2014年07月23日

海の日に山へ No.130

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 連休の21日に10カ月ぶりに鷹取山に登った。6月一杯でライオンズの会長職も終わり、残務整理も一段落した頃の久しぶりの連休であったから、有効活用しようと、最近できなかった山登りに行こうとなった。前夜は家人とゴルフの全英オープンを見たために、寝るのが夜中の2時を大幅に過ぎてしまった。

 12時出発の予定で10時起床である。弁当の準備は全部貴方任せ。私は自分の日焼け対策だけをやればいい。登山靴もチャンとベランダに干してある。弁当におかずと飲み物をリュックに詰め込む段になって、自分の分は自分のリュックに詰め込むのが普通であろうが、飲み物は重いのでチャッカリ彼のリュックへ引っ越し。戸締りを確認してイザ出発。

 約40分ほどで福智山ダムの駐車場に到着。いつもであれば下の内が磯ダムの駐車場に停めるのであるが、久し振りというのもあって上の駐車場である。登山道に入って気が付いたのであるが、足元が妙に悪いのである。一つには森林業者がヒノキの伐採を行っていて、そこここに丸太が積み上げてある。その材木を運搬するための重機のキャタピラーで道路が泥んこなのだ。それに平地では全く雨は降ってないのに、山だけ降ったのであろうか、普段はせせらぎなのに水の流れが激しい。搬出路の近くは足の踏み場もないほど荒れていて、靴が泥だらけになってしまった。

 薙野の休憩所までは足が重かった。完全に体が登山のことを忘れている。休憩所に到着。
4月9日にベンチの設置作業で登って以来だから、もう3カ月にもなる。ピカピカだったテーブル・ベンチも風雨に晒されて少しくすんで見える。イタズラ書きなどを心配して来たが無用であった。タオルで埃などを拭き上げる。可愛い我が子のようなものだ。特別の愛着がある。ここに登って来る度に、私が直方ライオンズクラブの会長として手掛けた事業を思い出すであろう。私が元気で山登り出来る間は作り変えることもないだろう。休憩所を出て雨で湿った滑りやすい急坂を注意しながら通り過ぎ、熊笹を過ぎれば上野越えだ。この交差点を左折すれば福智山、直進は上野焼の里、右に曲がれば10分で鷹取山山頂である。ここまでは先導されて待ってもらいながら登って来るのであるが、ここから山頂までは私が先頭になって登っていくのが恒例となっている。先陣切って一番乗りを目指している訳でもないし、婦唱夫随を自慢したい訳でもないのに。案外、急坂をカメさんで登るのが格好悪いのでここでエエ恰好(格好とも書く)するために頑張っているのかも。

 山頂に到着。早速、礎石に腰かけてお弁当を開く。私から味付けが「辛い」と言われるのが嫌で気を使って作ってくれるせいか、オニギリもおかずも頃合いの味加減である。オニギリを頬張りながらの会話。「今年はまだ鶯の鳴き声を聞いたことがないのョ」「それは貴女が忙し過ぎて耳を傾ける余裕がなかったからですョ」とピシャリ。毎年、我が家の庭で聞いているウグイスの鳴き声は、最初は「ホ〜」後を早よう続けんかいと、叱咤激励したくなるほど音痴なのに、師匠の教え宜しく訓練を経て「ホーホケキョ」と上手にさえずるようになった鳴き声を聞くと、「いずこのアヤメ カキツバタ?」「華人?深窓の麗人?」などと、声はすれども姿は見えぬ相手に対して、艶やかな見返り美人を想像してしまう。

空を見上げると精霊トンボと呼ばれる赤とんぼが沢山飛んでいる。周りに目を凝らすとモンシロチョウや揚羽蝶も飛んでいる。耳を凝らすとチーチーゼミや油蝉の声も聞こえてくる。最近の私にはこのような自然現象が、見聞できないほど忙しかったのか。今更ながらヘレンケラー女史の「見える目を持ち、聞く耳を持ち・・・」という言葉が思い出される。山頂で写した写真をパソコンに取り込んで見てみると、気のせいか顔が丸く写っている。密かにヘルスメーターにソッと乗ると、ゲゲッ、体重が?Kg増えているではないか。この暑い夏場に食欲旺盛だったもんな〜。これ位で済んだことをヨシとしなければ。

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2014年07月10日

捜す時に無いのが捜し物 No.129

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 何気なく、YouTubeで井上陽水の“夢の中で”を聞いていた。最初のフレーズの「捜し物はなんですか 見つけにくいものですか」に私のセンサーが早速反応した。「最近、よくあるのよネ〜」 捜し物は携帯電話に始まって、鍵、書類、道具類etc、この他に言葉の意味や人の名前が出てこないなどという現象も現れてきている。

 「加齢による老化現象ですョ」と、言われれば反論の余地はないのですが、今そこに置いたはずなのに、あったはずなのにその場所にそれがないのです。品物に足が生えて飛んで行ったとしか考えられない物を探す羽目になるのです。歌のセリフのように机の中も、鞄の中も捜すのです。携帯電話のように動線を辿って行って見つかるものもあります。しかし、どうしてか指輪などは出てこない場合があります。諦めきれない気持ちを引きずりながら半ば諦めかけた頃に、台所のテーブルの上にポツンと現れるのです。「どこにあった?」という質問の答えに「一つしか持っていない者は大事に扱うから失くさない。沢山持っている者の驕りだ」ときつい一発が返ってきます。

 対策としては、車のキーは冷蔵庫のフックに掛けるなど、使った物は所定の場所に戻すということを反復練習して、自分の頭に叩き込むということをやっていかないと、いつまでたっても捜し物は無くならないのです。「若い頃はこんなことはなかった」と嘆いてもしかたありません。要は“原因と対策”なのです。原因は加齢と訓練不足だと考えます。これから年を重ねていく毎に、辛いことや、キツイこと、嫌な事、などから目を背けて生きていこうとしがちです。しかし、これらのしたくないことに対して、一つひとつに対応して訓練・鍛錬していくことが、ひいては自分に返ってくるのではないでしょうか。

 私はこの1年間直方ライオンズクラブの会長として、この職に携わってきました。自分の仕事も含めて忙しい毎日を過ごしてきましたが、一度として休みたいとか、嫌だとか、したくないとか思ったことはありませんでした。他人様と交わるため、身仕舞いを整え、姿勢を正し、挨拶など言葉遣いに気を付け、常に緊張感を以って事に当たってきました。このような生活はスケジュールなど約束事に時間が制限されます。約束を違えることが最もやってはいけないミスですから、仕事を終えた深夜に伝達事項や業務連絡、持っていく物、忘れてはいけないことなど明日の予定をメモするのです。こうして対外的にはパーフェクトな対応が出来ているのです。これも日頃の訓練の賜であると考えています。

 翻って私事となると、この反動なのか、自分に対して優しい性格のためなのか、忘れ物や捜し物が絶えないのです。普通は自分自身を厳しく律する方向に向かうのでしょうが、私の場合は連れ合いに頼ろうとするのです。役割分担の割合を向こうに多く割り振り、自分の荷物を軽くしているのです。そして、捜し物をする時には、連れ合いに聞こえるように「年だからネ〜、忙し過ぎるからナ〜」と自分自身に言い訳をするのです。これでは根っこまで枯らせない安物の除草剤と一緒で、効果はないのです。「これからはお互いをカバーし合って助け合っていこうネ」と言うと「七分三分の相互扶助というのはないでしょ。最低、自分のことは自分でしてください」至極真っ当な答えが返ってくる。考えてみると人相と根性が悪い以外は全てクリアーしているのだ。だからと言って、厳しくしないで。健康が取り柄の少々天然な女房を可愛いと思ってください。仲良くしようネ。
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2014年06月20日

五月雨イコール梅雨? No.128

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 テレビの天気予報を見ていたら、今頃降る雨を「さみだれ」と言っていた。今日(6月17日)は旧暦で5月20日だとも。「さみだれ」の「さ」は田植えの古語で、古来の田植えの時期を意味し、「早苗(さなえ)」や「五月(さつき)」の「さ」と同語源である。「みだれ」は「水垂れ」で雨の意とある。

 一方、「梅雨(つゆ・ばいう)」の語源としては、この時期は梅の実が熟す頃であることからという説や、この時期は湿度が高くカビが生えやすいことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、これが同じ音の「梅雨」に転じたという説、この時期は「毎」日のように雨が降るから「梅」という字があてられたという説がある。この他に「梅霖(ばいりん)」や、旧暦で5月ごろであることに由来する「五月雨」、麦の実る頃であることに由来する「麦雨(ばくう)」などの別名がある。と書かれていた。 

 このことから「さみだれ」と「ばいう」は同義語であるというのが分かった。中国では、古くは「梅雨」と同音の「霉雨」という字が当てられており、「霉」はカビのことであり、日本の「黴雨」と同じ意味である。「梅雨」は中国から「ばいう」として伝わり、江戸時代のころより「つゆ」と呼ばれるようになった。、それまでは「さみだれ」の言葉を使っていたのであろうか。松尾芭蕉の「奥の細道」に収録されている「五月雨を あつめて早し 最上川」は、元禄2年(1689年)5月に詠まれている。また、”日本歳時記(1688年編纂)には「此の月 淫雨ふる これを梅雨と名づく」とあり、こちらの「つゆ」が芭蕉の「さみだれ」よりも1年早いことになる。「つゆ」という言葉自体がまだ世間に浸透してなく、季語としても使われてなかったのかもしれない。

毎年のようにこの時期になると「つゆ」に関連したことを書いている。「6月の花嫁(ジューンブライド)」や「梅雨入りと千恵子抄」や「アジサイ」のことを書いている。結構アカデミックな内容になっている。書き方としては、タイトルが決まるとそれに関連した内容を知るために、検索を掛け「Wikipedia]などから参考になる個所を抜出し文を構成していく。実際のところ知らないことだらけである。全てコピペにするとそれは盗作以外なにものでもない文章となってしまうので、それに対しての自分の思いや考えを添えていく。「講釈師 見てきたような 嘘を言い」はこのインターネットの時代には通用しませんから、このような文献を頼りにして書いています。公式文書でもありませんから70過ぎのオバンの手慰みとお許しください。

 梅雨の時期になると我が家では毎年行っていることがある。庭木の手入れと梅酒造りである。去年は5Kgほども採れたのであるが、今年はその半分ほどしか採れなかった。その代り、お店の常連さんに8Kgほども頂いたので沢山の梅酒を造ることができました。もう一つは、ドクダミ草を摘んで水洗い・陰干し・乾燥させた後に、小さく刻んでドクダミ茶を作るのである。また、花は別にとっておき、焼酎に漬け化粧水として使うのである。今年はアロエでもこれを作るつもりです。これには訳があって、庭木の手入れは家人の担当なのですが、毎年、山茶花につく毛虫にやられて手足を真っ赤に腫らすのです。今年なんか「いつもやられるから殺虫剤を撒いてから作業しよう」と薬を撒きに行ってやられる始末。完全武装で構えていてこれだから、どちらが弱いのか強いのかよく判りません。病院に行きたがらない植木屋さんにせめてアロエで作った化粧水を使ってもらって、痒みを和らげてほしいと思っています。人相が悪い・根性が悪い山賊のオッサンでも三分の毛虫にやられるんですもん。私(頑丈な皮膚の鉄面皮)なら「亭主の仇、捻りつぶしてくれるのに」と思うのですが、ワタクシ出事と食べ事を担当しておりますので、虫も殺せませんの。悪しからず。ウフッ!!

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2014年06月09日

最近、出遭った三つの言葉  No.127

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 この三つの言葉は、旅先で出遭った「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」というものと、ある人の座右の銘「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 為さぬは人の 為さぬなりけり」を聞いた時に知った言葉である。もう一つは「人生とは そのものがプレゼント。全てが与えられている」というものである。

 最初の「わが胸の・・・」は鹿児島に旅行をし、フェリーで桜島に渡った時に見つけた石碑に書かれた短歌の文字であった。作者は“平野國臣”とあった。同行した女性連で勝手に詩の解釈をしたのであるが、一致した答えが、薩摩女に恋をした旅の男が、自分の熱い思いを相手に訴えるのだが、相手は知らん顔。自分はこんなに思い焦がれているのに、薩摩女はなんて冷たいのだろうという悲恋の詩である。というものだった。

 私は、作者を知らなかったので帰ってから早速調べてみた。私も含めてオバサンたちの想像は勘違いも甚だしいものであった。名は“平野二郎國臣”(福岡の西公園に銅像が建っているそうです)と言い、幕末の福岡藩の下級藩士で脱藩浪人、即ち勤王の志士なのである。西郷隆盛とは盟友の間柄で、薩摩へは倒幕運動のため何回か訪れている。薩摩藩の政情が不安定なため国に入れず、引き返さなければならなかった時の心情を綴った詩で、「我胸の燃ゆる思い」は國臣の勤王の志。煙の薄い桜島山は薩摩人の勤王の志が、自分と比べると古い慣習にこだわり、改めようとしないで情が薄いという皮肉で、国臣の悲憤がうかがえます。この後、捕えられて京都で新撰組によって処刑されます。享年37歳。

 二つ目の「為せば成る・・・」はライオンズクラブの広報紙の人物紹介に載せるために会員のSさんにインタビューし、「座右の銘」を聞いた時のものであった。この時にSさんが、この詩の作者を「徳川家康」と言ったのですが、私は違うような気がしたのですが、その場では名前が思い出せず、反論はせず帰ってから調べてみると、「上杉鷹山(ようざん)」だと判りました。鷹山は 第9代米沢(山形県)藩主で江戸時代明和年間(1769年頃)に藩の行財政の改革をやった人です、18歳で藩主に就いた頃(他家から養子に入った人)藩は20万両もの借財があり藩を幕府に返上しようとしたくらい財政的に逼迫していた。倹約殖産を奨励して藩の財政を立て直したのです。幕府将軍からも褒賞され他藩の模範となった。実際には50年もかかったそうです。この名言は何事も成功しないのはやろうとしないからだ という教訓なのです。

 三つ目は、「人生とは そのものが プレゼント。すべてが与えられている」という言葉に出遭いました。残りが少なくなった71年の我が人生を振り返り、この言葉の意味を考えた時、この世に生を受けて誕生したことが最高のプレゼントになるのであろう。頭の良さや建て付けの良いスタイルや顔の造作などは与えられなかったが、代わりに頑丈な病気知らずの体と、「やり手ブス」といった努力する術を身に付けられたような気がする。目には見えないが、出逢いやチャンスは誰にでも目の前にぶら下がっているのかもしれない。皆が三億円の宝くじに当たるわけではない。大部分の人が外れ券を捨てきれずに握りしめて 人生を歩んで行くのだと思う。得るものがあるなら失くすものあり、人生とは「人間万事塞翁が馬」なのだ。一喜一憂することはない。冬の寒さに耐えるからご褒美に春の暖かさが得られるのであり、夏の暑さを辛抱する代わりに錦繍の秋を満喫させてもらえるのだろう。そうやって年月を重ね、人生の最終章を迎えた時「我が人生に悔いなし」と笑えたら最高の人生と言えるであろう。
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2014年05月27日

涙・泣くに関しての一考察 No.126


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2014/5/18 桜島にて

人は、悲しいとか嬉しいといった感情的な原因で涙を流すと言われています。こうした感情的涙は、人間特有の現象だとも言われています。私たちは、どういう時に、そして何のために涙を流し、泣くのかを考えてみたいと思います。

 人は何故、泣くのかという事柄を考えた時、「悲しいから泣くのか?」 「泣くから悲しいのか?」。と、この2つを思い浮かべます。殆どの人は「悲しいから泣く」と答えると思いますが、実は、そうではなくて「泣くから悲しい」のではないかという説があるのです。これは「ジェームズ・ランゲ説」と呼ばれていて、現在ではこの説が支持されているそうです。この説は、「泣く」という生理現象を引き起こした後、「悲しい」と言う情動(急激な感情の動き)が生まれるというものです。笑いにもこれと同じことがあるのではないかと言われているそうです。

 感情の涙にも、悔しいとき・怒った時と、嬉しいとき・悲しい時などの感情で涙が出ることがあります。それぞれに涙の出方のメカニズムが違い、流す涙の量の多少や、しょっぱいや水っぽい味の違いがあるそうです。因みに、嬉しくて泣く時とは、長い間の努力が実って念願を果たしたや、長い間無事を心配していた家族と再会出来た時など、それまで蓄積されてきた苦労と心配から解放されて、人は涙を流すという。嬉し泣きとは積もり積もった苦労と心配を洗い流すことを言う。

 また、涙を流したらスッキリしたという経験はありませんか? 感情の涙にはストレス物質を排出する重要な役目を果たしていると言われています。泣くことによりストレスが40%減少するといわれ、リラックスした状態になる。感情が安定する。悲しみや痛みを和らげる。免疫力を上げる。などと言われています。健康のためには定期的に泣くのが良いという意見もあるようです。ただし、泣くと体外に水分が出ていくので水分補給に気を付けるようにとありました。

 涙を文字からひも解いてみると、「涙・涕・泪」と出てきます。さんずいに目を書くなみだは、水分が目に付いているので一番判りやすい文字ですが、泪は涙の旧字で今は殆ど使われていません。さんずいに弟のなみだは、「てい」と読み、流涕(りゅうてい)や、涕泣(ていきゅう)などと使われ、激しく泣くこととあります。また、さんずいに四と書いて、泗(し)と読みますが、これは鼻から出る涙のことで、涕泗(ていし)という文字がありました。さんずいに戻るの涙が一般的ですネ。この文字の成り立ちは、体の中(涙腺)から出た涙は目の表面を伝わり体の中(鼻涙腺)に戻ります。それでさんずいに戻るの文字が使われているといいます。科学的かつ文学的な解釈で納得できる説明だと思います。

 泣き方にも色々あり、啼泣(ていきゅう)=声を出して泣く。哀哭(あいこく)・慟哭(どうこく)・号泣(ごうきゅう)=悲しみのあまり、大声を上げて泣くこと。歔欷(きょき)=すすり泣くこと。咽び泣き・噎び泣き(むせびなき)=声をつまらせ、しゃくりあげるように激しく泣く。嗚咽(おえつ)=むせび泣く・すすり泣くこと。この他にも、忍び泣き=声を立てずに泣く。号哭(ごうこく)=大声で泣き叫ぶこと。紅涙(こうるい)=美人の涙。などがありました。泪や泣きの世界も幅広く奥が深いことが良く判りました。書き終えて考えてみると、柳腰ではない。肩も細くない。ヨヨと泣き崩れるタイプでもないんだナ〜。可愛げのない誰かさんは!!

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2014年05月06日

涙なくしては読めない話 No.125

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我が家に咲いた牡丹の花

 この記事は「飯塚少年サポートセンター 安永智美」で検索をかけて、出てきたデータの1つなのです。 人は何故、涙を流すのでしょうか?悲しい・辛い時は理解出来ます。でも嬉しい時にも、感動した時にも涙は出ます。別れにも出逢いにしても涙は付いてきます。「男は泣くな」 「鬼の目にも涙」 「女の涙には騙されるな」など。次回のタイトルは「涙に関する一考察」これで決まりです
下の文を読んであなたは泣けますか?。


 
「縁を生かす」
            
 その先生が五年生の担任になった時、 一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。 中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。  「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。 二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」 と書かれていた。 三年生では 「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。 後半の記録には 「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、 四年生になると  「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、 深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。 先生にとって目を開かされた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。 「先生は夕方まで教室で仕事をするから、 あなたも勉強していかない?  わからないところは教えてあげるから」。 少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。 授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。 少年は自信を持ち始めていた。
 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。 亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。 先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。 「ああ、お母さんの匂い!  きょうはすてきなクリスマスだ」 六年生では先生は少年の担任ではなくなった。 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。 「先生は僕のお母さんのようです。  そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
 それから六年。またカードが届いた。 「明日は高校の卒業式です。  僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。  おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。
 十年を経て、またカードがきた。 そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みがわかる医者になれると記され、 こう締めくくられていた。 「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。  あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。  大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、  五年生の時に担任してくださった先生です」
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。 「母の席に座ってください」と、一行、書き添えられていた。

 月刊「致知」2005年12月号(致知出版社刊)より引用

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何度読んでも泣けてきます。
この少年は、この先生との出会いでまさに人生が変わりました。この先生が、少年の心の傷に気づいて、少年の心に寄り添い、支えたことで、少年は立ち直ることができました。
同じようにもしも、周りに問題を起こすような子がいた時には、その子の「心の傷」に気づいてあげられるように、心の目で感じられるようになりたいものですね。

そのためにも、「非行少年は不幸少年」「問題のある子は心に傷を負っている」
…この言葉を心に留めておきたいと思います。




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2014年04月14日

Before・アフター No.124

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4月9日(水)、天気は快晴。最高気温は22度。作業するにはもってこいの陽気である。今日はライオンズクラブの奉仕作業で、福智山登山道・薙野休憩所のテーブル・ベンチの設置作業があった。2時間チョッとの睡眠時間で7時に起きて登山道入り口に9時に集合。

 本日、作業される建設会社の方たちと、ライオンズの会員 総勢14名で薙野の休憩所まで登って行く。途中3カ所ほどスリップしたりスタックしそうになりながら、なんとか目的地に到着。私たちが着いた頃にはもう作業は始められていて、築20年以上はなると言われている古くて壊れたベンチが取り壊されていく。私は何の戦力にもならないので邪魔にならないように作業の様子をカメラで写していく。クラブの男性陣はダンプカーからテーブル・ベンチの木材を2人掛かりで肩に担いで降ろしている。枕木ほどの大きさだから、かなりの重量のようだ。

 同時進行でベンチやテーブルの脚を撤去するのにスコップなどを使って掘り起こされていく。山の中腹での作業のため機械が使えず全て手作業である。木材を降ろし終えたダンプカーに今度は廃材を積み込んでいく。作業は二手に分かれテーブルの組み立て作業と、テーブル・ベンチを据えるための穴掘りが進められる。見ていてこれは素人には無理だナと思った。頃合いを見て私は弁当を取りに下山。クラブの会員である“しまや”さんで弁当を受け取り現場へ。皆で車座になってワイワイ言いながらの昼食となる。目の前の葉桜になりかけた桜の老木からハラハラと花吹雪が舞い、「これで酒があれば花見になるのに」といった風情であった。昼休みもほどほどに作業再開。

 掘った穴の中にベンチ→テーブル→ベンチの順に据え付けていく。組み立て上ったテーブルは6人掛かりでやっとといった重量で、足元の悪い坂道を運ばなければならない。鉄筋を立て水糸を張り水平器を使って向きや高さや水平を合わせていく。こっちが良ければあっちが合わず、位置が良ければ水平があわずで、最初のテーブルはかなり手間取っていた。セットが終わったテーブルの脚元は、下の東屋で練られたセメントを一輪車でクラブの皆さんが押し上げていき、固められた後スコップで土が埋め戻されていく。2つめのテーブルも同じ手順で据え付けを行い、こちらの方は2度目ということもあって作業はスムーズにいったようだ。

 作業をしている場所が登山道の脇にあるため、下山してくる多くのハイカーから声を掛けて頂きました。その度に、設置に至った経緯などを話し、皆さんからは労いの言葉や、お礼の言葉を返して頂きました。「やってよかった〜」という喜びが湧いてきます。東屋の中のベンチも出来上がり、道具を片付け周りの清掃を終えたのが4時前でした。

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 新しく出来上がったベンチに座って記念の集合写真をパチリ。本日の作業を痩身に鞭打って頑張って頂きました、クラブ会員である相互建設の石田社長を始め、社員の皆様お疲れさまでした。お蔭様で素晴らしいテーブルとベンチが出来上がりました。福智山や鷹取山に登山する皆様の憩いの場になると思います。私もこれからこのテーブル・ベンチを見る度に、本日の作業を思い出すことでしょう。下山して、疲れた体に鞭打ってパソコンに写真を取り込んでいると、現在オーストラリアを旅行中の次男坊からメールがあり、作業している写真を付けて返信。今日の作業の様子が8000Km離れたオーストラリアに飛んでいきました。

 翌日(10日)午後から、市内山辺にある直方城址の石碑の文字の修復作業に行ってきました。これも昨日と関連した奉仕作業で、建てられたのが1973年ですから40年も前のもので、彫り込んだ文字が薄くなっていたための修復でした。白と黒の水性塗料と筆をクラブの会員である松村塗料商事からドネーション(無償で提供)して頂き、2時間後には見事に復活いたしました。どちらの作業も私の人生の1ページを飾る出来事だと思います。
改めて写真を並べて見ると、また喜びや感動が蘇ってきます。
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2014年04月01日

サポレンジャー レッド隊長をお迎えして No.123

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2014年3月18日(火)、直方ライオンズクラブ 3月第二(卓話)例会の講師に、飯塚サポートセンター 少年育成指導官 安永智美係長をお招きし、演題『子どもを非行から守るために〜問題行動の「根っこ」とは〜』を講話していただきました。

 安永先生には、当クラブの青少年健全育成事業の核である「薬物乱用防止教室」の講師として直方市内・小竹町(小中17校)において講話をしていただき、大変お世話になりました。この講話の内容は、薬物による有害性の話だけではなく、いじめや非行問題、命や家族の大切さなどを、実際に起こった実話を例に挙げながらのお話をされるので、聞いている子供たちだけではなく、私たちまでもが涙なくしては聞けない内容の講話をされるのです。「薬物乱用防止教室」に携わっている第四委員会の皆様に、是非、卓話にお呼びしてクラブの皆様に聞いて欲しいとの呼び掛けをし、今回の実現にいたった訳なのです。

 所属先の少年サポートセンターはサポレンジャーと呼ばれていて、安永先生は“レッド隊長と呼ばれ、子供たちからとても慕われているそうです。因みに仲間の堀治美先生はブルーレンジャーと呼ばれているそうです。このサポートセンターの活動には2つの核があり、それは「機動力」と他の組織と連動する「行動連携」だといいます。この中には、@非行少年の立ち直り支援 A居場所づくり B予防教育があり、講演は「心の揺さぶり」であり、薬物乱用防止教室は正にこれに当てはまります。

 「非行少年じゃない。みんな不幸少年だった!」「問題のある子は心に傷を負っている」「問題行動を起こす困った子ではなく、問題を抱えて困っている子」など、問題行動の根っこの話には、1)子どもの怒りを侮るな 2)泣けない女の子 3)心が折れた子どもたち 4)心に愛を注ぐ 5)いじめほど悲しいものはない 6)三つの苦行「許す」「信じる」「待つ」などがあり、その中の「秘密の木」の話や、“みやざき中央新聞に連載(2010/03/30〜4/13)された、「子供のSOSが届いてますか?」の中の話などは涙なくしては読めませんでした。

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 安永先生は福岡県警に警察官として12年勤められていたそうです。白バイにも乗られており、その頃の体重は○○Kg(正確な数字は伏せておきます)もあったそうで、今のスリムなスタイルからはとても想像も出来ないですね。34歳の時に少年サポートセンターに転職されたそうです。これには、自身の子育てをする中で心境の変化が芽生えていったからだそうです。少年課勤務のころは、少年犯罪に対して補導や検挙といった対処療法であったものが、少年育成指導官になってからは、「非行少年をつくらない時代」というように変わっていったといいます。

 あるシンポジュウムで、署長の挨拶の中に、「自身の生活を投げうって少年問題に取り組んでこられた素晴らしい女性である。・・・“少年育成指導官”という職名を当時の本部長に進言し、そのとおりに職名が変わったという女性でもある」と安永先生を紹介しています。また、「言葉ひとつで子供は変わる」(PHP研究所・1260円)というタイトルの本も出されています。ご自分がこれまでに体験されたことが書かれており、子を持つ母親の心に届くメッセージのこもった内容となっています。

 私はライオンズクラブの会長を務めさせていただいたお蔭で、こんなに素晴らしく尊敬できる女性と知り合えたことを、同じ女性として大変嬉しく思います。これからも健康に留意され、益々のご活躍を期待してやみません。
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2014年03月14日

この1年間ブログを休んだ反省と言い訳 No.122

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- - - - - - - - - - - - - - - - 「 向野市長を囲んで 」- - - - - - - - - - - - -

タイトルだけを書いてしばしパソコンの前で固まっている。1年と言う長きに亘ってブログをサボって、書き出しを何と書こうかと考え込んでいるのである。

 スマして季節の挨拶からいくのか、起承転結からいくと、始動のキッカケや心境の変化から書き始め、文が書けなかった理由や状況に移り、それではどうすれば続けていくことが出来るのか、自分とブログの関係を綴ってこれで結ぶのか。

 ずっとブログのことは気になっていた。文章は全く書かないのかというとそうではない。他では四六時中と言うくらい文は書いている。そして、それ以上に行動している。この書くことも行動することも今の私にとって重たい荷物である。これを背中に背負ってブログの入った手提げ袋を手に提げて動き回っていたのである。いつの間にかこの手提げ袋は置いてけぼりにされてしまい、忘れられた存在となってしまった。

 最近、何人かの方からブログのことを聞かれ、恥ずかしい思いをした。言い訳の言葉を考えるのなら、文を考える方が楽ではないかと考えるに至った。ただ、ライオンズの会長職があと4カ月残っている。まだまだ忙しい身である。ならばどうするのかを考えた時に、どうも私はブログに対して固定観念が強すぎたのではなかろうかと思った。ブログとはこうあるべきだ、このような長さでこのような文を書かなければというような、自分で決まり事を作り上げ、自縄自縛に陥っていたのかもしれないと気付いた。目から鱗である。日本一短い感謝状でいいのだと思えば気が楽になる。要は型に嵌め込む必要がないのだ。写真ばかりのブログもあり、短文あり、新聞や本からのコピーに自分の感想を添付するなど、やり方は幾通りもあるのだ。

 それにこの8カ月に書いてきた文章から抜粋してくればストックができる。この中には会長挨拶あり、産まれて初めての弔辞ありエッセーありでバラエティにとんでいる。それを時系列で挙げていきながら、いつものペースに戻っていけばいい。今は確かにブログは重荷かもしれない。しかし、継続していくことによって、人生の楽しみとなりさらに生きてる証しとなるかもしれない。

 ここまで書いてホッとしている自分がいる。置き忘れた手提げ袋を取りに戻って袋を開き、これまで書いてきたブログを開いて、懐かしさを噛み締めながら読んでいる自分がいる。長い時間を掛けて書き溜めてきたこの文章たちは、産みの苦しみを経てこの世に出てきた愛しい我が子のようなものかもしれない。それと同時に、ここは丁度、母親の腕の中のように暖かく、フワフワしてとても居心地の良い空間なのだ。やはり私は文章を書いていくことを楽しみとしなければならないと強く感じる。
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2013年02月17日

睡眠について No121

新聞記事で“睡眠について”を読んだ。私はどちらかというと、
若い頃から現在に至るまで、良く眠れるタイプではない。
夜昼逆転した生活を、何十年と続けてきたから、東の空が白み
始める頃に床に就くことも度々ある。なので、とても興味を
もって読んだ次第です。

記事には、睡眠には夜の光が良くない。との書き出しで始まって
いる。目から入った情報は、体内時計に直接伝えられます。夜に
強い光を浴びると、体内時計が遅れ、眠くなる時刻が遅くなる
ことが知られている。最近の研究では、それほど強い光でなく
ても、夜に長時間にわたって浴びていると、睡眠ホルモン(メラ
トニン)の分泌が抑制されることが分かってきた。

オール電化で睡眠が妨げられる例も書いてあった。深夜電気を
使うために、湯沸しや洗濯機のタイマーを入れたり、翌朝の
炊飯器の時間をセットしたりと、家中の機器をセットするのに
とても神経を使う。寝る前に、頭を興奮させると人は気持ちが
落ち着くまで眠ることが出来ません。電気代を安くしようと
思うあまり、逆に眠りには悪影響を与えていた。

要約するとこんな感じである。自分の生活と重ね合わせて考えて
みると、オール電化などという文化生活は営んでいないから、
このような思いはすることがない。強い光に対しても「省エネ、
しょうエネ」と、ダイニングテーブルを照らすペンダントライト
の4つある白熱球も2つにするくらいだから、これも該当しない
のだ。もし、問題があるとするならば、真夜中に食事を摂ること
かもしれない。

私たちは一般の人とは真逆の生活をしているから、規則正しい
食生活といわれてもそれは無理な話だ。皆さんの普通の夕食が
私の深夜食と同じではないかと都合よく解釈している。ただ、
往々にして食べすぎるきらいはある。胃袋を満たすことが頭を
興奮させることに繋がるのであろうか。

睡眠時間も健康には密接に影響するものであろう。食生活に
しても不規則であるし、睡眠時間も少ない方である。こんな
生活環境にも関わらず、これまで薬知らず医者いらずで生きて
これた。人によっては何時間寝ないとダメという話はよく聞く。
睡眠導入剤の力を借りて睡眠時間を確保しているという話も
聞いたことがある。「寝る気になれば一日中、寝ておれる」と
聞けば、全く私の中にはないことなのでビックリするやら
羨ましいやら。

私が「グッスリ寝たという感覚がないのよ」と家人にいうと、
「それは寝つきが悪いだけで、それなりに寝てるョ」。
彼は布団に入ると5分で寝てしまうという、羨ましくなる
特性を身に着けている。子供の頃、新聞配達をしていたために
慢性の睡眠不足であったという。また、そのせいで朝ご飯を
食べる時間がなく通学していたため、その影響で朝食を摂らない
習慣が身に付き、今でもそうだ。規則正しい食生活をする人から
みると、考えられないことかもしれない。

生きるということはバランスの問題でもある。1日の3分1は
睡眠時間であるし、働くのが3分の1、残りが食事をしたり
気持ちや体を休める時間であろう。1日の時間には限りがある
ので、この3分割のバランスを保つには、どこかの時間が長く
なれば当然どれかが短くなる。睡眠時間を確保して労働時間を
長くすれば休憩の時間が短くなるということだ。

健康を考えると、体の中の抗体と病原菌のバランスによって
保たれているのだ。このバランスが崩れて病気になる原因は、
色んなものがあるだろう。喫煙・暴飲暴食を始めとして、
人間関係によるストレスしかり、長時間労働や睡眠不足に
よる疲労の蓄積など、これに加えて加齢による免疫力低下
などを挙げていくと、健康な年寄りでいられる確率は限り
なくゼロに近いものになるのだろう。

深く考えていくと夜も眠れなくなりそうです。“寝るより楽は
無かりけり 浮世のバカは起きて働く”と言うではありませんか。
夜中にお腹を満たして暖かくした床に就く。私の至福の
ひと時です。
posted by ochiyo at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記