2011年12月25日

孫台風パート3&SKYPE

早いものであと1週間ほどで今年も暮れようとしている。
この1年間を振り返ってみると、我が家では皆健康で大過なく
終えようとしている。社会的には3月に東日本大震災がおこり、
多くの人が亡くなり、家や仕事を失った。被災地はこれから
厳しい寒さがやってきます。希望と言う炎を燃やし続け、心を
暖かくして、多くの困難に立ち向かっていってほしいと願って
おります。

お腹が膨れた後は直方に戻りイオンに買い物に。孫たちは
オモチャを買ってあげるというジージーの手を引っ張って、
まるで目的地が判っているかのように人込みの中を進んで行く。
子供には欲しい物を嗅ぎつける嗅覚のようなものが備わって
いるのかもしれない。売り場に到着。二人の孫を観察してみると、
男女の差があって面白い。男の子は欲しい物をサッと見付けて
その場を動こうとしない。一方女の子は欲しい物が多過ぎてか、
なかなか決まらない。それにしても現代のオモチャはICを
駆使していて、年寄りの想像を越えた物が溢れている。
女の子が買ったのは話しかけるとその言葉がそっくり返って
来る動物のぬいぐるみ。男の子は大きなラジコンの4WDで
ある。これは京都の自宅近くの公園で、年長のおにいちゃんが
ラジコンカーで遊んでいて、これが欲しくてしかたがなかった
そうだ。九州のジージーに買ってもらおうと今まで辛抱させて
いたという。サッと決まるはずである。

買い物からの帰りに長男が行きつけの寿司屋さんでお寿司を
とってくれ自宅へ。孫たちは食事をする暇もなくオモチャを
出して遊んでいる。残り少なくなった時間を惜しむかのように
大人たちは話に花が咲く。家人が小振りな段ボール箱を抱えて
来た。聞くと娘へのプレゼントのパソコンだそうだ。
「うちにも1台あるのに」 「ほらみてごらん」と女子連の
話を横で聞きながら「母娘でテレビ電話を楽しんでください。
帰ってセットしたら全部繋がるようにしてあるから」と娘に
手渡す。

10数年前に次男の剛士がオーストラリアに留学した際に、
せめてメールの交換でも出来たらと始めたのが、パソコンに
関わるキッカケとなったらしく、娘にもその楽しさを体験して
もらいたくてプレゼントしたという。私とておぼつかないながら
もこの歳で、なんとかメールやインターネットを楽しめるよう
になった。

そうこうするうちに帰りの時間となった。名残を惜しみながら
「来週の日曜にスカイプやろうネ」と慌しく帰って行った。
今回は障子を破られることもなく、チョッピリ聞き分けが良く
なった孫たちと束の間の再開であった。日曜に間に合うようにと、
スカイプの操作手順を書いた手紙と写真を送ってやった。そして
翌週の日曜の夜、お互いに連絡を取り合い、8時半に始めること
になった。こちらから何回か発進するも繋がらない。携帯で手順
を説明しながらやっているとようやく音声だけが繋がった。
不慣れな娘たちに丁寧に説明していった挙句、画像も映るように
なった。「もう携帯は切っていいョ」とお互い素ッピンのご対面
である。1時間程娘と会話を楽しんだ。

聞くと、このスカイプは何時間話しても無料なので、遠く離れた
孫や、海外の家族との会話を楽しむのに利用されているという。
また、テレビの大画面に繋いで見ることも出来るそうだ。感想と
しては文明の発達の恩恵をこんな形で自分が受けられるとは思っ
てもみなかった。「長生きはするもんだ。なんにでも首を突っ込
んでみるもんだ」と正直思った。この翌週の日曜に孫たちとも
対面したが、ジッとしていないため画面から外れてしまい、
会話にならなかった。もう少し大きくならないと無理かも。
次回は小型のハンドバッグが欲しいという娘のために、展示会を
スカイプでやろうと考えている。

今はお互いに人の手を借りないとうまく操作出来ないけれど、
”習うより慣れろ”である。そのうちパソコンを駆使して楽しむ
日が来ることを願っている。「今のままでは無理じゃない〜」と
いう声が聞こえてきそうだ。
posted by ochiyo at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年12月23日

孫台風パート2

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前回、孫たちが帰って来たのが5月であったから、もう半年が
過ぎた。最初は11月に帰省する予定であったが、孫たちの
体調不良のためドタキャンとなり、今年はもう顔を見ることは
叶わないと半分諦めていたのだが、娘もどうしても帳面が消え
ないみたいで、12月の初めに帰ると伝えて来た。
指折り数えながら、迎い入れの準備が済んだ、帰って来る2日
(金)の夕方、直前になって今度は、婿の会社でアクシデントが
起こり、婿から、その対処のため隣県に今から向かうと連絡が
入ったとのこと。時間的にもあちらでは、準備万端整い、婿が
帰って来たらイザ出発といった状況であったと思う。この時、
600Km離れた電話口では言葉に出さずとも母娘の心中たるや、
同じことを考えていたのだと思う。2度までも直前になっての
トラブル続き。行ってはイカン、来るなということか と。

何度も状況報告のメールや電話が入り、本来であれば到着して
いるはずの夜中に「明朝起きたら出発します」と最終報告が
入った。深夜にこの電話を受け、コーヒーを飲みながらの夫婦
の会話。「それほどまでしても帰って来たいんだろうネ」
「帰って来たら予定の見直しをしなければいけないネ」。心配の
種は尽きないままに床につく。翌朝(3日)10時過ぎに電話の
呼び出し音で起こされる。「現在広島を走行中」。眠たい目を
こすりながら起きて来た家人が「それなら午後1時頃には着き
そうだ」。

此処まで書いて1週間が過ぎてしまった。忘年会シーズン到来で、
1年の内で最も忙しい時期に突入してしまい、パソコンの前に
座る間もなく時間だけが過ぎて行った。書けない言い訳はさて
おき、本題に戻ろう。

予定の1時を過ぎてもまだ着かない。メールも電話も返答が無い。
2時近くになってようやく玄関先が騒がしくなった。遅れた理由
を聞いてみると事故による渋滞に遭って、なかなか広島を出られ
なかったそうである。半年ぶりに見る孫たちは顔立ちもしっかり
して大きくなっていた。本来であれば昼から剛士のお店にみんな
で食事に行くはずであったが、それは明日に順延として予定を
聞いてみると、日曜(5日)の夜に帰ると言う。何とも慌しい
里帰りである。土曜の夜は私たちが仕事があるので、一緒に
居る時間は限られてくる。

簡単に昼食を摂り、一人で運転してきた婿を寝かせ、久し振り
に娘と話に花が咲く。この時間を持ちたくて帰って来るのだろう。
母娘の関係は、同性であり、母親としての先輩後輩であるので、
話は尽きない。娘の話を聞いてやりながら、出勤の準備に取り
掛かる。いつもより遅れてお店へ。土曜日とあって大忙し。
帰りは朝の3時半過ぎ。

早寝早起きの孫たちは夜は7時に寝て、朝は7時には起きると
言う。私たちの生活ではその時間は真夜中なのである。日曜の
朝もいつものように起きて母親に「ジージーとバーバーはまだー」
と催促するのである。今回はなにかをするという時間が全く
取れないので、昼から皆で剛士が勤めるお店で食事をし、帰りに
イオンに寄ってオモチャや服を買ってやる約束である。それと
家人が娘にパソコンをプレゼントするという。何故かと言うと
SKYPEを使ってテレビ電話を私と娘が出来るようにと準備して
いるとのこと。この件に関しては次回詳しく書くことにする。

先を急ぐ孫たちに大人たちはせかされながら、ベビーシートを
積み換え、長男も合流していざ出発。40分程でお店に到着。
剛士は忙しく働いていてなかなか席に来て一緒に焼肉を食べる
ことが出来ない。娘たちも子供連れでの外食は出来ず久し振りの
焼肉だとのこと。孫たちもムズがったり、騒いだりもせずに
焼肉デビューである。肉を焼いてやりながら観察してみると、
娘たちは孫に食べさせようと熱い物はフーフーしたり、小さく
切って食べやすくしたり、しっかり親を演じている。かっては
私もこうやって子供を育ててきたのである。私が育てて母親に
なった娘が孫を育てているという、この世代間の不思議さ。
時代と言うフィルムの映像が変わるたびに世代交代が行われ、
何らかの意思が親から子へ、子から孫へと営々と引き継がれて
行くのであろう。この孫たちも京都と鞍手のDNAを次の世代に
持ち越すだろう。

腹が太ったら次はオモチャ売り場である。全くの誤算は今日が
日曜で時間は夕方の5時だということ。まず、駐車場が満杯で
なかなか車が止められない。人込みをかき分けながらオモチャ
売り場へ。

これから先の3〜4時間の出来事はパート3で書くことにしよう。
どうも頭の中が仕事モードから抜け切れてないみたいで、只、
字面を並べて紙面を埋めていくだけの脈絡のない文章になって
しまった。反省!!。
posted by ochiyo at 03:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記