2012年08月28日

言葉を知る楽しさ

ある文の中に「万緑叢中紅一点」と言う言葉を見付けた。
この文の構成の導き方に、若者らしい純粋さが見て取れ、
紅一点を努力する私たち一人一人と導いていて、たいへん
興味深く読ませてもらった。

いつもの癖で電子辞書を開き「ばんりょく そうちゅう 
こういってん」を引いてみた。@ 万緑の中に一点の紅花が
あって、ひときわ目立つこと。A 多くの男性の中に、
ただ一人の女性が混じっている例え。紅一点。とある。

一面の緑の中に・・・が本来の意味であるが、日本では
明治以降、多くのものの中でただ一つ異彩を放つもの。
の意味で使われ、その後に男性ばかりの中で女性が・・・
となり、現代では万緑叢中が省略され紅一点がただ一人の
女性と言う使われ方をしている。

「ああ成程」と、ここで終わらせないのが私の真骨頂?
(しつこさ)であり、「紅一点」の反対語を調べてみると、
俗語的には 黒一点、白一点、青一点の順に使われ、
意味の反対として紅の中の緑ということで、緑一点と
いうのが少数意見であった。

白、黒の言葉の響きから「素人」と言う言葉が頭に浮かんだ。
それではこの反対語は何か。「玄人」である。この二つの
言葉に白黒が関係しているのか。答えはYesである。これは
囲碁からきていて、中国では素=白、玄=黒を表し白人(しろ
ひと)、黒人(くろひと)から音便化して「素人」、「玄人」
となった。とある。

私はこれらの言葉を大学ノートに記していく。霞みの掛かり
始めた私の頭はこうしないと、鶏(に対して失礼)のように
三歩あゆめば、もうさっきのことを忘れてしまうのだ。書き
終えてページを捲り戻してみると、2012・3・19の項に、
椿・榎・楸(ひさぎ、アカメガシワ)・柊(ひいらぎ)、と
あった。その下には、「馬上、枕上(ちんじょう)、厠上
(しじょう)」の三上(さんじょう)が考え事に適していると、
古人も指摘している。例外的にギリシャの数学者は「湯上」で
閃きを得て、ユリイカと叫んだともいわれる。と記している。

最近、喜寿を迎えた姉と話をした時、高齢者の免許の切り替え
には講習の他に、適性検査やアルツハイマー(記憶力)の検査
などをしなければならない。と言っていた。65歳以上は介護
保険の対象者である。自分ではマダマダと思っていても世間
では紛れもない老人なのである。不承不承、年寄りだという
ことを認識しながら、頭の方は「晩学といえども碩学に登る」
(年を取ってから学問を始めても充実した知識を持つことは
出来る)を旨とし、体の方は早朝にウォーキングをし、暑さ
に負けず山登りとゴルフの練習を再開しようと考えている。
「秋の入り日と 年寄りは 段々おちめが 早くなる」に
逆らって頑張ろう。

posted by ochiyo at 03:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年08月22日

一年ぶりの山登り

DSCF7196.jpg
20日(月)に六ケ岳に家人と2人で登った。約1年ぶりの
ことだ。先週、予定していたのだが、日曜に予約が入り仕事と
なり、この日に延期することにしていた。

夕食が終わり、涼んでいる家人に「明日4時起きの4時半出
だからネ」と告げると、いい返事が帰ってこない。答えを出
さないままサッサと2階に上がり寝てしまった。片付けを
済ましてさあ寝ようと思ったら、次男の剛士から「明日、
ゴルフで早いから泊まらせて」と、電話が入り夜食の用意や
久し振りの親子の会話で結局、寝たのは3時前であった。
「オカン、4時半はヤメたがいいよ」と父子で同じことを
言われ、「それでは6時出発にするか」と床についた。

オニギリを握ったり飲み物の用意をしていたら、息子が
「あれな〜い、これな〜い」と作業の邪魔をする。家人も
起き出してきて、息子を送り出し我々が出発するのは8時に
なってしまった。

道々の会話。「昨夜、返事が悪かったネ。自転車のほうが
よかったン?」。「そうじゃなくて、本当言うと歩くのが
少し自信がなかったのョ」。「100Km走れるのに20Km
歩けんノ」。「自転車と山登りは別ョ」。「この暑い中、
六ケ岳に登ることを近所の人が知ったら、変態夫婦て言われ
るョ」。掛け合い漫才のような会話でもしなければ山は遠い
のである。近づいて来ないのだ。

チョットでも日陰を求めて右に行ったり左に行ったり、一歩
前進、二歩前進、とうとう田んぼの畦道に掛かり日陰は全く
無くなってしまった。頭からタオルを二重に被り覆面にし、
サングラスを掛け、、野球帽の上に鍔広の帽子、腕抜きをして、
長袖のシャツ、体操用のパンツと、日焼け防止を完璧にやって
いるので、どこのオバサンだか判らない格好である。

長いブランクのせいで体の方が山登りをスッカリ忘れてしま
っている。この暑さのせいもあろうが、覆面のせいで息苦しい
し歩みが辛い。最近では今日が一番蒸し暑い。いつもであれば
高速道路のガード下で、最初の休憩をするのだがそこまでもた
ない。高圧鉄塔の近くにあるポンプ小屋の日陰で休憩となった。
今回はポカリ、コーヒー、お茶と飲み物をたくさん用意した。
そのせいかやけにリュックが重いのだ。「さては私のリュック
に多く詰め込んだナ」。と言うと、「いいョ、ほら交換して
あげるョ」。そっちを抱えると倍くらい重かった。「そうだ
ヨネ〜。私に重い方を持たせるはず無いもんネ」。

直方・赤間線の県道を越え、川の畔を登って行く。軽い上り
こう配が続き長谷観音へと道は続く。六ケ岳は今日で4回目で
あろうか。路傍の花がツツジであったり、紫陽花であったり
したから春先に登っているのだろう。長谷の集落を過ぎると
登山口はすぐなのだが、そこまでもたず木陰で休憩。頂上の
アンテナ塔が見えない位、山裾まで来ているのだが足の方が
もたない。「これでは急傾斜の山道は大丈夫かナ」と、心配
になる。

DSCF7187.jpg

登山口に到着。ここまで所要時間2時間。頂上までは約40分。
登り始めると案の定、足が上がらない。今までの登山で今回が
一番キツイ。この長谷の方からの登山道は五合目くらいから
上には道に沿ってロープが張られている。これは足元は岩場で、
急勾配の道であるために転倒や転落など危険防止のためにある
のだ。鷹取山や福智山でさえ、このような箇所はない。多めに
休憩を取り、最後はリュックまで持ってもらってなんとか頂上
に到達した。

頂上には1時間ほど前に宮若方面から登って来たという2人の
若者がいた。「他の友達にも声を掛けたんですが皆フラレました。
この暑さジャネ〜」と笑う2人に「あれが福智、尺岳、鷹取、
帆柱で標高何百m」と教えてやっている。頂上には小さな日陰が
できるチョットした屋根のついた休憩所?があり、その下で昼食。
風が涼しく思ったよりも暑くない。下界の喧騒から離れ、鳥の
囀りに耳を傾け、刻々と形を変える流れゆく雲を眺め、オニギリ
を頬張りながら家人が一言。

「幸せだな〜」。「それだけ?。下の句は?」。「推(お)して
知るべし」。「代わりに言うチャル。君と居る時が一番幸せ
なんだ」。「強制は良くないですョ。本人の自主性に任せん
ト」。「待っといたらいつのことになるやら」。

昔、「君は高嶺のユリの花 我は野に咲く蓮華草 所詮添え
ない仲なれば 一つ花瓶で寄りそいぬ」て、う〜たやろ。
忘れたん。この暑さの中、難行苦行して下山した私は、完全
武装の甲斐無く日焼けはするし、大汗をかいてさぞかし体重も
減っただろうと楽しみに体重計に乗ると、ナ・何と水分の摂り
すぎによる水ぶくれのためか、はたまた握ったら離さない性格
ゆえか、増えているではないか。これだから夏山登山は嫌い
ョ〜。
posted by ochiyo at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年08月06日

風化して行く事柄

私がウォーキングをしている浮洲公園の池の畔に小さな墓地が
ある。いつもであれば何気なく通り過ぎて行くのであるが、
フッと目をやると崩れ落ちた石塔が、辛うじて石垣に傾いた
格好で佇んでいる古いお墓を見付けた。近づいて墓標の銘を
読んでみると“陸軍伍長”までは読めたが、その下は落ちた
際に崩れたものか、時の経過と共に風化が進んだためなのか
読めなかった。

おそらく先の大戦で戦死された村人の誰かのお墓であろう。
こうやって崩れたまま放置されているところを見ると、周りの
人ももう居ないのかもしれない。“風化”とは地表及び岩石が
空気・水などの物理的・化学的作用で次第に崩されること。
比喩的に、心に刻まれたものが弱くなっていくこと。とある。

67年前の今日(8月6日)は広島に原爆が投下された日であり、
9日に長崎に、そして15日に終戦となる。この戦争で多くの
方々が亡くなり家財をなくした。生き残った人々は焦土と化した
国土を、絶望の中から這い上がってきて今日の繁栄を築いてきて
いる。この夏の暑さは67年前も現在も大して変わらないで
あろう。しかし、平和がもたらした私たちを囲む環境は、
当時を忘却の彼方に押しやってしまうほどの変わりようだ。

昭和30年代に“戦後は終わった”などと言われた時期があった。
本当にそうであろうか。沖縄基地問題、靖国参拝、従軍慰安婦、
ヒロシマ、ナガサキと、思い出せば指折り数えるほど出てくる。
何一つ答えは導き出されていないのだ。今の日本でどれほどの
人が世界で唯一の被爆国であるとの認識を持っているだろうか。
まだ我々の世代では心の奥の方に、戦争体験は無いにしても
戦後の食糧難はウッスラと記憶にあるし、親からも戦争の
悲惨な話は聞いている。

全世界の人々は争いが悪であることを知っている。しかし、
戦争は無くならない。人が人の命を奪い、財産を壊し、国を
荒廃させているのだ。親は子を育てる時に、「嘘をつくな、
盗るな、挨拶をせよ」と教え、相手を思い遣る心を持たせて
社会に送り出すのである。争いは相手の全人格を否定している。
自分を育ててくれた母親の教えを否定しているのである。
これほどの親不孝はないだろう。争う前に悲しむ母親を、
家族を思い出せと言いたい。

この名も知らない陸軍伍長の母親も人前では繕っていた
だろうが、陰では息子の死を嘆き悲しんだに違いない。
この暑さの中で傾いて風化した石塔は何も語らない。
おそらく命日やお盆には花と線香を手向けるために老いた
母親は、村落からはかなりの距離にあるこのお墓に参って、
手を合わせていたことであろう。いつの日かお墓に参る人も
手入れする人もいなくなり、陸軍伍長の名前もお墓も人々の
記憶から風化してしまって、忘れ去られてしまうのだろう。

時の流れは少年を老人にし、欲を失くさせて行き、記憶を
曖昧にし、悲しみを薄れさせていく。しかし、世の中には
風化させてはならないもの、記憶に留めおくもの、語り継ぐ
ものなどがあることを、この傾いたお墓は私に思い出させて
くれた。今年のお盆は両親や妹を参ろうと考えた。チョッピリ
感傷的になった私は、小さく手を合わせてその場を去った。
風化という言葉が胸の奥に、とけない蟠(わだかま)りの
ように留まっている。
posted by ochiyo at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記