2012年09月28日

偶然の出逢い 諸九尼(しょきゅうに)

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名は勿論のこと、その存在すら知らなかった。偶然の為せる
業なのである。家人に送ってもらって所用で直方中央公民館を
訪ねた。20日の午後のことであった。用事を終わらせ車に
戻ると家人がいない。どこに行ったかと辺りを見回すと
デジカメ片手に花壇の雑草を引き抜いている。寄って行って
「何しとるん?」と声を掛けると「彼岸花が咲いているので、
写真を撮るために邪魔な草を抜いている」と答えた。この時は
何も感じないままお店に帰り、パソコンに写真を取り込んで
それを見せてもらった時であった。

彼岸花の後ろに御影石で出来た石碑があって、碑文に「世越捨亭
見類分別や  山さくら 諸九」(よをすてて みるふんべつや
やまざくら しょきゅう)と書かれてあった。原文ではこう
書かれているのかは判らない。興味が湧いてきて調べてみる
ことに。

有井諸九尼(1714〜1781)田主丸に生まれる。
江戸中期の俳人。同時期に「朝顔に つるべ取られて 
もらい水」の加賀の千代女がいる。人妻でありながら、俳人
有井湖白(後に浮風)と不義密通欠落ち(駆け落ち)し、
大阪・京都に住む。浮風と共に宗匠として俳諧に専念する。
「剃り捨てて 見れば芥や 秋の霜  諸九尼」。
諸九尼49歳。夫を亡くして剃髪し、名を諸九尼と改めた時の
句である。20年暮らしを共にしてきた愛しさと共に、
これから生きていく決意を芥(あくた)と表現した黒髪に
託している。夫 浮風61歳 京に没す。「つれもあり 
いまはの空の ほととぎす」を辞世の句として。

57歳の時、奥の細道(京都〜仙台、550里【2200Km】)
を5カ月余り掛けて単独で踏破。この旅の紀行を「秋かぜの記」
にまとめて刊行。夫浮風の17回忌をすませたあと、夫の
生まれ育った直方に移り住む。天明元年(1781年)9月
10日68歳で永眠。浮風と共に直方市山部の随専寺の比翼塚
に眠っている。「夢見るも 仕事のうちや 春の雨」が辞世の
句である。

随専寺はお店から御館橋を渡り10分ほどの距離にある。
地元の人によると、比翼塚と銀杏の黄葉で有名なお寺だそうだ。
私は年に2回はお寺を訪ね、住職の宮崎良寛先生にお会いして
いるのだが、行く時はいつも裏口から伺うので表の看板などは
見たことが無く、先生からもこの話を伺ったこともなかった。

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翌日、時間があったので散歩がてら随専寺の比翼塚を見に行く
ことにした。歴史は知れば面白いもので、いつもは何気なく
渡っている御館橋も名の由来を知ると、いっぽ一歩踏みしめて
歩きたくなる。これは黒田長清公が妙見山の頂上にあった多賀
神社を現在の位置に移し、山頂(現・多賀公園)に直方城を
建てた。この頃の一国一城令により、城と呼べず御館(おたて)
と呼ばれた。名はここからきている。道路を下ると右手に雲心寺
がある。直方藩ゆかりの墓所があり、春の桜が見事である。
左へ曲がった右側に随専寺はある。諸九尼を説明した看板が
2枚あり、石段の右手には石柱もある。石段を登り山門を
くぐり本堂の左脇を通り抜け、墓地のある裏山へと入って行く。

両脇に古いお墓が並ぶ山道は4〜5mおきに落ち葉がかき集め
られて燃やされていた。看板には150mと書かれてあったが、
意外と遠く感じられて途中で見落としていないかと心配した
くらい、一番奥の突き当たりに、“比翼塚”はひっそりと佇んで
いた。思ったよりも簡素な墓でこれは弟子や縁りの人たちの手で
建立されたものだという。この名も男女の情愛が深いことを指す、
“比翼連理”からとったものであろう。お墓に向かって手を
合わせ、帰る道すがら諸九尼の人と形(なり)を思った。

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生まれ育った田主丸を29歳の時に故郷と家族を捨てて、
68歳で直方で没するまで40年間一度も里帰りは出来な
かったであろう。年老いた両親も出奔した当時は健在であった
かもしれない。そうだとすれば親の葬式にも参列していない
ことになる。当時、不義密通は斬首に処されるほどの大罪で
ある。親不孝な自分を責めながら、それを打ち消すために
俳諧に打ち込んだのだろう。色んな思いの入り混じった、
悔恨の念が込められた句ではないのか。辞世の句ではなく、
何故、この俳句が碑文に選ばれたのかが判るような気がする。

これほどの情愛を浮風に捧げた諸九尼の生き様に、息苦しい
ほどの感嘆と自分にはない生き方に羨望すら覚える。
このような女性が300年前にこの地に生きていたのだ。
浮風と出逢っていなければ、田主丸の片田舎で平凡な一生を
送ったのかもしれない。男女の出逢いがこれ程までの波乱万丈
な人生になることを示す一例であろう。どちらの人生が良かっ
たのかは知る術もない。
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2012年09月18日

台風接近の敬老の日

16日(日)から台風の影響が出始め、雨は大したことはないが、
風が強く吹くようになった。仕事の方は久し振りの連休である。
本来であればこの連休を利用して、京都の娘の所へ行く予定で
あった。1週間程前から台風接近の予報が出ており、「雨の中
での高速道路は走りたくない」と家人は言うし、気を揉んで
いたのである。

このところすっきりした天気が臨めない上、激しい落雷に
見廻れたりと段々、京都行きの意欲が失せていき、つい何日か
前にキャンセルの電話を娘にしたばかりであった。皆が楽しみ
にしていたイベントであったが天候には敵わない。ドタキャンで
あったため連休にもかかわらず何の予定もないし、第一、台風の
ために動くことも出来ない。

日曜にはサウナに昼から7時まで入り、食事を済ませ早々に寝る
ことに。家人は“全英女子オープン”を夜中の3時頃まで見たと
言っていた。17日の敬老の日は台風が朝6時くらいに北部九州
に最接近して、朝からニュースはそれ一色であった。昨日の
サウナでの会話の中で、敬老の祝賀を16日に予定していた
地域は実施できて、17日に予定している地域は台風接近の
ため危険防止の観点から、行事は中止になるだろうと話していた。

若い頃、敬老の日にはお年寄りに踊りを披露するため、先生を
呼んで習ったり色んなお手伝いをしていたものだ。また、両親が
健在のころは食事に招待したり、お小遣いをあげたりしていた。
我が家の子供たちも、祖父母に手紙を書いたり小遣いを持ち
寄ってプレゼントしたりしていたが、両親が亡くなってからの
敬老の日は我が家には縁遠いものとなり、忘れ去られる存在と
なってしまった。

「多年にわたり、社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を
祝う」ことを趣旨としているのが、敬老の日であることは理解
できる。判らないのは“老人”とはいかなる人を指すのかである。
調べてみると、法律の解釈によっては、45歳から70歳まで
様々である。中には孫がいたら40歳でもその対象となると
いう話まであった。上記の趣旨を自分に置き換えて考えて
みても、ピンとこない。確かに孫はいるが長寿を祝ってもらう
には年が足りない気がするのだが。

例えば、ゲートボールに参加したり、シルバー人材センターに
登録している人を老人の対象とするのには、少し無理がある
のではなかろうか。何故なら。皆さんお元気に励まれている
からだ。“お年寄り”や“高齢者”なら、まだ判り易い気が
する。私の父は86歳で亡くなったが、敬老会には最期まで
参加しなかった。促すと、「あんな年寄りばっかりの所には
行かん」と言う、サウナとコーヒーとパチンコが好きな元気の
良い年寄りであった。

この父の論からすると、自身で老人との認識を持っていない
高齢者は老人の範疇にないというのは暴論であろうか。私も
対象者であるにも関わらずその認識が薄い一人である。それに
”生きがい“を持って生きている人も対象外かもしれない。
老人の解釈と同じで、生きがいも百人百様であろう。何かを
目標とし、それをやることにより幸せを感じることや、自分の
所在や生存が何かの為、誰かの為に役にたっていると感じられる
ことが生きがいなのかもしれない。

老人を色々と調べていたら、“性格特性”と言うものがあった。
その中に「円熟型=過去を後悔することもなく、未来に対しても
希望を持つタイプ」があった。この他にも、安楽・防衛・憤慨・
自責型などがある。要するに人生をポジティブに考え、“もう
少しもう少しと、頑張ろうとしている時が一番幸せな時”を
旨とし、生涯現役を目指して生きていく間は、敬老会からは
お呼びが掛からないかもしれない。

強い風の音で早く目覚めた私は、近くの落雷に身を竦めながら
“老人”についてあれこれと考えていた。突然、「好かれる
年寄りにならにゃーネ〜」という台詞が頭の中に浮かんできた。
「嫌われる方が憚るかナ〜」とも。


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2012年09月09日

初秋の遠雷

ここ一週間ほど、夏から秋への季節の変わり目のせいなのか、
にわか雨や雷の鳴ることが多いような気がする。今朝も、雨音の
中の遠雷を、夢現(ゆめうつつ)の中に聞いていた。急に激しく
降りだしたせいか、障子越しに雨音が強く聞こえるようになり、
目覚まし時計よりも早く起きる破目になった。

布団の上でストレッチをしながらゆっくりと覚醒していく。
障子にピカッと光が映ってから暫くして、ゴロゴロと雷の音が
聞こえるから遠くで鳴っていることが判る。少し目覚めてきた
頭の中で、さっき浮かんだ“遠雷”という言葉を考えていた。
「確か季語としては夏ではなかったカナ」。ソロソロと起き
出してパソコン・電子手帳・大学ノート・ボールペンと、私の
七つ道具(四つじゃないか!)をテーブルの上に並べていく。

我が家自家製の冷たいお茶(朝鮮ニンジン茶・ドクダミ・麦茶
など7種類の茶葉をブレンドしたもの)を飲みながら、おもむろ
に電子手帳で“遠雷”を引いてみる。「遠くで鳴る雷、季語は夏」
と簡単な説明しか出てこない。意味はOKなのだが、夏だけでは
納得できない。今度はパソコンの出番である。遠雷では電子手帳
と同じ解説なので、“季語”一覧 Wikipediaを覗いて見る。
ここには四季の季語が色んなジャンルに分類されて出てくる。

夏の季語の中の天文の欄に、晩夏の中に遠雷は載っていた。
ようやく探し当てて「エ〜」と思ったことは、晩夏が(太陽暦:
7月、旧暦6月)と書いてあったからだ。私が常日頃感じて
いた晩夏は、8月であったのだ。これは後で私の思い違いで
あったと判るのであるが。季語というものは二十四節気から
きていて、1年が12カ月であるから二節気で一ト月、1年を
四季で分けると3カ月(六節気)となる。この3カ月が
“初・仲・晩”で表されるのだ。秋で例えると初秋(8月)
・仲秋・(9月)・晩秋(10月)となるのである。

パソコンで知り得た(?)文字や知識を、大学ノートに書き
写してはワードでブログの文を書いていく。この繰り返しを
経て私の文章は出来上がっていくのだ。仲秋=9月で先の季節の
ズレという思い違いが判明したのだ。更に“中秋の名月”を
引いて見ると、また・又、知ったかぶりの勘違いに出くわした。
「中秋と仲秋」とが出てきたのだ。

中秋とは、旧暦の秋(7・8・9月)の真ん中の“日”を指す
言葉で、旧暦の8月15日のことです。因みに今年の中秋は
9月30日に当たります、「中秋の名月」・「仲秋の名月」と
読み方は同じ「ちゅうしゅう」でも漢字が違うのを見掛けた
ことがありますが。「仲秋」の方の意味は秋の真ん中の“月”
を指す言葉で旧暦の8月を指すのだそう。と、いうことで
本来は「中秋の名月」と書くのが正しいようです。私はこれまで
この言葉を使う時、“仲秋の名月”と書いていました。

ここまで書いてきて、タイトルの“初秋の遠雷”は文法的に
おかしいのではないかと気に掛かった。太陽暦と旧暦が頭の
中でゴッチャになって少々こんがらがってきた。旧暦の初秋
(7月)を太陽暦に置き換えると、8月21日〜9月15日と
なるので季節は合っている。ただ、初秋に晩夏の季語は季節
外れの感は否めませんネ。チョッピリ安心すると同時に「最近
では年寄りが若者に尊敬されなくなった」という話を思い出した。

一昔前であれば判らないことがあれば経験豊富な長老に話を聞き
に行って知識を仕入れていた。現代ではパソコンの普及により、
若者は年寄りの話を聞く必要がなくなり、段々リスペクトしなく
なっていったという。まるでこの年寄りとはわたしのことを
言っているようだ。ウロ覚えの知ったかぶりはしないように気を
付けなくっては。銀行振り込みにより、給料袋で現金を家に持ち
帰ることのなくなった父親の権威喪失と似た悲しい物語である。

あと2週間ほどで“暑さ寒さも彼岸まで”の秋分の日を迎える。
夏の終焉もすぐそこまで来ているのかもしれない。
posted by ochiyo at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記