2012年02月18日

人の生き死にについて

今日(18日)、私が住んでいる町内会の田代のオイチャンが
亡くなり、お葬式に二人で参列して来ました。大正6年生まれで
享年96歳、最近はお顔も見たことがなかったので病気で入院
していたのか、何の病気だったのかも判りませんが、大往生だと
思います。この年になると自分の身内はおろか、色んな付き合い
の中で多くの人を見送ってきました。

祭壇に飾られているお写真は、ひ孫が誕生した時のものであると
説明がありました。生前の私が知っているお顔に比べて少し
痩せて写っていましたが、寡黙で人の悪口を言わない人柄が
滲み出た優しいお顔でした。何年か前にやはり同じくらいの
年齢で亡くなった香月のオイチャンとは従兄弟同士で町内会の
長老的存在として周囲から一目置かれる存在でした。酒の席で
よく“同期の桜”を歌ってはお互いに涙するといった、涙もろい
一面も見せる好々爺でもありました。

もう随分前のことになりますが、ある年の町内会の初寄りの席で、
このお二人とチークダンスを踊ったことがあるのです。
宴もたけなわとなり興に乗り皆が囃し立てて、私に踊れおどれと
座敷の中央に押しやるのです。お二人とも若かったとはいえ、
私とは親子ほど差があり、当時ソシアルダンスをやっていた私が
暴れまわると年寄りには骨だと考え、スローな曲に合わせて
チークにしたのでした。踊り終わって席に戻ってくると周りの
オバちゃん連中が「良かったョー、オイチャンたちとても
嬉しそうにニコニコしてたョ」と皆が褒めてくれました。
今となればいい思い出として蘇ってきます。

人の一生というものを考えてみると、両親からこの世に生を
受けて誕生する訳ですが、長い短いの差こそあれ、いつかは死を
迎えることになります。オイチャンたちのように90歳以上
長生きして亡くなる大往生の方もいれば、私の妹のように幼い
子供を残して30代で亡くなる人もいます。この差はどこから
くるのでしょう。運命という人もいれば、産まれた時にその人
の寿命は決まっているという人もいます。「人は満ち潮で産まれ
引き潮でなくなる。人の生き死には月の満ち欠け、引力に関係
している」と年老いた漁師のお爺さんに聞いたこともあります。

この世に存在する森羅万象は私のような凡人には理解出来ない
現象ばかりですが、その中でも生命の神秘には驚かされること
ばかりです。母親のお腹に十月十日いて産みの苦しみを経て
誕生し、母親と唯一繋がっている臍の緒を切って、一人の人格が
スタートするのです。動物は外敵から身を守るため、産まれて
すぐに立ち上がることが出来ます。一方、人間は1年近くも
親の庇護の元に生活して、ようやくヨチヨチ歩きが精いっぱい。
この間、母と子はオッパイをとうしてコミニケーションを
とっているのです。

小さな我が子を抱いてオッパイを口に含ませると一生懸命に
吸います。「一杯飲んでおおきくなーれ」お腹が膨れると
今度は眠くなってきます。げっぷを出させるために背中を
軽く叩きながら、「ねんねんよー、おころりよー」と下手な
子守歌?で寝かせるのですから魔法使いのようです。
私は添い寝をしながら寝顔を見るのが楽しみでした。
何時間見ていても飽きがこないのです。「鼻高くなーれ」と
つまんだり、モミジのような小さなお手手に触れるとそっと
握り返したりと、この時ばかりは「産んでよかったー。
産まれてきてくれてありがとう」。自分が母親となった
喜びを噛みしめた至福の時でした。

また、泣き方にもいろいろな意味があります。お腹がすいて
オッパイが欲しい時、おむつが汚れて気持ちが悪い時、体調が
優れない時、抱っこして欲しい時など、まだ言葉が話せない
この時期は赤ちゃんは泣くことによって母親に知らせるのです。
新米のママさんは赤ちゃんがなんで泣いているのか理解出来ず
途方にくれます。しかし、これも習うより慣れろで、経験を
積むことによって、泣き方の意味を理解出来るようになって
いきます。

このように親の愛を一身に受けて育ち、自我の目覚めとともに
自分の足で立ち、頭で考え、親の元から旅立っていくのです。
丁度、若鳥がはばたいて巣から飛び立っていくように。親子は
どれだけ離れていても目に見えない“絆”で結ばれています。
そして、愛という運命の赤い糸が若い二人を結びつけ、新しい
家庭をそこに誕生させるのです。こうして人々は営々と人生を
営んでいくのです。新しい命が誕生し、かたや、老いた命が
消滅していきます。これが自然の摂理というものです。

お葬式に参列し、お経を聞きながら人の死に直面し、やがては
訪れるであろう自分の死と、その対極にある生きるについて
思いを馳せる。人はこの世に誕生すると,時期は定かでは
ありませんが死亡率は100%。終焉を迎えた時に、自分の
人生が長くもあり、短くもありと感じ、悟りを開けないまま
未練を引きずりながら、痛みと意識が無くなっていくのが
死というものでしょうか。


posted by ochiyo at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年02月17日

SKYPEで娘と通信

今日(17日)は寒い一日で外は小雪がチラチラ舞っている。
今日から冬型が強まり2〜3日雪混じりの寒い日が続くという
予報が出ている。季語にも厳冬という言葉が出てくる位だから
寒くて当たり前、春はもう少し先の話になりそうな気温の低い日
の午後の、Hotしそうな母娘のテレビ電話での模様。

先日、娘からのメールで「子供たちの幼稚園の入園式の際に
持って行く小さめのバッグが欲しい」と連絡があった。それでは
SKYPEで品物を確認しながら品定めをしょうということになり、
今日の2時半にヨーイドンということになった。いつでも
母娘で会話出来るようにと、段取りは付けてもらっているのに、
イザとなると忙しさにかまけて中々出来ないという現状である。
SKYPEは携帯電話のようにメールや会話を手軽にするという
ような範疇にはまだない。操作に自信が持てないため、補佐を
する係が傍にいなければトラブった時に困ることになる。

大きな段ボール箱一杯のバッグを抱えてきてスタンバイ。時間に
なりスイッチオン。久し振りに見る娘と孫たち。前回はパソコン
の前でジッとしておらず、全く会話にならなかったのだが、
今回は少しはお利口さんになってるみたい。孫たちや家族の
近況など話ながら品評会が始まる。小さな色物から始まり、
黒いフォーマルな物、DCブランドの物と、アップにしたり裏表を
表示したりしながら「さっきのが良かった。2番目のをもう1回
見せて」と店員のオバサンと買い物客の会話は続く。画面の
向こうの孫たちは自分勝手に2人で遊んでいる。

意外にも娘はヴィトンなど、いかにもといったDCブランドには
興味がないという。そういえば指輪、ネックレスの類にも欲しい
とは言わない。里帰りした時でもこちらはあれもこれもと構えて
いるのだが、一緒に買い物に行ってもズボンならズボンだけ、
靴ならそれだけと、こちらが拍子抜けするくらい欲しがらない。
なんだかんだで大小おりまぜて7つを送ってやることに決定。
娘曰く、「1個だけもらおうと思っていたのに、こんなに沢山
ありがとう」。以前、頼まれていた化粧品も一緒に段ボール箱に
梱包して、早速黒猫ヤマトに持って行ってもらう。

宅急便を出して帰って来る間に、遅い昼食に鍋を用意して待つ。
「寒いさむい」と帰って来てシャブシャブを突きながら、「アー、
写真撮っておけばよかった〜」「なんで〜」「ブログさぼって
いるから、これ書こうと思って。写真あったがいいよネ」「今更
言ってもafter festival(後の祭り)ョ」「何〜それ〜」。長男から
「ママさんの文章は長すぎるから誰も読まんョ。写真を多くしたら」
と言われたばかりだ。

ブログに載せようと写真を撮ってきたら今度は文章が追い付かず、
新米を大事に取って置いたらいつの間にか古米になっていた、
みたいな時期を取り逃がすことがチョクチョクある。今日は幸い
にも予定はない。途中まで家で書いて残りはお店に行って事務所で
書こう。ガラス越しに外に目をやるとまだ雪は降っている。今夜も
寒い夜になりそうだ。
posted by ochiyo at 20:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記