2012年03月23日

春告鳥が啼いてます

平凡で何の変哲もない日常に、時として雲の隙間から
“天使の梯子”と呼ばれる一条の光を見るように、寒かった
冬には聞かれなかった鳥の鳴き声を耳にする時、私は季節の
変化を肌で感じ取っている。ベランダに出て、庭の隅々に
目を凝らして見ると、今年も同じ場所にチューリップの芽が
顔を出している。紅白の梅の花を愛でていると、タイミング良く
ウグイスの声が聞こえて来た。「ホーホケキョ」の啼き方が
上手ではない。「声はすれども姿は見えぬ ほんにお前は屁の
ようジャ」などど、部屋に戻りつつ下らぬことを思いながら、
どう展開していこうかと思案投げ首。久しぶりに暖かい日の
射す午後に、開け放たれたガラス戸の向こうに、咲き始めた
紅梅を眺めつつ、「ホーケキョ」と音痴なウグイスの鳴き声を
聞きながらキーを叩いています。

初音(はつね)と言われるウグイスの初鳴きは春の到来を告げる
もので、このため“春告鳥”の別名がある。因みに、秋の到来は
雁の飛来を言い“初雁(はつかり)”という。この鳴き声の旨い
下手は多くの場合、環境によって決まるといわれ、幼鳥は親鳥
など周りの成鳥の鳴き声を真似することで「ホーホケキョ」と
覚える。いくら素質があっても周りの囀(さえず)りが下手だと
上手になれないそうだ。又、啼き方にも意味があり、「ホー
ホケキョ」は接近する他の鳥に対する縄張り宣言だと言われ、
「ケキョ・ケキョ・・・」は侵入した者への威嚇である。他に、
「チャッチャッ」と鳴く地鳴き(笹鳴きともいう)は日常会話
だと言われている。

花札などによく見られる梅に鶯の取り合わせは実は間違いで
あって、実際には梅の蜜を吸いに来るのは“メジロ”であり、
藪の中で虫などを食べるウグイスはそのような姿では見られる
ことはない。この混同されるのには「鶯色」がある。並べて見る
と違いがハッキリ判るのだが、ウグイスは灰褐色(オリーブ色に
近い)で、メジロは緑色に近い。見分けるにはメジロの目の周り
の白い輪が特徴で、名前の由来になっている。それとメジロは
警戒心が緩く、ウグイスは逆に強く藪から出て来ることは少なく
目に付きにくい。

「鶯の 鳴く野辺ごとに 来てみれば 移ろう花に 風ぞ吹き
ける」・古今集 読み人知らず。「梅が枝に 鳴きて移ろう 
鶯の 羽しろたへに あわ雪ぞ降る」・万葉集(10)。
私が想像するに、移ろう花とは梅の花ではないだろうか。
どちらも梅にウグイスと詠んでいるのだと考える。おそらく、
ウグイスの声が聞こえている時に梅の枝にメジロの姿が見られた
のであろう。どちらも“春告鳥と呼ばれるように、同じ時期に
出現するので、昔の人が間違えるはずだ。童謡に「梅の小枝で
ウグイスが〜・・・」とあるので、現代の私たちが判別できない
のも仕方のないことかもしれない。

しかし、ウグイスとメジロの関係は俳優と吹き替えの声優の
関係のようだ。古い話で恐縮ですが、アランドロンと、彼の
吹き替えをやっていた声優の野沢那智を例にとると、映画で
ハンサムなドロンを見ながら野沢の声を聞いているのである。
ドロンがメジロで野沢がウグイスなのだ。私たちはアランドロン
は知っていても、野沢那智は見たことが無い。丁度、ラジオの
パーソナリティや、野球場のウグイス嬢のように「声はすれども
姿は見えず・・・」なのだ。

ウグイスの件であちこちサーフィンしていたら、又また、新発見。
「声はすれども姿は見えず・・・」の下の句を見付けました。
「・・・君は深山(みやま)のきりぎりす(コオロギの古称)」
が原典だそうで、男の訪れを待つ女心のやるせなさを詠った句
だそうです。これが、「声は聞けども姿は見えじ 君は深みの
きりぎりす」などと変容し、さらに各地の民謡にも取り入れら
れていきます。宮城県定義節では「・・・藪にウグイス声
ばかり」とあります。「・・・ほんにお前は屁のようだ」は
落語で語られ、私が憶えていたのは原典からは一番遠いところ
の部分を捉えていたのかもしれません。

今回は、Wikipediaなどの文を繋いで作ったものに
なりましたが、知らないことばかりで勉強になりました。
おのれの浅学非才を顧みず、これからもいろんなジャンルに
取り組んでいこうと考えています。
 
posted by ochiyo at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年03月11日

あれからもう一年

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日曜(11日)は、お日さまは射しているのに風が強く寒い
一日であった。午後から明るい居間で伝票の整理をしていて、
疲れた目と頭を休めるため、コーヒータイムにするべく立ち
上がり、大好きな岡林信康のCDをセットして、流れてくる曲に
耳を傾けながら、コーヒーの香りを楽しんでいた私は、一冊の
本に目を止めた。

“黄ばんだ余白(前田美代子詩集)”、黄色のカバーにコスモス
の絵が描いてある詩集である。何枚かページをめくっても内容に
憶えがない。我が家にある本は、いくら古い物でもタイトルなり
内容なり何か記憶に残っているのだが、この本ばかりは頂いた
ものか、自分で求めたものかも定かではない。裏を見ると
1985年発行とあるから、私が40歳を過ぎた頃の物である。
この時代は全てにおいてエネルギッシュに活動していた時期で、
死についての実感が余り無かった。この本の内容は最初から
夫・義弟・父と、人の死についての詩から始まっているのである。
なので、その年代では自分で買い求めてまでして読んではない
ような気がする。

“あとがき”を呼んで作者のプロフィールを知る。朝日文化
センターの現代史講座を受講し、還暦を前にしてこの本は上梓
(じょうし)されたもので、夫に先立たれ、息子は関東に住み、
一人暮らしの寡黙な女性のようだ。本というものは、若い頃に
読んだ物を年月を経て再度、読み返してみると違った感覚を
覚えるから不思議だ。読み進めていって22ページ目の“風の
旅立ち”の冒頭で、涙で文字が霞んで読めなくなった。

「この世での仕事を終えて 旅立って行くことは 喜ばしい
ことであって 嘆き悲しむことではありません」 秋空の深み
に向かって 父への葬送賦を贈り・・・。夫を病気で亡くし、
義弟は広島の原爆で戦死、父親はこの台詞からすると大往生で
あったのかもしれない。私の涙の訳は、本の中の死を、自分自身
の過ぎし人生に置き換えて想いを馳せたためか、それとも
岡林信康の“風詩”の「今度この世に生まれてきたら どんな
具合にお前と会える 夫婦(めおと)親子か兄妹か もっと
今より大事にします」の歌詩が追い打ちを掛けたのか。

きょうは3月11日、東北大震災が発生してから、あれから
もう1年経つのである。2万人以上の犠牲者を出し、未だに
その半数の方々の行方が知れない。まだ多くの人たちが避難所
生活を余儀なくされ、慣れ親しんだ故郷に戻れないでいる。
自分の意志とは無関係に命を落とした方々にこの葬送賦は
語れない。あまりにもこの世にやり残した仕事が多すぎるのだ。
多くの死と言う別れが頭の中で綯(な)い交ぜになって涙腺が
緩んだのであろうか。

人の死には人生と同じように、語り尽くせぬ程のドラマがあり、
その中に小さな喜びと大きな悲しみとを併せ持っている。
逝く人も送る人も、嘆き悲しまない死を願っているが、現実には
残された人々に今生(こんじょう)の暇乞(いとまご)いを
言わせ、無理やり納得させようと悲しい嘘を自分につくのである。
その悲しみは夕陽を見ては涙するような時期を経て、時間の
経過とともに薄れては行く。しかし、なくなることはなく、
日頃は胸の奥の引き出しに収めているのだが、折に触れ引っ張り
出しては悲しみを新たにする。

今日は、多くの地域で追悼式典が行われた。地震発生の午後2時
46分に黙祷して犠牲者に祈りを捧げた。今回の震災には津波の
高さや原発事故など“想定外”という言葉が多く使われ、常日頃
の安全に対する“過信”とその背中合わせにある“油断”が、
多くの命を奪った要因にあげられるであろう。防災とは、自助
(自分の身は自分で守る)、 共助(助け合う)、公助から
なっており、皆がこの意識を高め、2度とこのような大惨事に
遭う事のないような国にしていかねばならないと改めて強く
思った。

テレビでも、インターネットでも震災のことを取り上げている。
それを見るにつけ、読むにつけ、関係者でなくても涙なくして
はいられない。この悲しい現実を風化させることなく心に刻み、
糧として生きていかねばならない。亡くなった方々の命の
防波堤で、我々の命が守られて生かされているのだ。

“書き遺しておかねば・・・という思いを籠めて 病床の男が
ペンを執った 「ボルネオ物語」は未完のまま 黄ばんだ余白を
うめる者は もはや誰もいない”ここにも、この世に無念と、
仕事を残したまま逝かなくてはならなかった作者のご主人がいる。
どこにも納得する死はないのかもしれない。因みに、この本には
値段が書いてなかった。故に自分で求めた物ではなかった。
posted by ochiyo at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年03月04日

東風(こち)吹かば

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今日(4日)は朝から冷たい雨が降っています。ベランダから
庭を眺めて見ると、雨に濡れた木々の緑の中に、白い梅の花が
何輪か咲いているのが目につきます。“暑さ寒さも彼岸まで”と
言われるように、花たちは季節が冬から春に移り変わっていく様
をよく表しています。

縦に細長い日本列島は、南の沖縄はもう桜の便りが聞かれます。
しかし、北国ではまだ雪の中での生活で、春はまだまだ先の話
です。足の遅い冬を追い出そうと、春は色んなことを仕掛けて
きます。気温の上昇は勿論のことですが、風の向きも変えて
きます。冬には冷たい北風を吹かせていたのが、春に向かって
東風(こち)を吹かせるのです。東風とは“春に東方から吹いて
くる風”のことで、まだ冷たさが残っていますが、徐々に南の
暖かい風に代わっていきます。

梅の花と東風とくれば“東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 
主なしとて 春な忘れそ”を思い浮かべます。菅原道真公が
藤原氏との政争に敗れ大宰府に左遷されることになり、旅立ちの
前に、可愛がっていた庭の梅の木を詠んだものといわれています。
その梅の木が道真公の配所である安楽寺(大宰府天満宮)の庭に
飛んでいき、生え匂ったという故事が“飛梅”伝説です。

と、書いていて何故か“沙羅双樹”という言葉が頭に浮かんだの
です。“平家物語”の冒頭にある「祇園精舎の鐘の音 諸行無常
の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす・・・」
のこれです。頭休めにインターネットで色々見ていくと、意外な
というか今まで思い込んでいたものと違った部分が判明した
のです。それは花の色が紅だと思っていました。何故なら源氏の
旗の色は“白”で平家のそれは”紅“ということで、”驕れる
ものも久しからず“で驕れる平家の紅は源氏の白に取って代わ
られるのです。それと、うろ覚えですが、赤い椿の花を写真で
見たような記憶があるのです。

それが記事を読んでいくと、木の種類は日本では夏ツバキを
指すそうで、これはイメージどうりなのですが、花の色が
“白”だというのです。だとすれば文中の“花の色 盛者必衰
・・・”はどう解釈すればいいのか。色は紅でなければ私の
単純な思考回路では“平家”が滅びるとはならないのです。
それともこれを詠んだ作者は紅色の花が咲いた“沙羅双樹”を
見たのだろうか。はたまた、“盛者”を平家も源氏もと解釈
すれば一応辻褄は合うように思えるのだが。

パソコンに向かってブツブツ言いながらキーを打つ私に「祇園
精舎・・・は小学校低学年(昭和30年あたり)の頃、毎週ラジオ
でクロガネ劇場という朗読番組があって、吉川英治の”新平家物語“
が放送されていて、最初にこれが流され、・・・ただ春の夜の
夢の如くで物語が始まっていた。意味は理解出来ないまま丸覚え
していて、大人の前でこれを暗唱するとビックリされた」と、
文明の利器の向こう側で本を読んでいる家人が語った。
「夢がなくなるから深く追求することはないョ。飛梅だって都から
九州の片田舎まで飛ぶはずはないと思えば伝説にはならん」。
言われてみると正鵠を得ているとは思うが、「それでは鳥の糞の
中に種が入っていて芽を出したのか?梅の種は大きいから便秘に
なるゾ」と口には出さぬが、いつもの癖で探究心?が起こってくる。

お腹が空いてくると纏まる筈の文章もトンチンカンなものに
なってくる。「腹減った」。二人とも立ち上がって鍋の用意が
始まる。我々には日曜の夜だけがユックリお酒でも飲みながらの
食事タイムなのだ。色んな話題が食卓に並ぶ。肉と野菜を平らげ
ながら話のご馳走も一緒に食す。コップ一杯の濁り酒でホンノリ
と酔った頭に「梅は飛ばんよナー、タンポポじゃないんだから」。
往生際が悪いようで。
posted by ochiyo at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記