2012年04月08日

散る桜 残る桜も 散る桜

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今、桜が満開を迎えている。今度の日曜(8日)あたりが
見ごろでしょうか。
今年は寒さが続いたせいか、なかなか開花しなかったが、
一気に咲いた。昨日も所用で永満寺にある“いこいの村”
に行ったのですが、道の両側に見事な桜が咲いていました。
車を止めて、強い風に煽られハラハラと舞い落ちる桜の
花びらを見ていると、景色の美しさと同時に、タイトルにも
ある“散る桜 残る桜も 散る桜”の句に、桜の木の持つ
儚さや潔さを思ってしまったのです。
これは良寛の辞世の句であると同時に、桜のぱっと咲き 
さっと散る姿が、儚い人生を投影する対象となり、特攻隊を
語る時に必ず言われる言葉なのです。爆弾を抱えた戦闘機で
出撃し死んでいく兵士、それを見送る兵士、最後には
皆戦死してしまうという悲しい意味で使われています。

ここまで書いてキーを打つ手が止まってしまいました。文の
構成としてはこの後、鹿児島にある知覧特攻平和会館や、
若くして特攻で散って行った兵士のこと、武家屋敷などを
書いて自分の桜の思い出で締めようと考えていたのですが、
あるところの文を呼んで考え込んでしまったのです。
それは特攻平和会館の設立趣旨の文に対しての批評と、
最後に特攻をネタにした観光名所の域を脱していないと
結んである文を読んだからなのです。歴史の事実は一つである。
しかし、それを検証していく中で幾つもの解釈というのが
出て来る。例えば、敗戦濃厚な時期の特攻での死は「犬死に」
である。と書いてあります。見方によっては間違いではない
でしょうが、他方、病気など寿命で死ぬ以外は全部「犬死に」
と考えられるのではないか。事故しかり、震災、テロ、戦争、
どれも死ぬのではなく殺されるからだ。その作者は国家や組織の
在り方・考え方を非難しているのですが、遺族の方や戦死
された方に向かって「貴方の死は”犬死に“である」と言えるの
でしょうか。悲しい台詞だと思います。考え方の違いで
国旗も国歌も靖国神社も自衛隊も悪者にされてしまうのです。

何杯もコーヒーをお代わりしながら、なんでこうなるのと
思いながら、考え考えしながらここまできました。本当は
桜の美しさを書きたかったのに。タイトルはいいにしても、
特攻を書くからこうなるのか、知覧には40何年か前に
行ったことがある。武家屋敷の写真などはなんとなく記憶に
あるのですが、記念会館のほうはイメージが違うので調べて
行くと施設が新しくなっていて、私が行った頃は飛行機の
展示は無かったように思う。記憶が薄いのは戦争のことを
思い起こしたくないからなのか。覚えているのは「母はいい 
母ほど有り難いものはない 母!母!」の言葉と、死にゆく
若者の笑顔と、墨痕鮮やかな遺書の達筆な文字だけだった。
それと特攻の母と慕われた鳥濱トメさんの名前も。

読み返して2段目から下を消してしまって違う文にしようと
考えたのです。でも、やめました。何故なら何年か後に読み
返した時、「桜でこんな事を思ったのか」と、これはこれで
懐かしい想い出になるのではなかろうか。と考えたからです。
他人様から読まれても恥ずかしくないものを、と考えながら
いつも書いているのですが、時には道に迷って出口が判らず
失敗したような文でもいいのではないか。

最後の締めに桜の花の思い出をと思ったのですが、悲しいかな、
子供の入学式の時に校庭に咲いていたのを思い出すくらいで、
これといったものがない。強いてあげるとするならば、家人と
付き合っていた頃、秋に出張先の鹿児島の国分に会いに行った
ことがあって、知覧と霧島の秋桜(コスモス)の群生地に連れて
行ってもらった。秋桜に囲まれた写真を見ると二人とも若い、
細い。今回は花弁の形が桜の花びらに似ているということで、
秋の桜と命名されたコスモスで軟着陸させました。チョッピリ、
牽強付会の趣が強いとは思いますが、そこのところはひらに
ご容赦を。
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posted by ochiyo at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年04月06日

山のあなたの空遠く

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4月に入り、冬が終わり梅・桃・杏・桜の花がバトンリレーで
春の到来を告げています。町内にある神社の参道や、お地蔵さん
の桜も咲き始めました。我が家の庭でもモミジ・梅・金木犀の
若葉が芽を吹いてきました。風の冷たさを除けば春そのものです。

この時期は選抜高校野球が開催され、球児たちが白球を追って
熱戦を展開しています。開会式での選手宣誓は被災地から出場
した石巻工業高校の阿部翔人選手が行い、全国の人々が心を
打たれたのではないでしょうか。その内容を抜粋してみますと、 
”被災された方々の中には、苦しくて心の整理がつかず今も
当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみにくれている
方が沢山います。人は、誰でも答えのない悲しみを受け入れる
事が 苦しくて辛いことです。しかし日本がひとつになりその
苦難を乗り越える事が出来れば、その先に必ず大きな幸せが
待っている事を信じています。だからこそ日本中に届けます
感動・勇気そして笑顔を見せましょう 日本の底力、絆を。
われわれ高校球児が〜〜〜“。

この宣誓は、チームメートの想いを代弁しているのは勿論の
こと、被災地からのメッセージでもあり、復興を願う思いが
ヒシヒシと胸に伝わってきました。震災が起きてから1年が
過ぎた今、現実はとても”日本がひとつ“になったというには
程遠いものではないだろうか。被災地の復興や絆を語るのなら、
原発の処理にしろ、瓦礫の撤去や受け入れ先の拒否、遅々と
して進まない政府の対応。最近では色んな手当や高速道路の
通行料無料の撤廃などが伝えられ、これでは、愛する家族、
住まい、仕事場、船、全てを失くした被災者に対して希望を
持てと言う方が無理というものだ。

私はこの選手宣誓の“その先に必ず大きな幸せが待っている
事を信じています。”を聞いた時、心の中でカールブッセ
(独)の“山のあなた”を思っていました。「山のあなたの
空遠く 幸い住むとひとのいふ ああ われひとと尋(と)
めゆきて 涙さしぐみ帰りきぬ 山のあなたになほ遠く 
幸い住むとひとのいふ」。あの山の向こうに幸せがあると、
人が言うので行ってみたら見付からず、泣く泣く帰って来る。
君が行った山のまたそのむこうに幸せがあると人が言う。
幸せが見付からずションボリしている若者が目に浮かぶようだ。
子供の頃、「虹の根元には宝物が埋まっている」と言われ、
そこに行こうと走っても、走っても届かなかった想い出は
ないでしょうか。そのうちに虹は消えてしまって宝物は手に
入らないのだ。大人になってサンタさんの正体を知るように、
現実を知るようになる。

幸せとは、メーテルリンクの“幸せの青い鳥”のように、
色んな所を旅して探したが見つからず、結局自分の家で
見付けるといった、案外、身近な所にあるのかもしれない。
しかし、目の前にあったとしても気付く人、そうでない人。
見付けたとしてもそれを掴む人、そうでない人、そもそも、
幸せについて考えること自体、幸せな状態にあるのかどうか。
ささやかな幸せで良ければ、多くを望まないのであれば、
それは日常のちょっとした所に存在しているのではないだろうか。

若い人たちと、私のような年配者とでは価値観に相違がある
だろうし、年齢と共にその価値観も変わっていくだろうから、
私の考える幸せを書いてみると、朝、目が覚めるのが幸せの
第一歩である。生きている事に感謝。感謝=幸せなのだ。健康な
体とこの年で仕事が出来ることが幸せの基準となっている。
この他にも愛を成就させることや、色んな欲を満たすこと、
家庭を持つこと、子供・孫が産まれるなど、人の数だけ幸せの
形も千差万別であろう。

翻って、被災地の方々を思ってみると、選手宣誓の中に出て来る
“苦しい・忘れられない悲しい・辛いなどの言葉が、頭の中を
堂々巡りしていて、とても幸せと言える環境にはないであろう。
笑顔が見られる日常の生活に戻れるよう、日本中で協力しあって
一日でも早い復旧・復興を実現させてほしいと願っています。
山のあなたの空遠くに幸せを見付けることが出来なかったと
しても、身近なところに幸せの青い鳥は必ずいます。希望と
いう光で見つかるはずです。例え、今がどん底の状態だと
しても、涙が笑顔に変わる時がきます。そして亡くなった
方たちに、「こんなに素晴らしい故郷が再生出来たョ」と
報告できた時、幸せを感じられる生活に戻っていること
でしょう。

この文章を書き上げて読み返している時、自分の考えを
活字にして残して行くこの作業が自分にとって幸せな
ことだと気付いた。足跡なのである。生きてきた証なのだ。
posted by ochiyo at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記