2012年06月21日

6月の花嫁

“June bride”を直訳すると6月の花嫁となるのですが、
これは6月に結婚した花嫁は幸せになれるというヨーロッパ
からの伝承なのです。この由来には諸説あり、最も知られて
いるのは、June(6月)という月名がローマ神話の結婚を
つかさどる女神であるジューノ(Juno)からきているため、
この女神の月に結婚すれば幸せになるだろう、とあやかった
とする説。

文章を書くために資料集めをしていると面白い記事に当たった。
まず、月別婚姻件数で見ると8月、9月、1月に次いで6月が少ない
のである。理由としては6月は日本では最も降水量が多い梅雨
だから。この梅雨の影響により結婚業界が“どうしても客足が
遠のきがちな6月の経営不振を払拭するために、”ヨーロッパの
情報を宣伝して国民に浸透させたというリアルストーリーがある。
このような営業形態はバレンタインデーのチョコレートや恵方
巻きなどにみられる。因みに、ヨーロッパの6月は1年中で最も
雨が少ないと言われている。8・9・1月も暑い・寒いが少ない
理由になっているのだろう。

ジューンブライドという響きは適齢期の女性にとっては憧れで
あろう。女性が結婚相手に求める条件は、バブル期には「高収入、
高学歴、高身長」の“三高”が結婚の決め手といわれていたが、
経済が不安定となった近年は、“三低”が相手に求める条件に
変わってきているそうだ。その三低とは「低姿勢(関白亭主より
フェミニスト)、低リスク(一攫千金の社長より公務員)、
低依存(ベッタリよりも距離を保つ)」を言うらしい。又、
恋愛相手には性格と外見を求め、結婚相手には性格と財力を
重視するという。高収入の女性の結婚率の低下が見られるのも、
不況の時代に“三高”の男性が少なくなっているのも一因なのか。

一方、男性の側から見て、どんな条件を女性に求めるのかを
調べてみると、@料理上手「男は胃袋でつかめ」 A 知性・
教養・会話力「能ある鷹は爪を隠す。といった謙虚な女性
だったら最高」 B お金「経済が悪くなると今後は共働きが
常態となっていく。ビジネススキルがある女性というのは
満足度の高い女性といえ、結婚に望まれる資質といえる」。
こちらも条件としたら”三高“になるのではないか。

与謝野鉄幹(1873〜1935)の“人を恋ふる歌”には
「妻を娶らば 才たけて 顔(みめ)ふるはしく 情けある
・・・」と歌っている。一世紀の隔たりでこうも変わって
くるものであろうか。因みに、妻の晶子はどんな女性かというと、
鉄幹と知り合い不倫の関係となり後に結婚。12人の子沢山となる。
作家・歌人・評論家として活躍し、「みだれ髪」、「君死に
たまうことなかれ」などが有名。鉄幹と共に文化学院創設に
携わり、男女平等教育を唱え、日本初の男女共学を成立させる。
夫の不遇時代に大いに創作に励み家計を助けたと言う。写真で
お顔を拝見すると面長で気の強そうなハッキリした顔である。
夫 鉄幹の詠んだ三拍子揃った女性は妻 晶子のことかも
しれない。

21日は“夏至”であり、22日は“夫婦の日である。侍の時代の
政略結婚や、戦前までの親同志が交わした許婚同志の見合い
結婚は別にして、戦後は両性の合意に元づけば結婚出来るよう
になっている。式の形態も当人たちの希望したものになったいき、
親の出る幕はない。“老兵は黙して語らずただ去るのみ”なのか。

22日早朝より博多港よりビートルにのって釜山であるライオンズ
世界大会に行って来ます。その前に宿題を済ませようと大急ぎで
作文を書きました。このことは又、帰ってから報告します。
台風5号が消えてよかった。
posted by ochiyo at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年06月19日

娘家族の里帰り

dscf7108.jpg

今月の1日(金)の夜中に娘夫婦が孫たちと一緒に里帰り
してきた。去年の12月以来だから半年ぶりのことである。
今回は1日〜2日にかけてお店で大きなイベントの予約があり、
長男もそれに関連した活動をしていたので、こちらは大忙しの
状態ではあった。帰りたい時に、思い立った時に、帰って
来ればいいという考えでいるので、あちらの都合や、こちら
のと言っていたらなかなか決まらないので、こちらの都合は
敢えて伝えることはせず、娘たちの都合を優先している。
只でさえ管理職となった会社勤めの身では、そうそう休みも
取れないのが現状であろうから。

里帰りする時は、勤めから帰ってからお風呂に入り、夜7時
過ぎに京都を出てこちらに夜中の2時頃に着くのである。
いつもであれば広島通過くらいのタイミングでメールが
入るのであるが、今回はそれが無かったのでチョッピリ心配で
あった。あとで聞くと娘は爆睡していたそうだ。こちらも
忙しく片付けを終えて自宅に戻ったのは4時を過ぎていた。
皆を起こさないように静かにお風呂に入り床に着いたのは
5時過ぎであった。

朝は7時前から階下は騒がしくなっていった。さすがに
孫たちを抑えているのだろう。それでも10時過ぎには
2階の私が寝ているベッドに乗り上がってきて「バーバー
起きて!!」。可哀そうだが「ジージーも起こしなさい」。
喜び勇んで隣の部屋へ飛び込んで行く。寝ているところを
起こされて目をこすりながら起きてきた。普通の人とは
真逆の生活をしている私たちにとって、この時間は真夜中
なのだ。

コーヒーを飲みながら2日間の予定を話し合う。お店は
食事の予約が入っており、その準備のため早く家を出な
ければならない。長男も日曜まで予定がビッシリ詰まって
おり、娘たちに会う事もできない。家人の提案で食事を
お店で摂れば長男の顔も見れるし、もてなすことも出来る。
日曜は次男の勤めているお店で食事をしょうと言うことに
決まった。少しでも娘たちと一緒に居れるようにと、私を
家に残して家人は一人で準備のためお店に出掛けて行った。

近所の食事処で孫たちとお昼を食べながら、里帰りについて
考えていた。実家が川向うにあり、「オーイ」と声を掛け
られたら走って行けるくらい近くにあるため、私は里帰りと
いうものをしたことがない。母親が健在だったころは毎日が
里帰りみたいなものであった。家人は長男であるが、結婚する
前に姑は亡くなっていたから、嫁姑の複雑な関係も体験した
ことがない。なので結婚以来、私は何不自由なく支障なく
今まで過ごしてきた。行きたい時に実家へ行き、夜中までも
母といろんな話をしてきた。若い頃は厳しい人であったが、
私が結婚する頃には随分と柔軟な考え方をするようになって
いた。私の不満や愚痴やいろんな話を聞いてくれ、人生の
先輩として的確なアドバイスをしてくれ、それによって私は
どれだけ助けられたかしれない。

そんなこんなで実家の恩恵に授かって来た私は娘を遠くに
嫁がせ、お互いが助け合うことも自由に話をすることも出来ず
今日に至っている。京都のお姑さんも亡くなり、子供を育てる
のに孤軍奮闘の毎日である。ようやく幼稚園に二人とも通う
ようになり、娘自身も以前お世話になっていた美容院に勤め
だしたとのこと。娘の話を聞きながら、母と私と娘が時代を
経てダブるのである。何十年か後には全く同じ体験を娘がする
のであろう。いくらSKYPEで顔を見ながら話しても、こうして
孫を横目で追いながら間近で話すとでは比べようもない。

小さい頃から勝気な娘であったが、母親となったことで辛抱が
身に付き随分と逞しくなった。私の育て方から見れば、少し
子供たちに甘いとは思うが、そこは口を出す範疇にはない。
私たちの子育ては終了しているのだから。どこまでも孫には
甘いジージーとバーバなのだ。あと何年かすれば小学校に
あがり、里帰りも休みの期間しか出来なくなるし、婿殿も
仕事の都合でいつまで里帰りに付き合えるか判らない。
そうなったらなったで違う形が生まれてくるのだろう。
親が生きていればこその里帰りであろう。いつまでも元気で
いたいと、孫たちが帰って静けさを取り戻した居間で、
コーヒーを飲みながらの、ジージーと バーバの会話であった。
posted by ochiyo at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記