2012年12月18日

師走になりました(No118)

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12月は1年の終わりの節目の月です。「大祓い」という
行事もあり、1年の罪・咎(とが)・けがれや不幸を全部流して、
新しい年を迎えるための総決算をする月なのです。今年も残す
ところ3週間となりました。71年前の今日(8日)は太平洋
戦争開戦の日である。若い世代に12月8日は何の日と質問する
とビートルズのジョンレノンが暗殺された日と答えが帰ってきた。
記憶する事柄にも世代交代の波が押し寄せているのだろうか。

師走に入って祝い事や弔い事などが続く。祝い事はライオンズ
クラブのIさんとNさんの会社で、同じ糸島でリニューアル
オープンがあり、Iさんの所はクラブの持ち出し委員会で伺い、
Nさんの所へは伺う時間がなくて、連名でお祝いを届けた。
8日の昼からは、鞍手斎場で柴田鞍手町長の葬儀に参列した。
役場でお会いした時に「体調が良くなったら顔を出すから」と
仰っていたが叶わぬこととなってしまった。任期半ばの74歳は
早すぎる逝き方ではないだろうか。広くない斎場に多くの弔問客
が参列し、最後まで立ちずくめのお年寄りには気の毒であった。
強い北風が吹く寒い日の葬式であった。

この1週間、寒波の襲来で寒い日が続いている。日曜(9日)
にはついに雪が舞った。金・土曜と忙しく働き、いつもであれば
サウナで鋭気を養うというのがいつものパターンであるが、
昼過ぎからお店のスタッフ2人と共に、Y子さんのお見舞いに
出掛けた。明日が手術と聞いていたので、その前に励ましに
行こうとなった次第なのだ。私たちが顔を出すと、彼女は泣き
出さんばかりに喜んでくれた。時間も忘れて話し込んでしまった。
気が付くと病院の食事の時間となっており、「受け取れません」
という手にお見舞いを握らせてお暇(いとま)した。帰りに
簡単な食事をして家に帰ったのは8時近かった。別れ際に
「私たちの忘年会になりましたネ」の言葉に、最近忙し過ぎて
ミーティングの時間もとれてなかったことにチョッピリ反省。

12月は忘年会のシーズンである。早いところは11月の
終わり頃から始まる。昨日(7日)もある会社の忘年会があり、
50人からの接待であった。前日から仕込みに入り、当日は
総動員で18時半開始にむけて準備に追われる。乾杯の音頭
から始まり最後のフルーツを出すまでフルの戦闘モードなのだ。
2次会、3次会までお店を利用していただき、有り難いことだと
感謝しております。社長をはじめ幹部の方のご挨拶を伺って
いますと、自信に満ちていて元気のいい会社であるということ
がよく判りました。

ここまで書いて10日が経過してしまった。入れ替わり立ち
替わり、毎日のように用事が出てくる。仕事とこの用事を
こなすのが精一杯で、自分の時間が摂れない。よって、作文が
書けないという図式になっている。16日の衆議院選挙の投票日
には中学時代の打ち上げ忘年会がお店であり、休日返上で対応
する。

今日(18日)、嬉しい知らせが届いた。Y子さんから退院の
知らせが。手術は成功してすぐに退院の予定であったのが、
経過が思わしくなく1週間遅くなってしまった。ここから又、
1週間経過。お店の忙しさとその他の用事が重なって、どうして
もパソコンに手がのびない。12月の初めに仕上げていなければ
いけない文章が“往く年来る年”のようなものになってしまい
ました。

昨日はクリスマスイブ。私の年になるとサンタさんは縁がない、
はずなのですが、毎年私にもプレゼントを頂くのです。サンタ
さんからのメッセージカードに「良い子のところにサンタさ
んは来るよ」と、書いてありました。ヒョットしたら隣の煙突
と間違えて配達されてしまった?。
posted by ochiyo at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年12月10日

終の住まいについて考える(No117)

インターネットにこのようなタイトルの記事を見つけた。
興味があり読んでみると、成程と思えることや、自分には
こんな考え方はないナーと思えることなど。基本的にどこか
へ移り住みたいという考えが、私にはないから議論にはなら
ないのだが、只、男女の考え方の違いがどこからきている
のかを考えた時、“憧れが強い男性”に対して“現実的な
考え方をする女性”という構図が見えてくる。

団塊の世代を中心とするシニア層は、就職で地方から東京など
都会に移り住んだ人が多い。リタイア後は、故郷回帰と言い
ますか、自然豊かな環境の中で余生を送りたいと考える人も
多いだろう。自身の通勤や子供の通学などの制約される条件が
無くなることにより、田舎への定住も可能になるだろう。

物事には二面性があり、都会に住むにしろ田舎にしろ、プラス
・マイナス面、メリット・デメリットというものがある。
都会に住むメリットは一言でいえば便利だということ。通勤・
通学・通院・買い物・その他諸々を考えてみても田舎より
勝っているだろう。他方、デメリットと言えば、衣食住全て
に経費が高いことが挙げられるだろう。それに人間関係が田舎
に比べて希薄(プラスorマイナス?)、里帰りが大変(これは
私が娘のことで実感している)など。

一方、都会から離れた地域を田舎と呼ぶそうだが、確かに都会
に比べれば不便さは多いのは事実である。車がないと通勤も
買い物にも手間が掛かる。子供の進学や、色んなものの選択肢
が限られてくるなどが挙げられるだろう。メリットとしては、
緑が多く自然が豊かである。土地の値段が都会に比べたら安い
ので家賃・駐車場代や物価・人件費が安くなる。当然、収入も
少なくなるだろうから生活するのにどちらが住みやすいのかは、
私は都会の生活をしたことがないから比較ができない。

私の住んでいる鞍手町は、どちらかというと田舎の部類に
属する地域であろう。この地に家を建てて移り住んで40年
以上になる。実家も姉の家もすぐ近くにあり、いろんな面で
助けてもらった。この地に子供の頃から住んでいるので小学校
時代の友達とも半世紀を超す付き合いがある。人間関係を
はじめビジネスや生活の基盤がこの地にあり、今更、便利だと
はいえ知らない都会に移り住もうという考えは毛頭ない。

家人はというと、40年以上この地に住んでいても、馴染め
ないものがあるという。それは有形無形の“ムラ意識”だ
そうで、よそ者が入って行けない雰囲気というか、これは
外から入って来た者にしか判らないことだという。現役の
頃は出張が多く後半は長いこと単身赴任で出ていたから、
地域の人たちと交わることが少なかった。それでも、村の
出事や催し物にはよく参加してくれた。我が家では溝掃除は
夫、食べ事は私という風に、不文律が出来上がっている。
こんな家人でも都会に住みたいとは思っていないようだ。
住めば都ということであろう。

こんな私たちは、定住農耕民族の末裔なのかもしれない。
仕事を考えてもこの道一筋であるし、家人も基礎工事一筋で
あった。仕事も一つ、住まいも一つ、夫婦も一つ、いたって
シンプルなのだ。複雑な世間を渡って行くには、荷物は出来る
だけ軽くした方が楽なのである。こうやって文を書きながら今、
頭に浮かんだのは、転勤族の人たちはリタイア後はどこに住む
のだろうと。国内だけでなく海外にまで出かける人も珍しくは
ない時代である。

こんな話を読んだことがある。海外赴任の商社マンの夫に嫌々
ついていく奥さんの話である。場所はシンガポールだったと思う。
住まいは広くメイドからお抱え運転手まで付き、子供は日本人
学校に通わせ、同じ境遇の奥様たちとパーティ三昧。任期が
終わり日本に帰る時期になった時、現地と日本の都会の生活の
落差を思ったときに、あれほど来たがらなかったのに、思わず
「帰りたくない」。

これぞまさしく、“現実的な考え方をする女性”ではないだろ
うか。要は自分にとって一番落ち着けて住みやすい場所を、
終の棲家にすればよいのだろう。理想を言えばモレシャン夫妻
のように、パリと金沢を行ったり来たりがいいのかナ。家人は
寒がりになってしまったので、冬なしの,日本とオーストラリア
を往復するのがいいかもしれない。

posted by ochiyo at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年12月01日

飛行機とバスと赤ちゃんの泣き声(No 116)

この1週間ほどの間に、私は赤ちゃんの泣き声について目に
したり、文章を読んだりした。インターネットのニュースの
見出しに“機内での赤ちゃんの泣き声にブチ切れ”というのを
目にしたのであるが、全く興味もなくもう忘れていた。何日か
前のテレビの番組で、スィッチを入れた途端の映像が、バスの
運転手さんが「…赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、
少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい」
と言った。番組の途中からだったので前半の台詞は聞けなかった
が、容易に想像はつく。

おそらく、満員のバスの中で赤ちゃんが泣きやまず、周りの
乗客に迷惑がかかると若い母親は考え、途中の停留所で降り
ようとしたのであろう。画面の中では、ほんの数秒が過ぎた時、
一人の拍手が起こり、つられてバスの乗客全員の拍手となって、
それが賛同の答えとなったのです。若いお母さんは嬉し涙を
流しながら、何度も何度も頭を下げていました。

この話は過去にあった実話だそうで国語の教科書にも「バスと
赤ちゃん」のタイトルで載っているそうです。この後に、アメ
リカ版「バスと赤ちゃん」が流れてきた。こちらの方は、後部
座席で泣きやまない赤ちゃんを抱いた母親に、女性の運転手が
「泣き声が迷惑だから降りてくれ。でないと発車できない」と
何度も催促し、終いには母親はバスを降ろされてしまう。この
まま発車してしまうのかと見ていたら、一人の若者がバスを
降りて行った。次々と後に続いて全員がバスを降りてしまう。
運転手の行為に対する無言の抗議なのだ。一人の女性が赤ちゃん
を抱く母親に近づき「皆、貴女の味方だからネ」。

日米で運転手と乗客との違いこそあれ、“人情紙の如し”と
言われる昨今に於いて、“チョットいい話”ではないだろうか。
しかし、いつの頃からこのような話が美談になったのだろうか。
“家貧しくして孔子出ず”ではないが、貧乏長屋の住民たちは
コメでも味噌でも隣に借りに行き、隣もまた、こちらに借りに
来るといった、”お互いさま“という相互扶助で人間関係が成り
立っていた。ないないずくしの中で生きるということは、色んな
工夫をするし助け合わないと立ち行かずで、そのようにして相手
を思い遣る精神が身に付いていくのではないだろうか。

核家族、少子高齢化、個人主義など、相手を思い遣る精神の欠如
に対する理由付けを挙げるとするならば、山のように出てくる
ことだろう。只、世の中を見渡してみれば豊かになったせいな
のか、個人の権利を主張するようになったせいなのか知らないが、
音に対する許容範囲が狭くなってきている気がするのは私だけ
だろうか。工場や工事から発生する騒音に始まり、車のエンジン音、
蝉や蛙の鳴き声、赤ちゃんの泣き声でブチ切れるに至っては世も
末だナと思ってしまう。

これは40歳代の女性マンガ家が飛行機内で赤ちゃんの泣き声に
切れて、その母親と日航にクレームを付けたというものである。
対処の仕方もさることながら、子供を育てた経験のある女性なら、
泣かれた時の辛さやどうしていいのか判らなくて困ったことは
何度もあったはずである。どうせなら文句を言う代わりに「私が
泣きやませてあげるから」と赤ん坊を抱っこして笑わせてやれば
美談になったものを。我慢をするとか、辛抱するとかが身に付いて
いないのだろう。

子供の頃から繰り返し訓練をして、身に付けさせる躾の基本の中に、
人と調和した行動がとれる自立した人格と言うものがある。我慢や
辛抱、思い遣りや慈しみなど、社会生活を営む上で備わっていな
ければならない品性である。これが欠けてるばかりに機内での
ブチ切れに繋がったのではないのだろうか。バスでの出来事が
良い話なだけに残念なことだ。

子供叱るな 来た道だもの  年寄り笑うな 行く道だもの  
来た道 行く道 二人旅  これから通る 今日の道  
通り直しの 出来ぬ道
posted by ochiyo at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記