛い
体験であるが、新しい命が誕生するように古い命が消滅して
いくのは世の常なのである。奥歯を噛み締めて悲しみに耐える
しかない。そうやって世代は交代していくのだ。霊柩車を
見送るために外へ出ると、悲しみの雪が舞っていた。

正月三が日、雪が降り、寒い新年のスタートとなった。
13日(日)は直方ライオンズ主催の書き初め大会があり、
20日(日)には作品展示・表彰式がイオンモール直方で
行われるため、実行委員長である私はその準備に追われている。
27日(日)も予約が入っているため、6日(日)は貴重な
休日であった。普段であれば昼からサウナ行きとなるので
あるが、宿題を片付けなければならないため、終日その作業に
没頭していた。

4時過ぎに剛士から「スタッフが2人も休んでお店がてんてこ
舞いで手が足りないから2人で応援に来て」と要請の電話が
入った。家人の了解もとらずOKの返事をして電話を切り、
「今から剛士んとこ行くよ。風呂沸かして」。お風呂から
上がり準備をしているところに「忙しくなる前に仕事の説明を
したいから出来るだけ早く来て」と、メールが入り、車の中で
「HELPの電話は初めてだネ」。「我々で役に立つのかいナ」と
話しながら、大急ぎでお店に着いたのが5時半だった。

我々が到着した頃には大忙しさのピークは過ぎていて、洗い物が
シンクに山と溜まっていた。私は表周りと器引きを担当し、家人は
洗い物をやることに。簡単に作業の手順や洗浄機の説明を受け
作業開始。ピーク時ではないとはいえ、次々にお客さんは入って
来る。お客さんを見ると身に着いた習慣で「いらっしゃいませ〜」
と大きな声が出る。家人はいつものように黙々と洗い物を
こなしていく。焼肉とラーメンの油で汚れた器と格闘して
いるのを見ると、いつもとは少し勝手が違うようだ。

昼間のスタッフが少なかった分、洗えなかった器プラス、
お客様が帰られる度に私やスタッフが引いて来るから、
洗い方は手を休める暇もない。私も器引きをしながら次の
お客様が気持ちよく食事されるように気を配り、足元のゴミや
テーブルの拭き残しがないか点検する。3時間ほど仕事をして
一段落付いた頃に「上がってください」の声が掛かった。
オーナーの奥さんのお礼の言葉と共に「ご飯を食べて帰って
ください」の勧めをあまり固辞するのも失礼と思い、甘えることに。
2人で焼肉をご馳走になり、ご飯も焼肉もお代わりを頂戴し、
お腹いっぱいになって退散することに。

見送りに出てきた剛士店長が「ボクの獅子奮迅の働きぶりを
見てもらおうと思っていたのに」。判ってますョ。タケちゃんが
頑張り屋さんなのは。只、母親の目から見たタケちゃんは頑張り
過ぎに映ります。体に気を付けて、心を丸く、気を長く、腹を
立てず、もう少し自分の時間が取れるような働き方をしては
どうでしょうか。老婆心ながら。笑顔の素敵な息子へ・・・
スマイル!
posted by ochiyo at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記